ここは噂の奇跡屋さん ※新

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第1話 商店街の奇跡屋さん

 人の世はうわさで溢れている。


 例えば、やれあの人は昔は札付きの悪だったとか、あの先生は実は前の学校でなんたらとか。根も葉もないような、真偽すらも不確かな話題のタネにしかならないもの。


 そういうものが、この世の中には溢れている。


 しかしそんな中でも、不思議なほどに人の注目を集めるものが出てくることも。


 今、この町でまことしやかにささやかれ、広まっている噂。

 それは…



 商店街の奇跡屋きせきやさん。



 〜〜〜〜


 学業に勤しんだ生徒たちが解放される時間帯。

 花の放課後。


 これからの過ごし方を考えながら頬を緩めるか、あるいは面倒な授業から解き放たれたことによる安心を浮かべるか。


 皆様々ではあるものの、彼ほど大きな声を出していた者は他にはいなかった。

「ああ、うざってえ!!」

 なにもないところを振り払い、まるではえにつきまとわれているかのような様子を見せていたのは、茶髪の少年。


 歳の頃は15ほど。おそらくは高校生だと思われる。

 しかし年齢にそぐわぬほどの長身とツリ目で勝気な雰囲気、そして着崩した制服に明らかに染髪した茶色の頭部。その姿は誰が見ても不良だと答えるだろう。


 しかしそんな彼とは対照的な外見をしている少年が隣でクスリと微笑する。

「どうしたの? もしかしてまたつきまとわれてるの?」


 優しげな雰囲気に穏やかさを隠そうともしないタレ目。制服はきっちりと着ていて、髪は男子にしては長く肩のあたりで切りそろえられている。端正な顔立ちと相まって初対面の人は女性と勘違いするであろう容姿の美男子だ。


 しかしながら、傍目から見れば驚くほどに小さい。制服を着ていなければ中学生、否、小学生にも間違われるであろう身長も、先程の少年との対照的な特徴の一つであった。


「お前他人事だと思って笑いやがって……だからついてくんなっつってんだろ!?」

「あっはっは、一人コントみたい」


 誰もいない虚空に向けて文句を言う不良少年は、その横で心底愉快そうに笑う彼にも続けて文句を言い放つ。


「ほんとお前良い性格してるよな……! 翔太しょうたも霊が見えりゃ俺の気持ちがわかるだろうによ……」

「いやだよ。僕は竜司りゅうじみたいに幽霊得意じゃないし怖がりだし」


 どうやら、不良少年、井上竜司いのうえりゅうじは幽霊というものが見えるらしい。

 すると、低身長の少年、相川翔太あいかわしょうたは続けてこんな話題を切り出した。

「そんなにいやなら、行ってみたら? 奇跡屋さんってとこにさ」


 そんな言葉を聞いた不良少年はいぶかしげな表情を隠そうともせずに、

「あん? お前あんな噂話信じてんの? 女子かよ」

 と吐き捨てるように呟いた。


 翔太が話題にしたのは、最近彼らの学校で、いやこの町で最も有名な噂話。

 商店街の奇跡屋さん。

 悩み事のある人の前にのみ現れ、それを奇跡で以ってして解決するという、なんともありきたりで、ありふれた話だ。


 クラスの女子が盛り上がって話していた内容を思い出しながら、そんな店が本当にあれば商店街はシャッターまみれにはならなかっただろうと嘆息したのはつい数時間前のこと。


 しかしそんな彼の態度に嫌な顔一つせずに翔太はこう返す。

「いや? 信じてないけど? もし本当なら面白いねって思うだけだし」

「お前ほんとさ、面白そうって理由で人にあれこれ言うのやめろや。はぁ〜、そういうところがなきゃ、もっと女子にモテるだろうによ」


「そんな風に言わなくても! 本当に悩んでる竜司のためになればと思って提案してるのに、およよ……」

 これ見よがしに女座りをしながら泣き真似をする彼に、竜司も感情を露わにして、


「だからお前のその見た目で女みてえなことすんなっていっつも言ってんだろ!? ほら見ろ、みんななんかひそひそ言ってんぞ!? 」

「いやその前から大声出してたし、注目はさっきからされてたけどね……」


 なんとも息のあった夫婦漫才のような光景は、彼らが出会って友人となってからしばしば見られるものであり、実は周りの人たちも「ほんとあの二人って仲良いよね〜」程度のことしか言っていないのだが、それが本人たちの耳に入ることはなかった。


「ま、騙されたと思って試してみたら? なんか面白いことあったら教えてね。じゃ、また明日〜」

「おう、気をつけて帰れよ」

 二人の帰り道はここから別れ、それぞれの自宅へ足を運ぶ。


 〜〜〜〜


 それから数分もしないうちに、竜司はくだんの商店街にさしかかる。

 実はこの商店街は竜司の自宅と学校との間にあり、登下校の際には必ず通る道なのだ。


 時代に取り残されたシャッターの軍勢が目に入る。都会とも田舎とも言えないような中途半端なこの町で、個人経営の店がバブル崩壊後も残っているはずもなく。


 こうして、ある種の寂しさを漂わせながら鎮座する金属製の壁はもはや見慣れた光景だ。

 そうして幼い頃からずっと見てきた昭和の遺物たる店の残骸を前に、見慣れない人影があることを確認する。


「はあ……またかよ……」

 それは、あの噂が広まり始めた頃から何度も目にしてきた光景だった。


「商店街の八百屋の看板、目の前に立って、右に三歩、振り返ってから左に二歩、もう一度振り返ればそこには奇跡屋さんが……」

「ないじゃん!!」

「あはははは! マジ恥ずかしい! やんなきゃよかったー!」


 「今日は高校生二人組か……」なんて呟いて、内心うんざりしている気持ちを誤魔化そうとするのも無理はないだろう。


 一週間ほど前だっただろうか、徐々に奇跡屋さんとやらの噂が広まり始め、それを面白がった若者がこの寂れた商店街にくるようになったのは。


 それからは下校のたびに、噂の真偽を確かめようとする人物が必ず現れるのだ。別に竜司にはなんの実害もないし、彼ら彼女らは噂を楽しんでいるだけなのだから、なにも悪いわけではないのだが、


(あー、あれか。おんなじCM流れまくってるとウザく感じるのと一緒だな)

 身体的特徴も、年齢もバラバラな彼ら彼女らはしかし、皆一様に眼前の女子二人と同じようなセリフを残してから去ってゆく。その様子にも流石に飽きてきた。


 なんなら登校の時にすらもいた時は度肝を抜かれたなぁと思いつつ、彼女たちの横を通り過ぎる。高校生にしてはキツすぎる香水の匂いに顔をしかめながら。


 この後カラオケ行く? なんて楽しそうに会話をしながら去ってゆく姿を認めたあと、竜司はふと友人の言葉を思い出す。


「騙されたと思って……か……」

 なにを馬鹿なことを、と思いながらも竜司も噂を確かめてみることにする。なにも起こらないことは、今までここに来ていた者達の顛末てんまつからわかりきってはいるが、この行為を明日の話題にでもしようと考えたのだ。


 幸い、さっきまでそこにいた女子二人はもういないし、誰かに見られて恥ずかしい思いをすることもない。

 噂好きな友人との話題作りのためにほんの少しやってみてもバチは当たらないだろう。


 さっきまではその噂に辟易していたくせに、なんて自虐的な思考を覗かせながら先程の女子の動きをなぞるように八百屋の看板の前に立つ。一つため息を吐いてから、竜司は噂の内容を確認しつつ歩いてみる。

「あーっと? 八百屋の前で右に三歩、振り返ってから左に二歩、もっかい振り返れば……そこ……に……は……」


 振り返れば、そこには。


 何もない……はずだった。事実、振り返った竜司の目の前には、見慣れぬ店や建物なんかは一つも見受けられなかった。

 シャッターが下りているはずの店がなぜか営業しているということも、もちろんなかった。


 けれど、八百屋の隣、服屋と精肉店の間にある隙間から、煌々と光が漏れ出ていることを確認する。立地から言えば絶対に太陽光は差し込まないはずの場所から、だ。


 絶対にありえないはずの光景に、思わず唾を飲み込む。ゴクリと音を立てて喉を降下してゆく唾液が、随分と遅く落ちてゆくような気がした。


 しかし不思議なことに、そこから逃げようとか、何も見なかったことにして立ち去ろうという考えは一切浮かばなかった。

 それはあり得ない光景を目の当たりにしたからこその興奮からか、あるいは町で飽きるほどに聞いた噂が眼前に実現したかもしれないという感動からか。


 どちらなのかは定かではないけれど、竜司はその光源を確かめるべく服屋と精肉店の間にある、路地裏と呼ぶにも狭すぎる空間に自慢の長身を割り込ませた。


 大きな体躯をこれでもかと小さくして、カニ歩きをしながら狭い空間を進む。

 人がこの商店街から居なくなって随分と長い年月が経っているというのに、その場には驚くほどに汚れや埃といったものが存在していなかった。


 その不自然さが、より一層竜司の動きを急かす。まるで街灯に群がる虫のように一心不乱に正体不明の光源へと近付いてゆくと、たった数秒で目の前に光り輝く扉をみつけた。


 扉の前には人が二人ほど余裕で立てるような不自然なスペースが空いており、狭い道から身を乗り出して、そこへ辿り着く。


「なんだこれ……!?」

 そこには、木製で金色に輝くドアノブを取り付けた、なんとも風情のある扉がポツンと置いてあった。


 フランスやドイツにありそうなオシャレなカフェの入り口。そんな印象を受ける上品さを隠そうともしない扉が、この寂れた商店街にはひどく不釣り合いだった。


 ついでに言うと、そんなオシャレな造形をしている扉がギンギラギンに輝いているのも不釣り合いの要因の一つであった。


 まるで、演歌歌手がヒップホップを歌っているかのようなミスマッチ感を覚え、竜司は反芻するように、


「なんだこれ!?」

 ともう一度大きな声で叫ぶ。そしてその声に反応するように、扉は発光することを止め、誰も触れていないはずなのにほんの少しだけゆっくりと開く。


 木製の装飾の凝らされた扉が手前に開く様子が、竜司の脳裏にこびりつかんとしているかのごとく、鮮明に、鮮烈に焼きついてくる。

 網膜に映されるそれは、まさにファンタジーへの入り口であるかのようにおのが存在を主張していた


 カランコロン。


 扉の内側についているのだろう鈴の音が、ひどく遠くから聞こえてくる。


 ことここに至って、竜司は不思議な高揚感を覚えていた。

 喉を通る唾液はまるで鉛のように重く感じ、手には汗がじんわりと滲んでいる。


 明らかに尋常ではない現状をみとめた上で、それでも確かな興奮を隠すこともできずにニヤリと笑みを浮かべた。


 自分の目の前には明らかに異常な状況とびらが存在していて、それがまるで招き入れるかのように開いたともなれば仕方のないことなのかもしれない。


「ここで退いたら男が廃るぜ……!」

 まるで新しいゲームを起動するときのような高揚感を胸に秘め、意を決して金色のドアノブに手をかける。


 ほんの少しだけ開いていた扉はなんの抵抗もなく、いや、待ち望んですらいたかと思うほどに滑らかに動き、竜司をその中へといざなった。


 光の角度が悪いのか、あるいは他のなんらかの要因からか、扉の向こうは何も見えぬほどに真っ暗で、その光景がさらに竜司の高揚感をくすぐる。


「ワクワクさせてくれるじゃねえか……」

 一歩、眼前の暗闇の中へと踏み出す。


 ただ普通に歩いただけのはずなのに、何故だかその動作は水中であるかのごとく緩慢で、宙に浮かされた右足が、地についている左足を恨めしそうに睨んでいるような気さえした。


 扉の向こう。

 暗闇の中。

 光の存在しないその空間を、もう一歩踏み出した。


 左足が地面の感触を脳に伝えたその瞬間、真っ暗な闇は何処かへと消え去り、網膜には唐突に光が映し出される。


 突然の明暗の落差によって、竜司はほんの一瞬顔をしかめて、右手は光を遮るように顔の前に。


 その瞬間、

「いらっしゃいませ、奇跡屋へようこそ」

 という美声が響いた。


 いや、響いたというのは語弊があるだろう。その声は空気の振動を鼓膜が受け取ったものではなく、脳内に直接聞こえてきた音だったのだから。


 その、聞いた者が女性であれば皆が虜になるであろう声の所有者を確かめるべく、竜司は細めていた目をしっかと開き、右手をどける。


 光量に慣れてきた彼の眼球が捉えた者とは…


 ゴクリ、と息を呑んだ。

 そう、竜司はこの時、唾液と誤って息を呑み込んでしまった。


 それほどまでに、目の前には広がる光景は異質で、異常で、そして何より、美しかった。


 自らの脳が唐突に一つの感情だけに支配されてゆくのがわかる。感動、そのたった二文字がここまで明確に感じられた事は、今までに一度だってなかった。


 まるで感動というものが形を成したなら、このような現象になって目の前に現れるだろうと思えるような光景が今まさに目の前に顕現していた。


 呼吸を忘れ、瞬きを忘れ、よもや鼓動すら忘れてしまうのではないかと思うほどに、竜司は眼前のあらゆるものから目を離すことが出来なかった。


 まず目に飛び込んできたのは驚愕に値するほど高い天井。店内と言い張るにはあまりにも高すぎて遠近感が狂ってしまいそうなその天井には、輝く星々を集めたかのような光が埋め込まれていた。


 そして足元から天井まで所狭しと並べられた商品に数多の棚。

 こんな高さを誇る建物があれば外からでも見ることができたはずだろうに、そんなものにはとんと心当たりがないのもまた不思議だ。


 次いで、目についたのは数々の浮遊物体。それは椅子の形をしているように見え、異常なほどに高い位置まで並べられた商品を取るための道具であることはなんとなく予想できる。がしかし、どのような原理で浮かんでいるのかが到底わからなかった。


 けれど、ここまで見てきたものは全て、視界の端で捉えただけに過ぎない。竜司の目線はたった一点を見つめて動かない。


 確かに異常な店内の広さも高さも、そして浮遊する物体も、驚愕と注目に値するものであっただろう。


 しかしそれは、普通ならば、という但し書きが添えられるものでもあった。


 あいにくと今の竜司は普通ではない。なぜなら彼はたった一人の存在に目を奪われていたのだから。


 瞬きをする余裕はない。眼前の情報をひとつたりとも取りこぼさぬようにと、両の目がそんな意思を持ってしまったかのようだった。そんな馬鹿げた表現が、否定できぬほどのものが、そこに居た。


 それは竜司の眼前に立つ一人の男性。彼は見る者全てを魅了してしまいそうなほどに美しかった。


 金糸を編み込んだと言われても信じてしまいそうなほどに見事な髪は顎のあたりで綺麗に整えられており、切れ長の目にはめ込まれているのはサファイアのごとくあおい輝きを内包した瞳。


 長く綺麗なまつ毛、鼻は高く彫りは深い。

 驚くほど整っている顔立ちは、まるでギリシャの彫刻が動き出してしまったかのような印象さえ覚えた。


 歳の割に長身な竜司よりも少し高い身長を見せつけるように伸びた背筋は、ある種の威厳すらも感じさせる。


 肩の幅も広く、執事服や燕尾服によく似たその装いも相まって、映画やドラマから切り出したキャラクターですと言われても信じてしまいそうだった。


 そんな美しさを余すところなく表現し尽くした至高の芸術品のような彼は、再度言葉を発する。


「お探しの品は、どのような奇跡ですか?」


 うやうやしく、礼儀正しく、そしてどこか優雅さも漂わせながら礼をする彼を見て、竜司は噂の真偽を確信する。


 〜〜〜〜〜


 へは、本当に悩みを抱えている人だけが行ける。


 八百屋の看板の前に立って、右に三歩、振り返ってから左に二歩、もう一度振り返れば、そこには。


 そこにはこんなお店がある。



 商店街の奇跡屋さん。

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