第3話 ほのぼのとした日常

 大学生活が始まるまで、ある程度の時間は残されている。そのほとんどを使って光は食べ続けた。両親に何を言われようと構わない。拓馬に精気を与えた。

 その日々の努力が実り、光の目に拓馬は実物と遜色そんしょくのない状態で見えるようになった。全身、どこも透けたところがない。端正な顔立ちは磨かれ、人間らしい魅力に溢れた。

 青空に恵まれた日曜日、二人は散歩に出かけた。手を繋いで歩いていると拓馬が声を上げた。

「光、あれを見てよ」

 目を向けると『春のコーデ特集』のポップが目に付いた。ショーウインドーに飾られたマネキンは白いシャツに黒いジャケットを合わせていた。スリムパンツはブラウン系で全体的に清潔感が漂う。

「拓馬の好きな服装だったりする?」

「キレカジ系はいいよね。今はこんなランニングシャツだし」

「季節を先取りしているって思ったら?」

「そんな良いもんじゃないよ。もっとオシャレな格好で死にたかったなあ」

「死んだらダメだよ。そこは全力で走って逃げないと」

「あ、そうだよね」

 朗らかに笑う拓馬に光も釣られた。前からきた中年男性は腑に落ちない様子で通り過ぎた。

「……おかしい人って思われたのかも」

「仕方ないよ。僕は光にしかわからない存在だし」

「まあ、そうなんだけど」

「だから、こんなこともできるんだよね」

 拓馬は握っていた手を離した。光の正面に立って抱き締める。

「……拓馬、周りに人がいるんだけど」

「僕の姿は誰にも見えないよ」

「そうだけど、なんか恥ずかしい……」

 光が突き放すことはなかった。拓馬の胸に赤らんだ顔を押し付けた。


 二人は気ままに歩いて会話を楽しんだ。空が夕陽で燃える頃、仲睦まじく腕を組んだ姿で家に帰ってきた。

「ただいま」

 光は玄関で靴を脱ぐと鼻をヒクヒクさせた。

「なんだろう。香ばしい匂いがする」

「たこ焼きかな。僕の家にもあったんだよね。たこ焼きプレート」

「家では見たことないよ」

 急ぎ足でキッチンへ向かう。

「おかえり。今日は春キャベツが安かったからね。夕飯はお好み焼きにするよ」

 ガスコンロの前に立った母親が豪快な笑みで振り向いた。

「フライパンが三つもあるね」

「誰のせいだと思っているのよ」

 母親の威勢の良い声を光は受けて立つ。

「育ち盛りだからね」

「今さら、どこが育つのよ」

 言い返された光はちらりと拓馬を見た。にこやかな顔で二人の会話を聞いている。

「胸かな」

「あまり大きくならない方がいいよ。年を取ると重力に負けるからね」

「説得力があるね」

「どこ見てんのよ! まだ垂れてないんだからね!」

 母親の荒ぶる声に拓馬が声を出して笑った。光は口だけにとどめてキッチンを後にした。

 夕飯の時間となった。向かう途中で母親の呼ぶ声を聞いた。

 光はキッチンに入ると大きく息を吸った。肺は甘辛いソースの匂いに満たされた。

「大食いに打って付けの一枚だよ」

「本当に大きいね」

 言いながら光は席に着いた。取り分ける小皿はなかった。大きな皿に一枚のお好み焼きが堂々とした存在感を放つ。両親の分を見ると一枚を小皿に切り分けた状態で置かれていた。

「大きいのもあるけど厚さが凄いよ。四センチくらいありそう」

 後ろにいた拓馬が前に出て横からまじまじと見る。

「熱い内に食べなよ。父さんはあとでくるから」

「じゃあ、いただきます」

 ナイフとフォークを手にした光は端から切り分ける。一口サイズにしてフォークに突き刺し、口に押し込むように入れた。少し驚いたような顔で、よく噛んで食べた。

「エビが入っているんだね。あとコリコリしたのはイカかな」

「当たりだよ。タコも入っている豪華版だからね」

 ナイフを持ったまま親指を立てる。

 一枚目が食べ終わった。おかわりと光が言う前に母親は立ち上がる。空になった大きな皿を両手で運び、フライパンで待機していたお好み焼きを載せた。レンジで軽く温める。取り出すとソースとマヨネーズを駆使して表面に網目模様を加えた。最後に鰹節かつおぶしを振り掛ける。

「こんな大きさも見慣れてきたよ」

「同感だ」

 母親に同意した父親が自分の席に着く。

 三人と幽霊を含めた一人を加えて賑やかな夕飯となった。

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