第3話 波濤

「どうしたんだ躍一? そんな暗い顔して。まさかお前ともあろうクソ……タラシが振られたとでも」

「ちげぇよそして貶しが隠しきれてねぇよ」


 躍一は朝から生意気に机の前に現れる八雲にキレのあるツッコミを入れると、のそのそと前屈みになっていた身体を起こした。

 虚ろな表情に、見るも無惨な隈の跡。制服からも、シワが刻まれネクタイも緩むという疲労の痕跡が各所に見られる。

 躍一は脱力気味に嘆息を吐くと、八雲を一瞥した後にまたも机へ倒れ込んだ。


「おいおい今日は酷い疲れ様だな」

「あぁ…………まる一日背後に気を付けながら生活なんてするもんじゃないぞ」

「……? 何言ってんのお前」

「――――さぁな」



 あれからの後、躍一は学校を挟んで帰路に着いた。

 けれど、家の中で待ち侘びていたのは妹や蓮華ではなく、刹菜。

 しかもエプロンを身につけ可愛げにおたまを握っている。茫然と玄関で突っ立っていると、刹菜はそそくさと近寄ってきた。


「あっ、おかえり〜!」

「ちょっと政府に行く用ができた」

「ま、待って! すぐ死のうとしないでよ!?」


 エプロンの隙間からチラチラと見える柔肌から、視線を逸らす。そしてもう一度ドアノブに手を掛けた所で、刹菜は慌てた素振りで経緯を説明した。


「まず、その格好から異言を呈させて欲しいが」

「これは君が喜ぶと思って♪」

「……………それ以前に、どうしてここにいる」

「? 合鍵? えへへ」


《ルート》を即座に針の形に変えて自身の首に突き立てる。


「ちょ、ちょっと! 待ってって!」

「妹達が帰ってきたらどうする。この状況を説明しろと? ふざけるな――――」

「…………君が許したのに?」


 その柔らかな針に、自身の手を更に力ませた。

 刹菜は一縷の殺意もなく躍一の首まで手を伸ばすと、そのまま針の形をした《ルート》に触れた。

 ――――その瞬間に針はボロボロと黒紫の煙を立てて消え去る。


 手の感触から視線で捉えずとも理解した躍一は、改めて眼前の女性の異質さに息を呑んだ。


「家の中にまで入るなんて聞いてない」

「それじゃほとんど一緒にいられないじゃん!」

「無作法なのが問題っつってんだ」

「じゃあ、無作法じゃなかったら良い?」


 あぁもう、と。躍一はくしゃくしゃ頭をかく。

 歪んだ表情の向かいには、言い負かせたと幼稚な笑顔を曝け出す刹菜が見て取れる。

 若干の憤りを感じながら、躍一は頭を降ろした。


「……………………分かった。けど妹達には絶対にバレないようにし――――――」

「何をバレないようにするんだい躍兄」


 忠言を唱えようとした瞬間。躍一からして後方、玄関の扉が開かれた。

 そこから闖入ちんにゅうしてきたのは他でもない、妹こと或手水あるてみすと。


「…………ただいま躍一、ちゃんと説明。してね?」


 暗い微笑みで強かに買い物袋を持った、白露蓮華だった。

 或手水は腕を組み(荷物は全て蓮華に持たせ)ふんぞり返って悪巧みをしている笑みを向ける。

 だらだらと汗を流す躍一は慌てて刹菜に耳打ちをした。


「(合わせろ)」


 その言葉を受け取った刹菜は、一粒の雫を頬に乗せると、ゆっくりと頷いた。

 そしてそのまま、出任せながらに躍一は二人へ弁明をする。


「他意はない。ウチの区で拾った保護対象なだけなんだ。暫くここに置くよう上に指示された」

「ふーん。私はてっきり機造花の生みの親を殺しそびれた上に好かれてその癖裸エプロンで出迎えられてるのかと」

「妙に具体的だなオイ!?」


 相変わらずの達観視する或手水の発言にある種の畏怖を抱きつつ、「メタァ」と意味不明に笑う口を噤ませた。「というか裸エプロンは私でやっt」

 諦めたように「もうそれでいい」と宣う躍一は、頭に疑問符をいくつか乗せつつ黙る蓮華に偽装した理由を言い渡しておいた。裸の件はしっかりと弁明した。

 なお、蓮華は了承しつつも、むぅ……と頬を膨らませていた。


「躍一がそう言うなら分かったけど……」

「すまん、恩に着る」

「うんその前に服を着せよう?」

「で、そこの黒百合刹菜さんのお名前は?」

「お前話ややこしくなるからちょっと黙ってろ」


 隙あらば或手水ははたまた奇怪な言動を繰り返す。

 その寸劇に、刹菜はぷっと吹き出した。

 躍一達は不思議な顔を刹菜に向けると、彼女は謝辞を一つ紡ぎ、手をひらひらとさせた。


「ごめんなさい、ちょっと面白くって」


 ―――――瞬間。目尻に涙を浮かべる刹菜を見て、躍一はなんとも言えない気持ちになった。こんなにも綺麗に微笑む彼女が、数万人を殺している大災害の主犯であるというのだから。

 されどそれも一瞬。躍一は自分の果たすべき事項を達成せんと、心良さげな演技で刹菜に二人を紹介した。


「紹介が遅れたよ。こっちが白露蓮華、俺の幼馴染だ。それでこっちが妹の―――――」

「皆まで言うな躍兄よ。名前というのは人を判断するのでしか意味を成さ」

「虚宮或手水だ」

「バカ兄ぃぃぃぃぃ!!!」


 即座にぼこすかと或手水は躍一を叩きつける。

 刹菜は驚いた様子で玄関の方を見やっていると、そそっかしく声を上擦らせた。


「あー…………三人ともまだ手洗ってないよね? 洗ってきてくれると嬉しいな」

「…………?」

「おー! というかそいえば良い匂い!」


 或手水はダッと躍一の脇を抜けていく。

 慌ただしい雰囲気で忘れていたが、刹菜は料理を作っている最中だった。

 躍一ははっと思い出すと、少し異質な日常に舞い戻った。

 蓮華や或手水も、少々の違和感を抱きつつもにこりとしながら普通の生活に戻ろうとしている。


 刹菜は若干のかげりを見せながらも、顔を横に振ってパンパンと頬を叩き、微笑んだ。





 …………というのが昨夜までの流れ。

 だがそれには多々厄介なる問題があり、その問題こそが。


「お前引っ付きすぎだろ!?」

「えー、だって私は保護対象なんでしょ? なら守ってくれないと〜」

「躍一? 食事中だよ??」


 べったりとくっつく刹菜を引き剥がさんと尽力している躍一に、或手水と蓮華はうっすらとした半眼を向けていた。

 むしろ被害者はこっちなのだが…………と異言を呈したい躍一ではあったのだが、謎の圧迫感に気圧されて言葉を紡ぐことも叶わなかった。


 そして現在、八雲の言葉を安い弾丸に感じながらうずくまる。

 学校に居るときだけは唯一心の救いだと思っているが…………こういうのは十中八九たいてい悪い予感があたる。

 付け足すならば「期待してろよ♪ 躍兄」とまで或手水に言われる始末。アイツ絶対何か仕組んでる。後で倒す(やーん躍兄に押し倒されちゃ――)



「はい、ホームルーム始めるぞ〜」



 そんなことを思っていると、担任の玖珂くが先生が教壇の前で号令をかける。のそのそと起き上がると、出席簿を肩の後ろに持っているのが見て取れた。

 いつものように、他愛の無い連絡事項。だが躍一はなんとなく分かっていた。というよりも薄々気付いていた。教室の後方に誰も座ってない机のある時点で。


 気怠けだるげな先生は、眼鏡をクイと上げると、嘆息を一つ吐き新たに不要な事項を伝えた。


「あー、それと。このクラスに転校生だ。美女だぞ喜べ男子共」

『うおおぉぉぉぉぉ!!』


 その発言と同時、烈覇と表現するのが一番適しているだろう野郎共の叫声が教室中に鳴り響いた。

 玖珂先生と女子共、加えて躍一が耳を両手で塞ぐ。


 ひとしきり叫び終わった後の男子共は、全員が椅子に正座していた。

 そこまでするほどだろうか…………?

 八雲に至っては「嗚呼神代吾此処ニ尊死」と何やら呪文のようなものを唱えていた。


 だが、ここでは敢えてその件割愛させてもらう。

 何故なら…………予想は案の定つまらなく収束してしまうからだ。


 そう、刹菜が『躍一』に抱きついて串刺しにされるという。

 何たる結果の分かりきった顛末てんまつで。







 ◇◇◇


「…………はい、分かりました」



 暗い暗い小さな教室。



 モニターのみが滔々とうとうと照らす電子の世界で。



「…………必ず見つけ出し、殺します」




 は、密かにその言の葉を届けた。




 ――――――――――モニターに写る、黒百合刹菜をじっと捉えながら。

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