5.盲点


「あのー。私、◯日から親戚に会いに新幹線に乗る予定があったのですが」



切り出す。その日は主治の女医の先生の他に男性の救急の先生も一緒に治療に当たってくれていた。


皆が顔を見合わせて、うーん、と黙る。


○日から親戚に会いに行くのは男性の先生には最初の頃に軽く伝えていた。間に合いますかね?と能天気に聞いたへっぽこに、先生は助手さんを見て、あと何日か、と尋ね、10日と聞くと、うーん、と微妙な顔をした。火傷の程度によるのだろうが、へっぽこのは早くて2週間くらいで、その後の目処がたつかな、くらいだったらしい。


でもその後、出かける当日の朝に治療を行ない、その装甲を外さないまま行って泊まって帰ってきて、帰りにそのまま真っ直ぐ病院に戻るなら出来るかも、という返事をいただいていた。それに淡い期待を寄せていたへっぽこ。


でも……。

ダンさんの顔が浮かぶ。


極度の心配性の人なのだ。昔、少女漫画雑誌『りぼん』で心配性のお父さんを主人公にした少女漫画があったけど、それを笑えないくらいの心配性。


それに、炎症が起き始めて抗生剤の点滴中。


無理、だよな。やっぱり。



へっぽこは、にへらと笑うと主治の先生に向かった。


「なーんて、実は出かけるのはキャンセルすることにしました」


先生がホッとしたように頷く。

「抗生剤が効いて、ばい菌の心配がなくなるまで頑張りましょうね」


とニッコリ。



優しい。熱も出てる状況で無謀なことを言ってるのに。でもへっぽこはガメつく続けた。


「あのー。私、火傷以外は他の皆さんより多分元気なんですけど、一般病棟にはまだ移れないですかね?一応歩けるのに救急のベッドにいるのって申し訳なくて」


嘘ではない。そりゃ、ちょっと下心はあるけど。

ベッドに寝ててもひっきりなしに聴こえてくる救急車のサイレンの音。全ての人が入院するわけではないけど、慌ただしくベッドや車椅子に乗せられた患者さんが入れ替わり出入りしていくのを見てると、本を読むのも気が引けてじっとしてるしかなくなる。でもじっとしててもモニターのクリップは外れてアラート音が鳴る。包帯ぐるぐる巻きの腕は殆ど曲らない。スプーンにご飯を乗せて食べるのも結構キツイ。毎食、ヒーハー言いながら食べていた。そして続く採血。

そんなこんなで、多分半分くらいノイローゼになりかけてた。もう何でもいいから状況を変えたかった。


男性の先生が答えてくれる。


「ごめんなー、あっちも満杯やねん。空いたらそっちに動けるようには既に伝えてあるから、もうちょっと待ってな」


救急の先生は気さくな感じの人が多かった。いかにも研修中とか新人っぽい人以外は皆そんな感じだった。そうやって心に余裕を持たせてるから救急の対応が出来るのかもしれないなぁとか勝手に思ったりしてみた。オンとオフというか、普段からユーモアを忘れないから緊急時に落ち着いて対処出来るのかも、なんて。いずれにせよ、先生は大変だ。頭がいい、手先が器用ってだけじゃ絶対出来ない職業だと改めて尊敬する。


ちなみに、腕の包帯に関しては、ご飯が食べにくいと主張したらすぐに改善してくれた。肘の内側の装甲が少し軽微になった。


「言わぬが花」と言うけど、「言わぬことは聞こえぬ」が基本は正しいと思う。声をあげないと希望は通らない。つか、そんな希望があることすら気付いて貰えない。


なんて、図々しいへっぽこはその時はそう考えていたのだが、そこに盲点があった。


何故、そういう装甲になっていたのか、素人は気付かない。玄人はわかった上で、たくさんある手段の内、相手の希望と状況を鑑みて、妥協出来る部分は妥協して、幾つかのパターンを構築して、その中で最善と思われる道を選べる。知識と経験を持ってるのがプロなのですね。


で、おバカへっぽこは後から気付く。



火傷直後、全身まんべんなく流水を浴びたつもりだった。


でもへっぽこは左手が不自由で、右手でシャワーをかけていた。つまり盲点ならぬ、かけ損ねが生じる。

それは、右腕の肘の内側と右の脇腹。左側は全体的に割に無事だった。右側からお湯を被ったということはあるが、無意識に心臓と弱い左側を庇ったのかもしれない。で、自分的にヤバいと思った顔と右肩は懸命に丁寧にシャワーを浴びせていた。でも、シャワーを持った腕の内側になる右脇腹と、右手では水をかけにくい右肘の内側。この二点が火傷の程度が酷かったのだ。


この二点は深部の熱が冷めないまま少し時間が経った為、酷い火傷として治癒までに時間を要することになった。そう、肘の内側の装甲が厚かったのは当然だったのだ。でも先生方は、多少装甲を薄くしてでも食事を食べられない方が問題アリとして、そっちを優先してくれたのだろう。

でもおかげで一月経った今でも右脇腹と右肘の内側はまだ治ってない。右脇腹は仕方ないけど、右肘は我慢すべきだったか、と反省する。怪我と火傷は最初が肝心。そして素人我儘は程々に、プロの言うことをちゃんと聞きましょう(涙)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る