閑話 リュークの選択

三人称視点


 第五王子リュークは末っ子の王子として、皆の愛情を一身に受け、生きてきた。

 ただ、愛を享受するのみで彼は生きてきたというより、生かされてきたと言えよう。

 その最たる証拠がデ・ブライネ辺境伯家令嬢ヴィルヘルミナとの婚約だった。


 この婚約はリュークにとってはなくてはならないものであり、ヴィルヘルミナにとっては禍であり、呪いに等しいものである。

 それというのもヴィルヘルミナが有する稀有な聖女の力ゆえだった。


 彼女の力は癒しである。

 癒しの力自体はそれほど、珍しいものでもない。

 治癒の魔法である程度の病や怪我は治療が可能だからだ。

 だが、治癒の魔法にも限界はある。


 失われた命を元に戻すことは出来ないし、欠損した部位を回復することも出来ない。

 命に係わるほどの重症や重病も余程、腕利きのヒーラーでもない限りは治せないのだ。

 ヴィルヘルミナは物心のつかない幼い頃より、この癒しを正式に学ぶことなく、直感のみで使うことが出来た。

 それも無制限で使えたのだ。


 父親に連れられて、王城に登城したヴィルヘルミナはそこで金髪の愛らしい男の子と出会った。

 それが第五王子であるリュークだったのが、彼女の進む道を大きく変えることになる。


「何をしているの?」

「か、か、かあしゃまに……ふれせんとあげりゅの」


 ヴィルヘルミナより年長であるにも関わらず、リュークの言語は明瞭ではなく、その視線もどこか、定まっていない不安定なものだった。

 しかし、彼女はこう思った。

 何て、きれいな目をして、無垢な子なのだろうと……。

 だから、願ってしまったのだ。

 『どうか、彼に幸あらんことを』と。

 その時、眩いばかりの白銀の光が放たれ、奇跡が起きたのだと言う。


 かくして、ヴィルヘルミナが王家に囚われる理由が出来てしまったのだが、彼女の聖女の力に代償が必要であることを知る者は少ない。

 ヴィルヘルミナは確かに病や傷を癒すことが出来た。


 出産時の事故で生まれながらにして、患っていたリュークの病をも治せた者はこれまで誰一人いなかった。

 それを成し遂げたヴィルヘルミナはまさに不世出の才能を持った聖女と言うべきだが、その代償はあまりにも大きい。

 彼女の癒しは交換の原理に近い。

 傷や病をヴィルヘルミナが自らの体に取り込んでから、治癒させるものだ。

 それゆえ、重症の患者を治療する際には彼女自身が激痛を体験しなければ、ならないのだ。


 しかし、ヴィルヘルミナはそれを苦と思わない無垢な魂を持つ真の聖女だった。

 だからこそ、命を失いかねない瀕死のブランカを助け、自らが三日間、生死の境を彷徨うことになろうとも後悔しなかったのだ。

 だが、ここで気を付けなくてはならないのがそれが完治する病や傷だったという点である。

 リュークの病は完治しない。

 ヴィルヘルミナの傍にいて、彼女が無意識に力を使うことでどうにか、状態が改善していただけに過ぎないのだ。


 リュークの不幸はそのことを知らないまま、生きてきたことだと言えよう。

 全てを知ったのは全てを失った時だったというのが皮肉である。

 これまで聞いていない、知らないで済まされていたことはもう許されない。


「ごめん……ミナ……ごめん……」


 頬がこけ、落ち窪んだ眼窩。

 その顔にかつて讃えられた美しき容貌は微塵も感じられない。

 ただ、止めどもなく流れ落ちる涙を湛える青い瞳はどこまでも澄んでいて、純真な物だった。


 婚約者だった王子がやつれ果てた姿になりながらもようやく、己を取り戻したのだと知って、ヴィルヘルミナも目頭を押さえる。

 リュークは良くも悪くも純粋だったとヴィルヘルミナは逡巡していた。


 「聞いていなかったよ」「知らなかったんだ」が口癖でとても王子とは思えない振る舞いをするリュークだったが、人を傷つけない優しさを持つ人であった、と。


 そんな彼があんな下劣な行為に走ったのはなぜだったのか?

 自分に至らぬ点があったからだろうか?


 ヴィルヘルミナは考えに耽るあまり、複雑な表情をしていたことに気付かない。


「私は……君に……返す」

「え?」


 リュークがようやく吐き出した言葉にヴィルヘルミナが気が付いた時には、リュークは既に意識を失っており、安らかな寝息を立てていた。

 その顔からは険しさがなくなっており、何も知らない幼子のように無垢なものに見える。


「お疲れ様でした、リューク殿下。どうか、お体を大切に……」


 かつての婚約者を一瞥したヴィルヘルミナの菫色の瞳に宿るのは憐憫といくらかの愛惜の色だった。

 退室していく彼女の目にもう迷いはない。


 後の世に書かれた史書にこれ以降、第五王子リュークの名が出てくることはなかった。

 ただ、デ・ブライネ辺境伯領で余生を過ごした一人の貴人がいたと記されるのみである。

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