第28話 費用から始まる治療計画?


その夕方、U村先生がやって来て、ちょっとご相談が、とダンさんと共に呼び出される。


何だろう?


「治療は入院か外来か選べますが、どうなさいますか?」


なんでも、放射線治療と抗ガン剤治療は、入院でなく通院でも受けられるらしい。


「放射線治療は月曜から金曜の平日、一日一回。治療時間は10分、15分程度で終わります。抗ガン剤は一日に一回、決まった時間に、一粒飲むだけです」


それだけ聞くと確かに通院でも良さそうだ。



「じゃあ通院で」


と即答したかったが、仕事してるダンさんに平日付き添いを頼むのは無理。他に連れて行ってくれる人もなし。どうすべ、と悩んだへっぽこの顔を見てU先生は続けた。


「抗ガン剤服用中は、毎日血液検査をして、ある数値が一定基準を下回ると少しの期間服用をお休みして回復を待つ必要があります。また、数日間休んでその数値が基準値以上に戻ったら服用を再開します」




とのこと。


そりゃ大変だ。


 それからU村先生は少し声を落として、少し悩むような顔をした後に、続けてアドバイスをくれた。


「これは私の個人的な意見ですが、入院しての治療の方が体力面でも費用面でも、またご家族のサポート看護の面でも負担が少なくて良いのではと思います」




費用面?とへっぽこは不思議に思う。


何で?入院って費用が余計に沢山かかるんじゃないの?


一般的に、社会人、特に既婚者とか子どものいる人は医療保険に加入している割合が多い筈。それも入院期間中、一日一万円くらい給付されるものに。だって、入院すると一日辺りそのくらいかかりますよ、と雑誌などに書いてあるからだ。そして雑誌には「ライフイベントがある度に保険は見直しましょう」ともある。


 だからへっぽこも息子が産まれた時にダンさんと共に生命保険に加入した。


 会社にパンフ持って営業にやってくるような国内大手のものではなく、色々な保険会社の中から、その人に合ったものを選んでくれるという「保険の窓口」的なもので。


で、へっぽこ自身には葬式代程度の死亡保険と、貯蓄性が多少高いらしい学資保険的な積立生命保険を掛け、ダンさんには息子が18才になるまでに何かあった場合に備えた家計保障タイプと、入院にも備えた医療保険、また定年まで積み立てて老後資金にも出来るという保険を設定して貰った。だからダンさんが盲腸で入院した際には助かった。だが、へっぽこ自身には医療保険を掛けていなかった。だって掛け捨てってもったいないし。また、割安になるからと設定したボーナス時の年払い生命保険だけで支払いにアップアップだったから。美容院で見た主婦の雑誌に「一家の主婦が入院すると、ハウスキーピングや外食代など、意外な出費がかさむので、最低限の医療保険には入っておきましょう」と書いてあったのはパラ見していたのだが、まさか我が身に降りかかるとは思っていなかった(笑)「備えあれば憂い無し」って本当なのね。お間抜けへっぽこはいつも気付くのが遅い。


でも結果だけ書くと、それでもまぁ何とかなった。何故ならこの国には『高額医療費制度』という大変有り難い救いの手があったから。へっぽこは秘書を自称していたクセにその存在を忘れていたのだが、その制度を活用したら、月に◯万円が支払いの上限となり、超過分は後で払い戻しされることを改めて説明して貰い、利用させて貰うことになる。通院より入院の方が断トツに料金がかかるが、前述の通り、平日毎日通うのは現実的に無理だし、フラフラしてるへっぽこを家で看病してくれる人もなし。家事も出来ないのに退院してどーするって話になる。で、放射線治療が終わるまで入院して地理を受けることになる。そりゃ、正直言えば、家に帰って自分の布団で伸び伸び眠りたいけど、他に手がない。


 勿論、へっぽこの病棟にも個室はあった。壮年の男性が入って行くのを見たことがある。金額は倍以上するのだろうが、高額医療費制度の対象外だ。だけど中にトイレや洗面、シャワーもあるらしい。短期治療で差額ベッド代が払える人とかのものなのだろう。そう言えば、出産の時も個室の人がいたっけなぁと思い出す。へっぽこが息子を産んだのは公立の病院だったが、それでも個室なんてとても手が出せず六人部屋で頑張った。でもその後、へっぽこの弟の奥さんもダンさんの弟の奥さんも私立の病院で個室で産んでた。そう聞くと羨ましいとは思ったが、息子を切迫流産しかけた時に助けて貰った病院だったから、他を探すつもりはなかったし、口コミとかで評判の良い公立の病院で、当時のダンさんの職場からも一応徒歩圏内。入退院合わせても出産一時金の範囲内で収まったからいいのだ。と自分を慰めた。と言え、今思うと、出産なんて人生に一回二回あるかないかの最大級イベント。そんなに我慢しないで、こうしたいと自分の希望をを主張しても良かったのかも知れないが、清貧という言葉で自分を慰めていた。


そんなことをぼんやり思い出していた時にふと思う。切迫流座しかけ、その後に無事出産出来た病院の主治医のS先生はとても優しくて、どこかK田先生に似てた。でも、そう言えば、K田先生を最近見かけないぞ。


やっぱりどうしても不安のある抗がん剤について、K田先生に話を聞きたいなとその姿を探す。看護士さんに相談して何とか呼び出して貰うことは出来たのだが、少しだけ困った顔をされてしまった。


「ごめんなさい。へのさんの主治医はEらい先生に変わったので、私はあまり関与出来ないんです」




えー、なんで?担当変わったら話も出来ないの?




同じ病院内でも医療法人やら何やら、色々ルールやら複雑な関係やらあるようだ、と察したのは退院してからのことだったが、その時はK田先生に見捨てられたような気がして悲しかった。医療ドラマほど大仰でなくても、やっぱり縦社会だろうし、同じようなことはきっとあるのでしょうね。


 結局、K田先生とはそれきり会っていない。へっぽこの主治医はEらい先生になった。


「では、放射線治療が終わるまで約10週間頑張りましょうね」


 Eらい先生に、にこやかにそう言われる。穏やかな物腰で優しく話しかけてくれるのだかが、脳外科病棟で一番偉い先生と思うと、さすがのへっぽこもなんか我儘や相談を言いづらい。


それにしても10週間!改めて聞くとズドーンと暗くなる。


「また、同時に抗ガン剤の服用も始まります。時間はお昼ご飯の後、13時で。看護士が持参しますから、その時間はベッドから離れないでください」



「はぁ」




淡々と言われ、曖昧に返事するしかない。何せEらい先生なのだ。下手に逆らったら、後々、退院を許して貰えそうにないような気がしてしまう。



やがてマスクが準備出来たとのことで、治療が始まる。その頃、へっぽこは、バランスを取れない体をどうにかしたくて、リハビリにとなるべく院内を歩くようにしていた。だから治療室までも歩いて行こうとしたのだが、


「放射線の治療後は、健康な人でもフラつくことがあるので、車椅子で行きます」


と看護士さんにビシッと言われてしまう。


 つか、そんな危険なビームを浴びせんのかよ。


溜息しか出てこんわ、まったく。でもその時のへっぽこには他に道がなかった。



そして、それに乗ったのだが、多分それで間違いではなかったのだ。必要に応じてコトはやってくる。

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