第40話 ドジ極まれり
家の中でもフラフラしてまうかと思ったが、家の中は大丈夫だった。身体が覚えているからだろうか。
だが、トイレのドアを開けた瞬間に
——ガツン!
頭を打つ。よりにもよって手術した頭。へっぽこはずっと帽子を被ってるから、まぁ平気なんだけど、ナゼ頭を打った?頭というか額だ。目の前のドアを開けるのにナゼ目のすぐ上にある額を打つ?
「どうかした?大丈夫?」
声をかけてくれるダンさんに
「ううん、何でもないよ」と返事をしつつ、内心は汗ダラダラ。頭をぶつけたなんて知れたら、病院に連れ戻されかねない。それは嫌だ。まぁ、帽子被ってたから大丈夫だろう。
そそくさと手を洗いに洗面所に行き、鏡の前で帽子を脱いでみる。うん、変わりない。傷口がぱっかり開いちゃったりはしてない。ホッとする。
放射線治療中はなるべく紫外線に当たらないようにと指導される。だから窓際にもあんまり行かない方がいいし、外に出る時は帽子必須。まぁ、その時のへっぽこは髪の毛が抜けちゃってたから、言われなくても帽子をずっと被っていたけどね。色違い、素材違いの可愛い帽子をプレゼントしてくれた妹にはホント感謝しかない。実はウィッグ(かつら)も一緒に送ってくれていた。だから病院でも何度か試してみたんだけど、薄い頭にはチクチクするのだ。可愛いんだけど、チクチクが辛くて妹がお見舞いに来てくれた数回しか付けられなかった。今も大事に取ってある。だってプレゼントしてくれたものだし、きっと高かったと思うから。いつかオシャレとして使えるかな、と。さて、どうだろうか?
しかし、ナゼ頭というか額を打ってしまったのかがわからない。ドアは外開き。だから手前に自分で引いて中に入ろうとしたのだ。なのに正面からゴンって、それお笑い?ヨロけたってわけでもないのに。だが、同じようなドジが続く。
入院中に使ったミニサイズのシャンプーやリンスを片付けようと、洗面所の流し下の棚を開けて中を覗き込もうとする。
——ガツッ
「ギャッ!」
思わず声をあげてしまう。
顎を強打した。中途半端に開けた扉の上の角に顎から突っ込んだのだ。これは物凄く痛かった。
「なんなのさ?もう!」
そして次、冷蔵庫を開けた。我が家の冷蔵庫は狭いスペースでも無駄なくということで両開き。でも大抵は流し台に近い左側を開ける。が、その時へっぽこは冷蔵庫の右側に居たので、右側を開いた。
ゴン。
冷蔵庫のドアを顔で受け止めてしまった。
——はい?
何をやっとんのじゃ?あたしは。
さすがにキッチンにいたダンさんに気付かれる。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫大丈夫。あたしドジで慣れてるからさー。アハハ」
いや、さすがにドジでも顔はぶつけないだろうが、笑って濁すしかない。
その後、へっぽこは念願のお風呂にゆったり浸かって、景気良く歌なぞ歌っていた。
ババンババンバンバン♪アビバノンノン♫
あ、そうだ。病院用のミニシャンプー使い切っちゃおう。
そんなことを思いついたのがいけなかった。お風呂場の隣が脱衣所兼洗面所で、そこの棚には先程入れたミニシャンプー&リンス。普段ならサッと取ってすぐ戻れる。でも、もう普段ではなかったのだ。
ズベッ、ドボーン!ガラガラガラ。
——やってもた。
哀れ、へっぽこ。ドリフのチョーさんのように風呂桶に沈む。
「大丈夫?」
当然飛んでくるダンさん。
「大丈夫、大丈夫。大丈夫だったら!シャンプー蹴っ飛ばして落としただけ!」
曇りガラス越しに叫ぶ。
うん、あんま痛くないし、大丈夫ダイジョーブ。石鹸踏んで滑るコントを笑っていたへっぽこだけど、もう笑いごとじゃない。石鹸がなくても転ぶのだ。結局、ごまかす為にドリフを歌い続けながら、必死でシャンプーしてリンスはすっ飛ばし、身体洗って肩で息をしながら脱衣所へ引き上げたへっぽこ。家の中とて油断ならない。でも、ニワトリ頭のへっぽこはそれをすぐ忘れるのだけど。
さて、気を取り直してパジャマに着替え、リビングに向かう。あ、ちなみにパジャマのボタンは、2回目の手術直後は上手くとめられなかった(段違いになったり、左側がまるで入らなかったり)のだが、わざとボタンの多いカーディガンを脱ぎ着して練習するようにしていたら、退院する頃には大分上手になっていた。それでも、今でもたまに段違いにかけてしまって、最後のひとつを止めてから段違いに気付いて、最初からやり直しになったりする。リハビリは長丁場なのだ。根気よくやり続けないといけない。自分の身は自分で何とかしようと思わないと反応してくれない。
入院中、作業が上手く進まずに、むくれるへっぽこに、根気よくリハビリ作業を促してくれた作業療法士さんにはホント感謝している。
何はともあれ、一応無事にお風呂は終わり、やれやれと自分の布団に潜り込む。
「やっぱ家はいいね」
なんて当たり前のセリフを吐いたりして寛ぐ。でもその時、夕飯準備や洗濯、翌日準備に大変だったのはダンさんだった。だって、へっぽこは退院直後で家事が出来ない。それに、不在にしていた数ヶ月の間に、台所はダンさん仕様になっていた。嫁姑ではないが、家にシュフ二人は何かと問題が生じる。それぞれやり方が違うからだ。
そんなダンさんも独身の時は全くと言っていいほど料理が出来なかった。米を洗剤でとぐレベルではないけど、野菜の皮むきは包丁では出来ず、ピーラーをオドオド使ってた。でもやってみたら面白いからと一緒にやっている内にハマってくれて、スパゲッティや炒飯なんかは、へっぽこよりずっお美味しく作れるようになっていた。そして休日にはそれを作ってくれたりお菓子にも挑戦したり。
一度覚えたレシピはほぼ完璧に再現出来るのだ。男性ならではだろうか。コックさんやパティシエ、和菓子職人は男性が多いが、丁寧で再現性を求められるような職人芸は、やはり男性に軍配があがる気がする。逆に、冷蔵庫や備蓄品で適当に、というのは経験や性質によるものが多いせいか、女性の方が得意な人が多い気がする。ただ、男性は真っ直ぐ目的のものに向かう性質なのか、調理しながら並行して片付けていくということはあまりしないように思われる。調理後の後片付けはへっぽこがやっていたが、「あー、これ使い終わった瞬間にサッと流せばすぐしまえたのに(涙)ということは多々あったが、作ってくれているのだ。なるべく口は出さないようにしていた。ま、それはともかく、褒めて伸ばすを一応心がけていたので、ダンさんも息子もそれなりに料理や掃除洗濯、家事一般が普通に出来た。
でも、それは今思うと、
いつか、あたしは倒れるだろう。だから、ちゃんと一人でも生きていけるように二人を育てておかなければ。
なんて予感があったのかもしれない。だからダンさんもだけど、特に息子には、救急車、警察の呼び方や向こうの応答、対する答え方や緊急時の護身法まである程度教えてあり、また料理も小学生に上がる前から子ども用の包丁を買って練習させていて、肉じゃが、味噌汁は当然のこと、卵は片手で割ってオムライス作るくらいまで一人でできるようにさせていた。そして、その通りに救急車を呼んで貰うことになる。
引き寄せの法則ではないが、悪い考えというものはなるべく思い浮かべないのがいい。現実化してしまうからだ。最近読んだ本では、ついうっかり悪いことを考えてしまった時には、
「あ、今のキャンセル!」
と叫べいいとか。本当かな?でも、悪いことことを考えないようにと思うと却って悪いことを考えてしまうものだから、そんな時の対処法を知っていると少し救われる気がする。だけど、退院してすぐのこのドジ連発には、さしものへっぽこも落ち込んだ。でも夕飯をいただいて歯磨きして布団に入り直したら、あっという間に眠ってしまった。
翌朝、というか病院モードだったのか早朝4時半に目が覚めたけど、病院の「転倒注意」ポスターを思い出して、そろりそろりとお手洗いに向かう。よし、無事に着いた。扉を開けて、中に滑り込もうとしたら、
ん?入らん。足元をよく見たら、スリッパがドアを抑えてる。猫一匹なら通れるだろうけど、へっぽこには無理。そんな隙間しかないのに、無理に通ろうとしていた。
あたし、突然歳取って気が短くなったんだろうか?真面目にそう心配した。
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