第2話 奇跡とは

 商店街の奇跡屋さん。

 生まれ育った町で、ここ最近幅を利かせている噂の実証例となった竜司は……



「……」

 完全に固まってしまっていた。

 あまりの情報量に、脳の処理が追いついていないのか。それとも、単に目の当たりにした光景が幻想的すぎて感動に打ち震えているのか。

 いや、どちらかではなく両方であろう。


 ともかく微塵も動かずに立ち尽くす彼に対し頭を下げていた執事服の男性は、いつまで経っても返答がないことを不思議に思って三度目の声を発した。


「あの、お客様? どうかなされましたか?」

 心配そうな色を滲ませながらそう訊ねてくる彼に対して竜司はやっとこさ言葉を捻り出す。


「は、はじめまして! 井上竜司です!」

 訂正、それは捻り出した言葉などではなく、体に染み付いた条件反射から生み出された定型文であった。


 竜司という少年はその見た目とファッションセンスからとかく不良として見られがちだが、そのじつ他者に優しく明るく真面目。

 時折友人に対して乱暴な発言をするところもあるが、成績は優秀であり他人との接し方も心得ている優等生であった。


 そんな彼の見た目に反する礼儀正しさに驚いてか、店主と思しき人物は微笑を漏らしながら礼を返す。


「そういえば自己紹介がまだでしたね。失礼しました。私の名前はゼロといいます。細々とですがこの奇跡屋を営んでいますので、どうぞご贔屓に」

 稀代の天才が作り上げた彫像のごとき男性はゼロと名乗った。

 しかしその声はやはりというかなんというか、空気には響いていなかった。


 脳に速達で届く声の仕組み。異常なまでの広さを有している店内。数多の浮遊物体に、正体不明の品々。

 自己紹介も終えたし、せっかくだから何かを質問してみようと思ったはいいものの、いったいどこから訊ねたらいいのかと顎に手をやる竜司。


 謎が謎を呼ぶ。どころか、数々の謎が相乗効果を生み出して一つの小宇宙を形成しているような不思議な感覚を覚える。


 まるで水中で泳いでいるはずなのに、空中に浮かんでしまっているかのような、同時にはあり得ないはずの状態が重なっている。そんな感覚。


 生と死の状態が同時に存在しているとされるシュレディンガーの猫は、こんな気持ちだったのか。いやまあそれは多分違うとは思うが、いつもツッコミを入れてくれる友人はここにはいなかった。


 情報量が渋滞してしまい、ついには思考が明後日の方向に飛んでいってしまった竜司。そんな彼を見守っていたゼロは、助け舟を出すように提案してくる。


「何かお困りのようですので、識眼しきがんの使用を許可していただけますか? きっとお客様のお力になれると思います」

「しきがん? なんですかそれ?」

 おまけに彼は奇跡と言った。奇跡屋でその言葉を聞くとはなかなか興味をそそられる。


「承認してくださいましたかたの状態を視ることのできる異眼いがんの一種です。とは言ってもある程度の情報しかわかりませんが、こんな職業柄ですから何かと重宝しております。いかがでしょうか?」


 異眼。またしても竜司にとっては興味を惹かれるような単語が飛び出してきた。

 さらに聞きたいことが増えてしまったが、ここはグッと堪えて彼の提案を受けることにする。


「じゃあお願いします」

「ありがとうございます。それではこの片眼鏡モノクルを手に持っていただいてもよろしいですか? そうしましたら『承認』と言っていただければそれで準備ができますので」


 言うや否や、ゼロは胸のあたりにある内ポケットからシンプルな形をした片眼鏡を取り出し、竜司に手渡してきた。

 言われるがままにそれを右手のひらに置いた状態で「承認」と呟くと……


 刹那、竜司の右手は光を放つ。ピカピカと勢いが良いわけではなく、じんわりと絵の具が水に滲むかのように、竜司の右手は緑色に輝いていた。


 いや違う。よくよく見れば淡く緑色の光をまとっているのは竜司の右手ではなく、ゼロから受け取った片眼鏡だ。

 間接照明に似た優しい光は5秒もしないうちに収まり、周囲を照らすことを諦めたのか、徐々に網膜から消えてゆく。


 しかし淡く空気に溶ける光は、その見た目に反して竜司の心に強烈にこびりついて離れなかった。

 一体何が起こっているのか。もはや情報量の渋滞は度重なる追突によって大事故へと発展してしまっていた。


 マンガ的な表現が目に見えたならきっと、いや、間違いなく竜司の頭上にははてなマークが浮かんでいることだろう。

 それも一個だけとは言わず、百個ほどが集まり大きなはてなマークを築き上げているに違いない。


 そう確信できるほどに、目を見開いたまま再度固まる竜司。

 しかし今度はゼロに声をかけられる前に自力で硬直に抗うことに成功する。


 そう何度も同じ失態を繰り返すような真似はできないと思ったのか。それとも、驚愕よりも興味の方がまさり、すぐさまゼロと会話を再開したかっただけなのか……


「すげえ! どうなってんすかこれ!?」

 どうやら後者らしい。キラキラと夜空を彩る星のような瞳を隠すことなく質問を投げかける竜司に、ゼロは穏やかな光を宿した瞳で返答した。


「先ほどの光は承認が完了した証です。これでお客様に識眼を使用が可能になりましたので、そのままお待ち下さい。すぐに終わりますので」

「はい! 立ったままでいいすか?」

「はい、立ったままで結構です。本当にすぐですので」


 するとゼロは竜司の持っていた片眼鏡を再度手にし、青を宿した左目にかける。


 眼鏡をかけている人からは知的な印象を受けるのは当然といえば当然だが、ここまで容姿が整っている彼がそれをつけてしまえば、もはやそれは知的さを惜しげもなく露わにした美の化身といっても過言ではなかった。


 同性の竜司ですらそう思うのだから、ここに女性の客が来た時はどうなってしまうのだろう。


 竜司の想像もつかないほど女性客のテンションは上がってしまうのだろうか? それともあまりの綺麗さに一周回って落ち着いてしまうのだろうか?


 ほんの少し見てみたいような気もするが、今はとりあえずゼロに言われた通り動かないようにしよう。

 するとゼロは淡々と言葉を発する。

「識眼を使用します」


 言うが早いかゼロの左目にかけた片眼鏡は、その透明なガラス部分をつい先ほど見たばかりの緑色に染め上げ、彼のサファイアのごとき瞳を隠す。


 今度は5秒とまでいかず、たったの1秒程度で元の色に戻ってしまった。時間がかからないという言葉に偽りはなかったらしい。


 竜司としては、無色透明なガラスが緑色に染まる様子に目を奪われてしまうほどに見入っていたので、もう少しだけその光景を見ていたかったのだが、ここでそんなわがままを言うのもはばかられる。


 綺麗な光景と一緒に、その願望はしまっておこう。竜司の思い出の中に一つの写真が飾られることとなった。


 しみじみとした竜司に対して、ゼロは驚きの表情を隠さないまま、片眼鏡をしまいながら発言する。

「これは驚きました……お客様は異眼をお持ちなんですね? それも非常に純度の高い霊眼れいがんです。ここまでのものは私も今まで見たことがありません」


「すげえ……本当にわかるんすね……」

「お褒めいただきありがとうございます。それではお客様のお悩みは霊眼にまつわるものですか?」


 丁寧かつ穏やかに聞いてくるゼロに対して、竜司は首を縦に振る。

「あ、はい」

「そうですか。それでは商品を紹介する前にまず、この奇跡屋について、そして私が奇跡と呼ぶ品物について、ご説明させていただきます」

 竜司の肯定の意を受け取ったゼロは、二歩うしろに下がる。


 コツ……コツ……。革靴のかかとと光を淡く反射するほど掃除の行き届いた床が、耳に心地よい音を残す。


 そうして竜司とゼロの間にあった空間は引き伸ばされる。

 必然、竜司の視界は広くなり、今まで視界の端で見るだけだった店内の様子が、彼の目に留まろうとするかのごとく瞳に殺到する。


 そうなってしまうのは何故か。それは店に入ってきた時も、ゼロと会話をする時も、竜司の目はこの金髪美麗な店主を捉えて離さなかったから。いや、離せなかったという方が正しいか。


 神秘的とも言える絶景を目の当たりにした人は、時が止まったかのように立ち尽くすことがままある。それは自身の網膜と記憶に、より鮮明にその光景を焼き付けるための行動だ。


 ゼロという人の枠をはみ出したようにしか感じられない美貌を前に、竜司もそんな状態に陥ってしまっていた。つまり、今まで竜司が見ていたものは、ゼロとその周囲を彩る奇跡屋の内装だったということだ。


 確かに見えてはいたが、浮遊する椅子も、星のような輝きを放つ天井の照明も、ゼロという人物を飾り立てる付属品オプションに過ぎなかった。


 しかし彼が距離を取り、店の光景に溶け込んだことで、竜司の視界は一変する。主たる目標を見失ったその瞳は、初めてというものを正しく認識した。



 異常なまでの高さを誇る天井まで所狭しと並べられた棚。それらはよくよく見ると一定の時間を空けながら、手前に奥に、縦横たてよこ斜めに動き回っていた。その様はまるで日光にあたろうと葉を伸ばす植物のよう。


 ズズズ……と擦れる音を鳴らしながらも、何故か棚同士の隙間からホコリや木片が落ちることもなく、重力などないかのように上昇してゆく大きな棚を見ては驚きに包まれた。


 なんとも常識を無視したデタラメな動きをするものだから、どことなく幼い子どもがわけも分からずパズルのピースを動かしているようにも見え、知らず知らずのうちに笑いが込み上げてくる。


 次に見えたのは浮遊物体。形はなん変哲もなさそうな椅子だが、ただ浮かび上がっているわけではなかった。いや、もしかしたら浮かんでいるという表現は正しくないのかもしれない。


 なぜならそれらは滑っているのだ。空気中をまるでスケートリンクのように。

 フワフワと心許ないような動き方ではなく、スーッという効果音があわや可視化されるのではないかと思うほどに、滑らかかつ淀みなく空中を移動していた。


 天井にある照明も、注視すればその全貌が見えてくる。星のような光だと思っていたそれらは、光を放つ結晶体クリスタルだった。


 赤、青、黄色。ピンクに紫と、てんでバラバラな色なのに、何故だか統一感があるように感じられる。

 そしてそれが、夜空を彩る星座のように、規則性に沿って配置されている。


 どのような規則性に従っているのか、そんなことわかるはずもないのだが、何故だかその結晶体はこのように並ぶのが当然だと思えてしまう。

 なんとも不思議な感覚だった。


 しっかりと注目してみれば、いかにさっきまでの竜司が周囲を見ていなかったかがわかる。

 しかし、こうしてゼロが背景に溶け込むと、それはそれでまたになってしまうことをズルいなと思うのもまた事実。


 遠近感に狂いを生じさせるほど高い天井。自由に動き回る商品棚に宙に浮く椅子。見たことのない品々に、そして竜司の視界の中央に座する芸術品のごとき美をたたえた金髪の男性。


 もしこの凄まじいとすら言えてしまう光景の前に、画家が立ってしまえば。

 それがどれほどの傑作を描き上げた者でも、どれほどの努力を積み重ねた者でも、等しく筆を折ってしまうであろうことが容易に想像できてしまう。


 それほどまでに、竜司の両目に映る画は凶暴に、強烈に、見る者の視界を等しく蹂躙じゅうりんする。


 そこに一切の常識は通用せず、理解不能な事象の嵐を前にたった一つわかるのは、この光景は生涯忘れないという奇妙な自信のみ。


 そんな画の中心に立つゼロは、ゆっくりと両手を広げた。まるで舞台の主役のように。奇跡屋の説明と言っていたが、どんな言葉が飛び出てくるのだろうか。皆目見当もつかない。


 竜司の心を興奮と興味と楽しさが満たしてゆく。

 ゼロの喉から出るセリフを今か今かと待ち侘びて、ついにその唇が開いた。



「ここには私があらゆる世界、あらゆる時代から集めた商品が並んでおります。呪術、妖術、精霊術に陰陽術」

 ゼロの言葉に呼応するように、周囲の棚から商品が飛び出してくる。


 古文の授業で見たことがあるような文字が書かれたお札に、禍々しいオーラを放つ妖刀、不自然な光を内包する水晶玉。鋼鉄で形作られた手足に、血液を凝固させて作ったかのような赤黒く銃身の長い鉄砲。さらにはガラス玉の中に彩り豊かなキューブが輝く不思議なアイテムまで。


 用途がいまいちわからないものから、どこかで見たような形をしているものまで、全く統一感のない道具たちが、ゼロを称え、ゼロに舞いを捧げているかのように彼の周囲を旋回し始めた。


鉄化症てつかしょうに汚染された世界で人々が編み出した錬金拳闘術アルケフィストに」

 メリーゴーランドのようにただよまわる。

 そのせいで竜司は盛大なパレードを見ているような錯覚に陥る。もし人目がなかったら小躍りしていたかもしれない。


「高度文明の遺物が眠る迷宮を探索するための強化外骨格ストレングス・アームズ。ブラド共和国に代々伝わる戦闘術、血統銃術ブラッド・バレット。果ては宇宙魔導学の努力の結晶たる希望ホープと呼ばれる異能まで。ありとあらゆる技術によって生み出された品々が、きっとお客様のお悩みを解決するでしょう」


 完璧なまでの仕草。品を感じさせる所作。もし著名な映画監督が彼を見つけたなら、すぐさまゼロを主演に据えた作品を構想するだろうことは、誰が見ても明らかだった。


「そして私の収集した商品を目にしたお客様は、どのような世界、どのような時代から来たかたでも、必ずこう口にします」


 彼の言動は芝居がかっている。それは自分の店を、自慢の品を、より価値あるものに見せるための演出。

 きっと今までの客にも同じような口上を述べていたのだろう。


 わかっている。わかってはいるけれども、幻想的で、現実離れしていて、非日常を象徴するかのようなその光景に、竜司は思わず言葉を発する。


 宙に浮き、メリーゴーランドのようにゼロの周囲を回りつつ光を反射させる商品の数々。背景には空中を滑る椅子に、ひとりでに動き回る商品棚。その様はまるで……


「まるで」

「「奇跡みたいだ」」


 ゆえに奇跡屋。驚くほど単純で、だからこそわかりやすい名付け方だ。


「私はそんな言葉に感謝の意を込めて、この店を奇跡屋とし、商品を奇跡と呼ぶようにしました。長くなりましたが、これにて当店の説明を終えさせていただきます」


 恭しく礼をする姿は、入店時と同じではあったけれど、その表情にはさっきまではなかった確固たる自信が垣間見えた。


「どうぞ、奇跡と呼ぶに値する品々をご堪能ください。イノウエ・リュウジ様」


 ここで初めて名前を呼ぶあたり、やはりこの店主は魅せ方というものを完璧に理解しているようだ。

 なによりも素晴らしいのが、芝居がかったセリフもその魅せ方も、何一つ鼻につかないという点だった。


 ここまで自慢げに話しながらも、微塵も不満を感じさせず納得させるだけの手腕を見せつけられると、もはや天晴れですらあった。

 彼が演出家になったとしたら、映画界に名を残す巨匠になったのではないかと考えてしまう。


 奇跡。運命的な偶然という意味としてしか認識していなかったその言葉はしかし、今、竜司の心に大きな跡をつけていた。

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