閑話 カスペルの行く道

 第二王子カスペルは副団長マルセル率いる近衛騎士団により、王都へ望まぬ凱旋を果たした。

 魔力封じの腕輪という枷により、持てる力のほぼ全てを失っているカスペルは罪を犯した王族が収監される尖塔へと幽閉される。

 だが、その場所が彼の永久とこしえの居場所ではない。


 いくら王族であり、高い王位継承権を持つ王子とはいえ、犯した罪は決して、軽くはない。

 何よりも辺境伯家だけではなく、高貴な血である王族をも巻き込んだ一大事件を引き起こしたからだ。


 王族と貴族で構成された裁判官による特別な裁判が開かれることとなったが、何分、禁忌の魅了の力を使った事件だけに証拠や証言集めに時間を要した。

 全ての準備が整ったのはカスペルが尖塔に収監されてから、三ヶ月以上が経過してからだった。


 裁判と言っても原告と被告という形をとる訳ではない。

 あくまでカスペルという一人の男が犯した罪を明確に記録として残し、刑を下す為だけの儀式に他ならない。


 何より、カスペルはあの日以来、まるで憑き物が落ちたように常に呆けていて、別人のようになっていた。

 死んだ魚のような目には感情の色すら浮かばず、どこを見ているのか分からない視線は常に彷徨っていた。

 まるで天の使いのようだと称えられた美しい容貌もすっかり衰えてしまい、以前の彼を知る者が見ても気が付かないほどだった。


 裁判の結果、判明したのはカスペルのヴィルヘルミナ・デ・ブライネに対する異常なまでの執着だ。

 彼の力を使えば、外堀を埋め、ヴィルヘルミナをただ手に入れるのは容易なことだったのに違いない。

 しかし、彼はそうしなかった。

 危険を冒しても彼女の心までも手に入れようと考えたが為の暴走だったのだ。


「カスペル・アッケルマン第二王子。汝には北海への追放刑が処される」


 北海への追放は事実上の死刑と同じである。

 極北の海は常に濃霧に覆われており、その先を見た生きた人間はいない。

 一説によれば、その先は冥府であるヘルヘイムへと通じており、生きながら霧に入った者は生ける屍と化して、永遠の時を苦しみ続けるのだと言う。


 なぜ、カスペルにこの刑が下されたのか?

 この国に死刑がない訳ではなかった。

 平民だけではなく、貴族にも普通に刑が下されているからだ。

 しかし、王族は血を流してはいけないことになっていた。

 その為、もっとも重い贖罪の刑として、選ばれたのである。


 残酷にして、もっとも絶望的な処刑宣告にも関わらず、カスペルはいささかの動揺も見せなかったという。

 不機嫌そうに親指の爪を嚙みながら、ブツブツと何かを呟くその姿を見た者は言い知れぬ不安を感じたとは事件の当事者であり、唯一出廷したヨハンナ第一王女の言であった。




 罪人が着る質素な麻の服を着たカスペルは小舟というのもおこがましい一人が乗るのもやっとなボートに着の身着のまま、乗せられた。

 「汝の罪に許しがあらんことを」という司祭の祝福だけを唯一のはなむけとして、激しい雪嵐が吹き荒れる北の海へと流されたカスペルはこの期に及んでも罪を省みることはなかった。


「憎い憎い憎い憎い。殺す殺す。皆殺してやる」


 ブツブツという呟きではなく、今やはっきりと口に出して、カスペルはひたすらに呪いの言葉を紡いでいた。

 血走った目に浮かぶのはただ狂気の色だけだ。


 やがて、カスペルが乗る小舟は木の葉のように大波に揺られながら、奇跡的に濃霧の中へと入っていった。

 濃霧の中で蠢く闇が口角を上げ、邪な心を持つ来訪者の存在を喜んだ。


「おお。資格ありし者よ。汝、力を欲するか?」


 今や自分を含めた全てを呪うカスペルがその悪魔の誘いに『是』と答えるのに時間を必要としなかった。


「よかろう。今より、汝の名は……ファ……ニ……ルである」


 カスペルの意識は悪魔の声を最後まで聞くことが出来なかった。

 まるで全身を炎で焼かれているような錯覚を受け、彼の意識はやがて、失われていくのだった。


 瞳は金色の光を放ち、爛々と輝き始めていた。

 犬歯と爪が鋭く長くなっていき、彼の全身を限りなく、闇に近い紫の鱗が覆っていく。

 膨張し、肥大化していくその体に耐え切れず、ついにボートは完全に破壊された。


 しかし、は極寒の海に放り出されることなく、コウモリに似た大きな翼を広げ、大空へと雄々しく羽ばたいていく。

 世界を呪うように放たれた咆哮は空と海を激しく、揺らすのだった。

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