第18話 おまけ、ある少女の想い
※正直蛇足と感じる方も居ると思います。
ラブコメ成分多めかもしれません。
「いや明日から三連休だろ? お前が休みを忘れるとか、明日は槍でも降るんじゃねえ?」
「う、うるさいなあ! じゃあまたね!」
ガチャ! バタン!
勢いよく閉めた玄関の扉は、まるで抗議しているかのように大きな音を立てる。
「おかえりなさい。あらどうしたのー? そんなに怒ったような顔して」
扉の音に反応してか、母親がこちらに話しかけてくるが、余裕のない美咲は目にも止まらぬ速さで靴を脱いで二階に上がる。
「ごめんお母さん! 私部屋にいるから!」
「ちょっと美咲! 手は洗いなさいよー」
自室に飛び込むように入った美咲は制服を脱ぎ、胸部をキツく締め付けるサラシも脱ぎ捨て部屋着に着替えたあと、ベッドにダイブする。
「あーー……。よかったぁぁ……」
顔を枕に押し付けながら、胸を撫で下ろす。
その理由はもちろん美咲の想い人である竜司のことだ。
美咲は彼が告白を断ったということに心底から安心していた。
放課後、いつものように一緒に帰ろうと誘った美咲の前に現れた一通のラブレターは、彼女の心を容易く落ち込ませた。
正直なところ、考えなかったわけではない。竜司は見た目も悪くはないし、ヤンチャそうな外見とは裏腹に真面目なところもある。
運動神経は当然のごとく良いし、学力も上から数えた方が早いほどだ。
それらを加味すれば、まるで少女漫画にでも出てきそうなスペックをしていて、実際に美咲は竜司のことを好いている。
当然他の女子だってそうなってしまうこともあるだろうとわかってはいた。今までは偶然そんな女子が出てこなかっただけだとも。
けれどまさか自分が「竜司がラブレターを受け取った」というだけのことで、あそこまでショックを受けるだなんて思ってもみなかったのだ。
もしそのまま竜司が他の女の子と付き合ってしまったら。そう考えるだけであんなにも暗い気持ちに染まってしまうなどと予想だにしなかった。
自分はずっと竜司の友達でいるつもりだったし、この気持ちを伝えるつもりもなかった。それに美咲は竜司が他の女子と付き合ったとしても、胸に秘めたこの恋心を隠し通せると自負していた筈だ。
だが美咲の心を占める竜司への想いは、想像よりもずっと巨大だったのだ。
自身の抱く感情を侮っていたなんておかしな話かもしれないが、美咲のわずかばかりの自負さえも消し去ってしまうほどに、彼へ抱いている
今まで隠し通していたというのは錯覚に過ぎない。ただ満たされていたから平気なふりを続けられたというだけのことだ。
竜司の隣に居られるから。そういったある種の安心感があって、事実、竜司の親友という立ち位置でいつだって彼のそばに居た。
彼の笑顔をそばで見続けて、きっとこれからも一緒に居られるだなんて思ってもいた。
恋する乙女が抱く「もっとそばに居たい」「もっと触れていたい」「もっと笑って欲しい」という願望は異性だからこそ叶えることは難しい。
だが美咲は自らを男と偽って竜司と友人関係を築いているから、そういった欲は常に満たされていた。そのせいでこれ以上欲することはないと、これ以上竜司を求めることはないと思い込んでいた。
言うなれば美咲の恋心はいつでも満腹状態をキープしていたのだ。
だからこそ飢えるはずもなく、恋焦がれるほどに強く竜司を求めたこともなかったというだけ。
けれど栄養を蓄え続けたその感情は、美咲ですら持て余すほどに膨れ上がってしまっていた。
それこそ、たった一つの綻びであそこまでショックを受けてしまうほどに。
充足感を失ったそれはまた満たされたいと願い、竜司を求めて止まない。まさに今日初めて、美咲は燃え盛るほどに竜司を想ってしまったのだ。
実は高校に上がる際、両親に全てを打ち明けて女の子として通うことを考えたことがあった。
それもひとえに竜司と恋仲になりたいという想いを捨てきれなかったから。
けれど結果として美咲はまだ《翔太》で居続けることを決意した。
両親にあの事件の全貌を打ち明けることが少しばかり怖かったというのもあるが、それ以上に竜司との友人関係に終止符を打つことを恐れたが故の決断だった。
いや、決意だとか決断だとか格好いい言葉で誤魔化しても、それは単なる逃げでしかない。「居心地の良い現状を出来るだけ維持したい」という、停滞を望む臆病な自分を守りたかっただけ。
情けない。いつも親友だと言ってくれる彼は今日、あんなにも勇敢に美咲を救い出してくれたというのに。
そこまで思考を巡らせると、今日のことを思い出して美咲の顔は熱くなる。
「うあぁぁぁ。竜司ぃぃぃ、格好良すぎだよーー……」
枕に顔を押し付けているせいでくぐもったその声が、さらに実感を持たせてくる。
彼はまるで少女漫画のヒーローのように、怯えて立ち尽くすだけだった美咲を助けてくれた。
更にそれだけでは飽き足らず、美咲を抱きしめたまま名前まで呼んでくれた。まあ呼ばれた名が翔太だったのは残念だが、今日の竜司があまりにも格好良かったのは紛れもない事実だ。
彼の腕が自分の体を抱きしめていた。それが嬉しい、いやもうそんな言葉では足りないほどに嬉しすぎる。
どう形容すべきかわからないほどの感情に美咲は悶えた。
「うぅぅぅぅ……」
もっと抱きしめて欲しい。今日のように優しく抱きかかえるのではなく、それこそ恋人同士のような熱い抱擁を求めてしまう。
痛いくらいに、いっそのこと竜司の腕の跡が残ってしまうんじゃないかというくらいに、強く抱きしめて欲しいだなんて思ってしまう。
もっと触れていたかった。もっと彼のそばに居たい。望みは無限に湧いてきて、美咲の思考回路を占領する。
自覚してしまえばもう止まらなかった。ブレーキなどという概念は大気圏の彼方まで吹っ飛んでしまったかのようで、欲するほどに、焦がれるほどに、竜司の顔を思い浮かべては胸が苦しくなる。
そうだ。今まではずっと逃げてきた。
他でもない。自分自身が抱くこの感情から。
過小評価してもいた。彼に恋人ができようとも隠し通せるだなんて自惚れるほどに。
でももう逃げることはできない。
胸を焦がすこの炎はどうあがいても消すことなど叶わない。
今日のことで嫌というほど理解した。いや、理解させられた。
きっとこれは翔太というキャラクターを演じて、竜司の一番近くに居続けようとする私に下された罰だ。
美咲の抱く恋を翔太という人物によって隠し続けるズルを見て、きっと神様が怒ったに違いない。
なんのリスクもなく自分の性別を偽ることで竜司のそばに居たいだなんて、あまりにも都合の良い考えだった。
でも今はそれを望んではいない。
美咲はもう、親友というポジションで満足できるわけがない。
なぜならば、もう気づいてしまったから。
あの悪霊が目の前に立って、死をも悟った美咲が思い浮かべたのは。
母と父の顔……そして……
「竜司……」
彼の笑顔だった。
奇しくも今日のラブレターとあの悪霊のおかげで、美咲は自身の胸の内を占める感情を直視したのだ。
直視せざるを得なかった、という方が正しいかもしれない。
きっともう、親友という関係ではいられない。
それ以上を望んでしまう。それ以上を求めてしまう。
そしてもう一度、抱きしめて欲しい。
そうなんだ。
もう誤魔化すことなんて不可能なくらいに美咲は……
「竜司が、好き……」
自分の口から出た言葉が鼓膜を叩く。
しかしそれが不快感をもたらすことはなく、確かな実感とともにすっと胸に染み込んでゆく。
今ならわかる。自分が最も恐れていることが。
両親にあの日の事件の全てを話すこと? 違う。
自分の性別を偽ることをやめて、竜司との友情を壊してしまうこと? それも違う。
今の美咲が最も恐れているのは、彼に想いを伝えられないまま、胸に居座る恋心を隠し続けることだ。
もしそんな愚行を押し通してしまえば、焦がれるこの感情によって、美咲の魂が燃え尽きてしまうんじゃないか。
そんな考えが馬鹿馬鹿しいと切り捨てることができないほど、美咲は竜司を想ってしまっている。
もう無理だ。隠し通せるわけがない。
こんなにも竜司への想いを募らせて、よくもまあ今まで平気だったなと、我が事ながら驚愕に値する。
もはやそれは吹けば消えてしまうような淡い恋などではなく、胸焼けしてしまいそうなほど濃く煮詰まった恋だった。
だったらもう、行動する以外にない。
ブレーキは効かない。一度火がついてしまえば止まらない。
ならばあとは前に進むしか、この胸の疼きを抑える
「よし……!」
その日、美咲が両親にどんな話をしたのかは、想像に難くないだろう。
「ねえ、お父さん、お母さん。ちょっと話があるんだけど……」
〜〜〜〜〜〜
彼はどんな反応をするだろうか?
お母さんは制服が似合っていると言ってくれたが、彼は褒めてくれるだろうか?
いや、きっとこれでもかというほどに驚くに違いない。
「ふふふっ……」
少女は玄関のドアノブに手をかける。
今日もまた、彼の隣を誰にも譲らないと心に決めて。
ガチャ……パタン。
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