第12話 ある少女
そして翌日。
いつものように登校して、普段と同じように授業を受けつつ、しかし竜司の様子は心ここに在らず。もちろんその理由は寝不足のせいというだけではない。
いつなんどきトゥエルブが霊力を回復させて襲撃してきてもおかしくない状況で、授業に身が入るわけがなかったのだ。
しかしいくら神経を研ぎ澄ませようとも、脅威は身構える者に訪れることなく放課後になる。
まあこんな人の多い場所で無作為にサイコキネシスを連発されたら大惨事になること間違いなしだ。このタイミングで来ないことはこちらとしても望ましい。
もちろんそうなった場合には好きにさせないつもりではあったが、授業中にトゥエルブが来なかった事実に安心する。緊張の糸を緩ませ、ホッと息を吐いた。
授業が終わり、帰り支度をしたり友達とおしゃべりをしたりと、クラスメイト達がガヤガヤと騒ぎ出す。そんな教室の喧騒に呑まれながらゆっくりと立ち上がった竜司。
すると近寄ってくる人影が、ポンと背中を叩いて話しかけてきた。
「今日も疲れたねー竜司。さ、帰ろ帰ろ」
その人影は小学生と
穏やかそうな印象を受けるタレ目には光が宿り、可愛らしく整った顔には放課後を待ち望んでいた事がヒシヒシと伝わってくるほど晴れやかな笑顔が浮かんでいる。
「おー翔太か。全くお前はいつもいつも下校が近付くたびに元気になるよな。授業嫌いすぎだろ」
「いや授業大好きな人の方が珍しいよ普通に考えて。あっ、そうだ。珍しいといえば今日の竜司は変だったね。いつもはその茶髪がウィッグかと思うくらい真面目に授業受けてるのに、今日はずっと上の空だったし」
「ウィッグじゃねえよお前ちょっとツラ貸せや。いちいち余計な一言付け加えねえと死ぬ病気にでもかかってんのか?」
「え? それは僕と二人きりになりたい……ってこと? まだちょっと心の準備が……」
「うおおおい待てコラ!? 教室のど真ん中でそんな発言してんじゃねえ!」
「うんわかった。こういうセリフは二人だけの時に……だね?」
「バカかテメエは!? いい加減その減らず
「こ、こんな所でキスしたいなんて大胆すぎるよ竜司……」
「もーー俺が悪かったから勘弁してくれーー!!」
「あはははは! やっぱ竜司はおもしろいね! さ、もうそろそろ帰ろうか」
まるで漫才のような会話に区切りをつけて、翔太がそう切り出してくる。いつもと同じ光景だ。
だが竜司は普段と異なる返事をする。
「あーいや、ちょっと待ってくれ。この後用事あるんだ」
「ん? なんの用事?」
首を傾げる翔太に、竜司は一通の手紙を見せる。
ピンク色の可愛らしい
「へえ〜、今どきラブレターかぁ。珍しいどころか絶滅危惧種だよね」
「まあ俺もそう思うが、一応呼び出されてるから行かなきゃ駄目だろ」
正直、竜司としてはトゥエルブとの問題がある状態でこういった物をもらっても困ってしまうのだが、だからといって無視をするのも失礼だろう。
「相手の名前は? どこのクラスなのかな」
だがそんなことはお構いなしに翔太は質問してくる。何がそんなに気になるのやら、色恋の話とあらば首を突っ込まずにはいられない
まあ今まで竜司にはそういった浮ついた話が無かったから、友人として気になっているだけだろう。竜司はそう結論付けて翔太に返答する。
「別に誰でもいいだろ。つーかこういうことを言いふらすのも気が引けるだろうが」
「うーん、それもそっか。僕も同じ立場だったらあんまり広まって欲しくないし」
竜司の言葉に翔太は大人しく食い下がる。
かに思われた次の瞬間、ニヤニヤと笑みを浮かべて竜司の脇を小突いてきた。
「それにしても良かったじゃん竜司ぃ〜。女子から告白されるなんて、もしかして初めてなんじゃない?」
「なんだそのテンション。世話焼きおばさんかよ」
竜司のツッコミに笑ったあと、翔太はそそくさと帰り支度を済ませて教室のドアへと向かう。
「そういう事ならお邪魔虫は先に帰るよ。相手のことは詮索しないけど告白がどうなったかだけはちゃんと教えてね。んじゃ、さよならー」
「おう、また明日なー」
いつものことながら親友との楽しい会話を終えた竜司は、先ほどの発言にどことなくデジャブを感じてはたと気付く。
「あっ! 奇跡屋の話、すんの忘れてたなー……」
昨日の別れ際に教えてくれと言われていたのに、気を張っていたせいで話すタイミングを見失ってしまった。思い出したものの、(まあ明日でも構わねえか)と考えながら、手紙に書かれた場所へ向かう竜司であった。
〜〜〜〜〜〜
少女は歩く。
とぼとぼと、足取りは重い。
肩まで伸びた髪にもその重量が伝播したのか、頭は下がり必然的に足元を見てしまう。
これではいけないと顔を上げれば視界に入るのは灰色だけ。今日は朝からずっと曇天で、それがまるで今の自分の心境と重なっているように思えてならない。
去り際には普通の顔でいられただろうか? 悲しげな表情を彼に見せてはいないだろうか? 正直自信はない。
いつもはあっという間に家に着く帰り道なのに、なぜだか今日はとても長いような気がする。その理由はもう分かっているのに、事実を直視することが困難で、無意味な自問が顔を出す。
明日はどんな顔をして学校に行けばいいのだろうか? 考えても仕方のないことが頭の中でぐるぐると回り、無駄に思考回路を占領する。
いつもより重力強めな帰路に辟易しつつも、少女は歩く。
そんな中、突然ピタリと足を止めた。
感じ取ったのは背筋に走る寒気。そして空気すらも汚してゆくような怨念の気配。悪霊が近付いてくるとき特有の感覚が魂まで届いてくる。
今日だけは会いたくはなかった。思わずため息をつきそうになるが、かといって無視もできずにあたりを警戒してふと違和感に気付く。
おかしい。悪霊の気配がさらに濃密になってゆくような気がする。一秒ごとに不快感は増し、比例して恐怖も湧き上がってくる。
あまりにも大きな霊力のせいで、肌がざらつくかのようだ。周囲へ無作為に撒き散らされるどす黒い霊気が、自分の魂を恐怖で侵蝕してくる事が明確に理解できてしまう。
それはひどく恐ろしい事態であった。
呼吸が乱れる。息が苦しい。周囲の空気が粘性を持ってしまったようで、漂う怨念が喉をヒリつかせる。
こんな状況は未だかつてなかった。いや、あるはずがなかった。明らかに常軌を逸した霊力量を保有する存在に、本能が警鐘を鳴らす続ける。
本体はまだ見えてすらいないのに、ただ霊気を感じ取っただけでこれほどまでに恐ろしいと思ってしまう。もし悪霊の姿を目にしてしまえば……
「あ……」
そんな少女の心を読み取ったとでもいうのか。
まるで通勤中のサラリーマンのようにスッと曲がり角から現れた黒い影が、少女の目の前に立ち塞がる形でピタッと止まる。
たったそれだけの動作が、少女の胸に絶望を叩きつけてきた。
ドクンドクンと脈拍が早まるたびに、血液が酸素と共に恐怖心すらも全身に送り届けているような錯覚に陥る。恐怖の割合が高まりすぎると人は身動き一つできなくなるんだなぁ、としみじみ思ってしまうのは何故だろう。
本当は今すぐに膝を折ってアスファルトに座り込んでしまいたいのに、それすらも許されない。本当は今すぐにこの悪霊から目を逸らし、自分の体を抱きしめて泣き叫びたいのに、瞬きさえも叶わない。
少女はただ立ち尽くしたまま、指一本さえも動かせずにいる。ともすれば時間すら凍りついたかと思うほど、両者は止まったまま数秒が経った。
見た目にはただの悪霊と変わらず、いつもならサイコキネシスで撃退するだけなのに、眼前のこれは一体なんなのか。
疑問の答えは、出なかった。
なぜなら黒い影が静寂を破り、自分へ殺意を向けてきたから。時は流れ方を思い出し、悪霊が拳を振りかぶる。
一秒後、いや一瞬の後に自らを襲う攻撃は、間違いなく命を奪うことだろう。あまりにも早い動きに、恐怖で竦み上がった少女が反応できるわけがない。
確実な死の予感は少女の精神に深く絶望を刻みつけ、生存本能を放棄させた。
死を目前にすると人は走馬灯を見るという。
それは少女もまた例外ではなく、過去の光景が車窓から眺める景色のように流れてゆく。物心ついた時から今まで、幸せな一コマだけが切り抜かれ脳裏をよぎる。
無意識下で幸福な日常に帰ることを望んでいるのだろう。けれど一瞬の内に凝縮された記憶が流れても、現状を打開する術が見つかるはずもなく。
幸せな日々を思い出すたびに、絶望が胸をきつく締め付ける。
そして最後に思い浮かべるのは母の穏やかな笑顔、父の朗らかな笑顔、そして、
(せめて……せめてもう一度だけでも……)
しかしそんな小さな希望さえも欲張りだと切り捨てるかのように、黒い拳は既に目前に迫り、少女は祈るように目を閉じた。
それは死を受け入れたがゆえの
逃れられぬ結末を直視してしまわないように、瞼に力を入れてギュッと目を瞑る。
………。
…………。
しかし待てど暮らせど覚悟したはずの痛みは訪れず、その代わりとばかりに届いたのは鼓膜を叩く大きな声だった。
「おい! 大丈夫か!」
耳が受け取る声は、少女が望んでいた彼のものによく似ていて。
けれどそんな都合の良いことが起こるわけがない。想い人が自分の危機に駆けつけてくれるなんて都合のいい妄想だ。
そんなふうに断じてあり得ないと考える脳とは裏腹に、少女は瞼をそっと開けた。
これはあの霊が見せる悪夢かもしれない。目を開けた瞬間に「騙されたな」とこちらを嘲笑い、今度こそ命を奪うのかもしれない。
だというのに、少女は目を開けずにはいられない。恋焦がれる彼の姿を見られる可能性がたった1%でもあるなら、少女は何度でも同じ選択をするだろう。
そして少女は瞼をずらし、網膜に光が飛び込んでくる。
「おっ、目ぇ開いたな。ったく無事なら返事くらいしろよ」
突然の光に目が慣れて、瞳に映るのは彼の顔だった。
ツリ目で勝ち気な雰囲気を感じさせる、格好良く整った顔立ち。
間違いない。間違うはずがない。
大好きな人の安心した表情が、少女の心にこびりついた恐怖を、胸を締め付けていた絶望を優しく洗い流す。
「聞いてんのか? 返事しろって!」
彼の声に応えたい。けれども喉は声の出し方を忘れてしまっている。
胸中が絶望に染まったせいで強張った喉に、ゆっくりと呼吸を通してほぐしてゆく。
スー、ハー。
それが功を奏して、深呼吸するたびに喉は少しずつ柔らかさを取り戻す。
しかし少女の事情を知る由もない彼はいつまで経っても返事をしないことに焦燥感を覚え、声を荒げて様子を確認する。
「まさか、聞こえてねえのか!? 頼む、返事してくれよ!」
こんな状況だというのに、自分の身を案じて心配そうな顔をしてくれることが心底嬉しくて、少女の瞳に雫がたまる。
けれども涙を流す様子を見て、焦りを募らせた彼はたまらず叫んだ。
少女の名を。
「
「りゅうじ……、りゅうじ〜……」
少女の心を
否応なしに滲む視界に、少女はなおも
そうだ。竜司はいつだって、少女に希望を与えてくれる存在だった。
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