第5話 また明日

 あれからどれほどの商品の説明を聞いたのだろうか。

 興奮して早くなった鼓動に呼応するかのような質問の嵐を受け止めてくれたゼロには、感謝してもし足りない。


「ああー、すげえ楽しかったっす!」

「お客様に喜んでいただけたようで、私も嬉しく思います」


 二人は今、店内の奥まった位置にある休憩スペースで共に休んでいた。


 流石の竜司も常に早足で駆ける鼓動に音をあげ、休むことにしたのだ。そんな提案にもゼロは冷静に対応し、この休憩スペースへと竜司を誘った。


 二人が来た休憩スペースに置かれていたのは、大きめの円卓を囲む四つの椅子たち。竜司とゼロは向かい合うように座り、数秒と経たずにもう一人、その空間に足を踏み入れてきた。



 コツ……コツ……。奇しくもその人物は、ゼロと同じような微かな足音を連れ添いながら近づいてくる。


 その女性に、竜司は目を奪われてしまった。


 初めに目に飛び込んできたのは、夜空を凝縮したかのような美しい髪色。

 それは藍だとか紫だとか黒だとか、既存の色彩には収まらない色合いをたたえている。


 宇宙のかけらをその身に宿しているといえば良いのだろうか。いや、彼女のためだけに宇宙のひとかけらを加工して髪の毛を形成している。と言った方が適切かもしれない。


 竜司には、否、たとえどんな文豪がここに居合わせたとしても、この髪を表現することは不可能だろう。語彙力を超えるその髪は透けて見えたかと思えば、見渡せぬほどに深くなる。そんな雲一つなく澄みきった夜空のような色に、竜司の瞳は囚われてしまった。


 見惚れていた目を取り戻した竜司は視線を少し下げ、眼球のあるべきところを見やる。するとそこには、紫紺しこんの輝きが居座っていた。装飾品に例えることも不可能なその色は髪の毛と相まって、彼女を夜の精霊であるかのように飾り立てる。


 顔全体のパーツは彫りが深いとか、鼻が高いといったわかりやすい特徴はない。けれど鼻も目も口も、全てが黄金比で配置されているのかと思うほどに完璧であり、可愛らしさを惜しげもなくアピールしてくる。


 身体的特徴も突出して胸が大きいとか、脚線美が素晴らしいとか、出来合いの言葉では言い表せないものである。

 彼女の体は女性的な曲線を描きつつも、実在するどんな美女だろうと敵わないと悟るプロポーションを見せつけてくる。古めかしい印象を受けるメイド服を着ていてもそう思えてしまうのだから、もはやそれは恐ろしくもあった。


 しかしそんな印象とは裏腹に背は低く、おそらくは翔太よりも少し高いくらい。

 こんな小さな女の子にも身長で負けてしまうとは、なんてここには居ない友人をからかいたくなるのは何故だろうか。


 きっと無意識のうちに、この美貌に見惚れて不躾ぶしつけな視線を送ってしまわぬようにしているのだろう。


 ゼロを見た時は、金髪や顔の彫りの深さなどが特別美しくはあっても、その容姿の特徴自体は竜司の脳内にも存在する表現でなんとかなった。けれど彼女に至っては次元が違う。


 ゼロの容姿は彫刻のようだ芸術品のようだと、竜司の語彙力を総動員すれば言い表すことができたが、彼女の外見はそうはいかない。


 人形だろうと彫刻だろうと、どれほど多くの芸術品が肩を並べたところで、彼女の美貌には追いすがることもできないだろう。


 なんと言えばいいのかわからない。あらゆる言葉を尽くしてなお足りない。この美しさを表現できぬことが殊更ことさら口惜くちおしい。


 かろうじて言葉で伝えるとするならば、彼女はという一文字を肉付けした人物だと言う他ない。


 あらゆる神話に登場する美の女神たちが束になっても及ばない。そう確信できるほど綺麗な女性は、ティーセットを持って竜司とゼロに近づくと、


「お客様、ゼロ様。お茶をお持ちしました」

 と声を発する。脳に響くそれは高級なオルゴールのごとき声だ。


「ありがとうございます。さすがの早さですね。ユナさん」

 ゼロは椅子から立ち上がり、礼を述べる。どうやら彼女が、先ほどゼロが言っていた人物らしい。奇跡屋で出会った記念すべき二人目の人間となる。


 しかしこうして見ていると、ふと思いつく。この店に来た客は必ず「まるで奇跡みたいだ」という言葉を残すとゼロが言っていたが、もしかすると商品ではなくこの二人を見て言ったのではないか? と。


 執事服のゼロとメイド服のユナ。服装も絶妙な加減でマッチしていて、そこがまた素晴らしい。


 二人が揃っているこの景色は、どんな絶景すらも凌駕する。これこそまさに奇跡と言えよう。


 そんな竜司の思考をせき止めるように、ゼロが話しかける。

「リュウジ様。こちらが先程お話しした従業員のユナさんです」


「初めまして、お客様。ゼロ様のお手伝いをしております。ユナと申します」

 彼女はそう言ってから、腰を折り礼をする。しかしその仕草はゼロのそれには及ばず、彼の真似をしているように見えた。


 しかしそのように少し不慣れな礼ですらも、竜司の思考を占領し、その瞳を奪いにかかってくるのだから、もはや美貌による暴力と言ってしまっても差し支えない。


 けれどいつまでも見惚れているわけにもいかず、自己紹介を返さねば思った竜司は少し強ばる喉に音を通した。


「初めまして、井上竜司っす」

 見惚れてしまっていたせいか、はたまたその容姿に見合わぬぎこちない礼を見たせいか、竜司はひどく無感動に言葉を発してしまった。


 しかしそんなことはお構いなしに竜司は思考に囚われてしまう。

 お手伝い、という単語も不自然というわけではないのだが、なんだか幼い印象を受けるし、もしや見た目よりもずっと年齢は若いのかもしれない。


 ここまで不思議な物や事柄に触れに触れてきたのだから、今更見た目とは異なる年齢だと言われてもすんなり受け入れることができそうだ。


 そんなふうに考えていると「それでは失礼いたします」と声を残し、ユナはするりと滑らかな動作で視界から消えてしまう。もしや先ほどの感情の欠落した返事を嫌がってしまったのか。


「申し訳ございません。ユナさんはお客様と接することがあまり多くありませんので、少々人見知りをしてしまうのです」


「いや、大丈夫っすよ。気にしないでください」

 どうやらその危惧はまとを外したようだ。ホッと息を吐く。


 ゼロの言葉によると、彼女は裏方というか、客の目につかないところで仕事をするのだろう。


 きっとそれは賢明な判断だ。ゼロもまた美しいが、彼女が客の前に出てしまえばいどのような状況になるのか想像もつかない。


 ともあれ視界から居なくなってしまった人物のことを、わざわざ根掘り葉掘り聞き出すのも気が引けたので、竜司は別の話題を切り出す。


「そういえばこの店で商品を買う時って、何を払えばいいんすか?」

 それはなんとなく気になっていた。


 様々な世界から商品を集めたとゼロは言っていた。ということはつまり、様々な世界から客が来ると言うこと。


 それは「言語の壁をなかったことにしている」という発言からも理解できる。あらゆる言語を話す人たちがこの店に訪れているという証左にほかならない。


 だからこそ疑問なのだ。異なる世界、異なる時代から来た客に何を支払ってもらっているのかが。まさかとは思うが、日本円が通用するわけではないだろう。


 竜司の疑問にゼロは慣れた様子で答える。

「お客様が商品きせきを購入される際には、その品と同程度の奇跡による等価交換をしていただく場合と、あるいは心気しんきを支払っていただいく場合がございます」

「心気?……ってなんすか?」


 もはや予想すらしていたが、またも聞き慣れない単語が飛び出してきた。

 疑問を聞けば謎が増える。予定調和にすらなりつつあるこの現象は、きっと奇跡屋でのみ出現するものなのだろう。


「心気とは、魔導士にとっての魔力。呪術師にとっての呪力。そしてリュウジ様のような霊能力者にとっての霊力。生物ならば誰しもが持って生まれる精神体に秘められた、神秘を引き起こすエネルギーの総称でございます」


 歌を歌うように、至極滑らかに言葉を吐く。


「そしてその心気は、血液が肉体を循環するのと同じように、精神体を循環しています。ですから……そうですね、簡単に言ってしまえば、お支払い方法は精神体による献血、と思っていただければよろしいかと」


「なるほど……確かにそれなら、どんな人でも商品を買えますね」

 けれど、お金ではなく霊力で商品を買えるだなんて、これもまた常識はずれな話だ。


 非常識で、非日常で、非現実的。

 だからこそこの店は、途轍とてつもなく面白い。


 その感動を胸に、話している間にちょうどいい温度になった紅茶を、一気に飲み干す。以前から紅茶というものは独特な風味があって苦手だったはずなのだが、これは何故だか美味しく感じた。


 もしやこれも見た目とは全く異なる飲み物なのだろうか。喉を潤すために飲んだだけのものですら、そんなふうに思考の中心に居座ってしまうのだから大したものだ。


 またもや思考を巡らせていると、ゼロが話しかけてくる。

「それではお客様。右手を出していただいてもよろしいですか?」

 竜司はすんなりとその言葉を受け入れ、右手を差し出す。


 するとゼロは、またしてもどこからか道具を取り出した。あの有名な猫型ロボットですら道具を出す瞬間は見られるというのに、彼に関してはそんな様子も一切ないままに、いつのまにか道具を手にしているのだから驚きだ。


 少しレトロな雰囲気の飲食店に置いてある、店員を呼び出すために使用する小さな鈴。


 それに似ているとかではなく、そのまんまな形状をしているものだから、今それを取り出して何をするのかが全くわからない。

 あるいは先ほど見たユナという少女を呼び出すための道具なのかも?


 困惑する竜司をよそに、ゼロは竜司の右手の甲にそれを押し当て、離す。

 するとその瞬間、ポワッと音を奏でるような淡い光が発生し、竜司の右手の甲に小さなベルのマークを残したではないか。


 その鈴のマークはピンクの光を残しながら、数秒で消え去ってしまう。

 押した部分に模様を残す様子から察するに、どうやら鈴ではなくハンコだったようだと認識を改める。


 光がなくなってから、ゼロが声をかけてきた。


「そちらは入店許可証のような物と思っていてください。この店の商品きせきを全て見終わるまでには、まだ多くの時間がかかってしまいます。ですので今日はもうご帰宅なされて、明日あすまたご来店していただく。というのはどうでしょうか?」


「マジすか! よっしゃ!」

 竜司はその提案を一も二もなく受け入れる。実を言うと、不思議な商品の情報を脳みそに詰め込んだせいか、もう頭が疲れてきていたのだ。


 店を出てしまえばもう二度とここには来られないような気がしていたから、今のうちに全部見てしまおうと思っていたのだが、これは僥倖ぎょうこうと喜ぶ。


 こんな非日常を体験できる楽しいひとときが明日もまた来るのだと思うと、興奮する心を抑えきれそうにない。


 浮き立つ心に必死でブレーキをかけながら、竜司はゼロの後ろを歩き、店内入り口まで戻ってくる。


「それじゃあゼロさん。また明日っすね」

 振り返りながら、ゼロに別れの挨拶をする。

 視界に入る景色は、入店してすぐに見たものと同じではあれど、動き回る棚も空中を滑る椅子も、全て間近で見て触って体験したのだ。


 その事実が感慨深い。さっきまであの椅子に座って、色々な商品を見ていたのだと思うと名残惜しい部分もあるが、明日になればまたここに来られるのだ。


 今は、確約された明日の楽しみを胸に帰路につくとしよう。

 そんな竜司の心の中を理解したかのようなタイミングで、ゼロも礼をする。


「はい、リュウジ様。またのご来店をお待ちしております」


 カランコロン。


 軽やかな鈴の音色が店内の雰囲気を明るく色付け、竜司の背を押してくれる。


 扉の向こう側には入店時と同じように深い暗闇が広がっているが、竜司は恐れることなく踏み出した。

 開いた扉が元の場所へと戻ってくる。


 バタン。


 ……そうして店内から居なくなった竜司には、ゼロの呟きは聞こえなかった。


「さて、それでは準備をしておきましょうか」

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