第2話 残債

「私は黒百合くろゆり 刹菜せつな!! 貴方に惚れました!」

「…………へ?」


 素っ頓狂な声を漏らしてしまい、咳き込む。

 慌ててローブを外して顔の全容を見せたがる彼女は、髪を整え喉の調子を整える。


「あぁ! ごめんなさい、何者かって話だよね」

「お、おう」

「私は機造花の植樹者だよ」

「…………ッ!!」


 汗ばむ頬が凍えるように引きる。その言葉に何の重みもなく、増して何の悪気も持たない刹菜と名乗る少女は、にこやかにステップを踏んでこちらに寄ってきた。躍一はどうにか平静を装い、銃を握る手を力ませた。


「近寄るな。打つぞ」

「無理だよ♪」


 そう軽やかな足取りで別け隔てなく近づく黒百合刹菜は、苦い顔のままの躍一に純情な笑顔を振り撒く。

 刹菜からはまるで殺意が感じられない。対して躍一は、今にもはち切れそうな激情を孕んだ堪忍袋が決壊寸前だった。


「最後通告だ。お前の話が本当ならば、俺はお前を打つ」

「本当だよ―――――――」


 その1イエスを皮切りに、機械化した脳回路は即座に指を曲げさせた。銃口が煙を上げる。されど戦火は切られた様相は見えず、淑やかに和やかに彼女は避けただけだった。


「あと私にも刹菜って名前があるんだから、名前で呼んでくれると嬉しいな」

「ほざけテロリスト。お前がどれだけ人を殺したかその矮小な脳で考えてから話せ」

「酷いなぁ~。花の女の子に向かってそんな。あ、今の花のって言うのはかけるつもりはなくてー」


 御託も束の間再度の発砲。刹菜は取り乱す様子もなく、嬉しさを満面に出している。

 躍一は銃による攻撃を諦め、《ルート》を剣の形へと変えた。


「無駄だって言ってるのに」

「黙れ犯罪者。お前は――――を……!」

「……、……」


 刹菜は一瞬、顔から笑みを消すともう一度取り繕うように微笑んだ。

 躍一は剣を振りかぶると、すらりと躱した刹菜により剣が止められる。

 たった片手の、たった二本の指によって。


「ッ!」

「こうも暴れられると困るな」

五月蝿うるさい」

「もう一回言うよ? 貴方じゃ私を殺すのは不可能」


 笑いや貶しではない、前までとは打って変わって真面目な表情で以て刹菜は声を届ける。

 躍一はやっとのことで喫緊の波濤をなだすかす。瞳を閉じて息を吐くと、ゆっくりと彼女を捉えた。


「やっと落ち着いてくれた。まず……貴方の名前を教えてくれるかな?」

「お前に名乗る名前なんてない」

「ヤバい……格好いい…………、好き」

「なんでだよ!?」


 いきなり眼をハートにさせて片手を口元に、ハァハァと息を荒げている。

 若干引き気味になった躍一は、仕方なく自身の名前を告げた。


「虚宮…………名前も格好いい……ちゅき!」

「だからなんでそうなる!?」

「だって好きなんだもん♪」


 剣を止める手を緩めず、刹菜はずけずけと恥ずかしい言葉を連ねる。敵意が無いことを認識し、ようやっと躍一は剣をしまった。

 その挙動に刹菜は驚きを見せると、更ににこやかに微笑んだ。


「……? いいの?」

「許せて逃げれば俺は死ねる」

「…………そっか」


 頭を掻き毟り、躍一は眼前の少女に背を向けた。

 今の躍一では敵わない。刹菜は躍一を殺す気はない。

 だとすれば?


「今は退散するほかないだろ」

「ちょっ! ちょちょちょちょっと待ってよ!?」

「待つ義理も義務も無い」

「私が貴方を好きなことには無頓着なの!?」


 すらりと振り返り、理路整然そのまま刹菜に背を向ける。

 躍一は静かに頭の中で想定した。


 これからかどわかされる?

 これから周囲の人間を消される?

 これから生活を暗く染められる?

 ようとして動機も得体も知れない少女からは、そんな気は全くしなかった。


 ただ分かるのは、ここまで綺麗な少女が忌むべき敵であり、異常なまでに愛されていることだけだ。

 刹菜はそっと後ろ手に考えを用意していたかのように、胸を反らせて手を置く。


「それが分かって何になる」

は、どこの時代でも必要じゃない?」

「……不可解だな。それを俺が信じるとでも?」


 滑らかな成り行きで丸め込められそうになるのを、躍一は自制する。そのまま躍一は続けた。


「お前がもし情報を渡したからといって民兵が機造花を殲滅するのには変わらない。情報が分かったからと行って根源たるお前を消せば他は必要ない」

「んー……ちょっと勘違いしてるかな?」

「何をだ」

「だって機造花の植樹犯は、いるからね」

「――――――――ッ!!!」


 その凧糸のような鋭くも柔軟な発言に、躍一は戦慄した。変わらぬ表情のまま、刹菜は発する。


「『到底信じがたい』? まぁ……君がそう思うのなら結構だけども、それを知らないで損をするのは私じゃないよ」

「っ…………。ブラフのつもりなら今ここに俺の仲間を数百人は寄せれるんだが」

「残念だったね♪ もし来ても私は殺せはしないけど」

「到底甘い考えに頭を垂れそうになるぜ。…………で、お前は何が望みなんだ」


 諦念は過ぎ去り許容の域へと入りかける。だが思わぬ利得に躍一は最低限の対価を支払おうと感じた。

 でなければ、後々の利子が膨らむのは経験済みである。それに敵に塩を送られっぱなしなのも癪だ。

 刹菜はきょとんとした表情を作ると、頬に指を当て不思議がった。


「やっぱりあれかな。君に私を

「ッ! そんなことができると――――」

「最初は君の近くにいること。それさえ許してくれれば、私はなんでもいいけど」


 堰を切って怒髪天を衝く躍一をおさめるように。刹菜は楽しげにそう呟いた。

 許す? 許せるわけがないだろう。

 存在を、遍歴を、未来を。全て許せるわけがない。

 長年殺そうと思ってきた相手を許すなんて、虚宮躍一としての本懐を欠落させるに等しい行為だった。

 相手が何者であったとしても、呼吸も希望も目的も真意も余生も感動も期待も何もかもをひねり潰し許さない。


 ただ躍一は、今の現状を憎からず思わなければならない。

 より惨禍を、より戦火を広げてはいけない民兵の義務であるからだ。

 自分と同じ境遇の人間を作ってはいけないからだ。

 苦虫を噛み潰したような形相で以て、躍一は数秒の沈黙と大きな嘆声で応える。


「分かった。ただし他の誰かにバレた瞬間、俺は自決する」

「えぇっ!!? なんで」

「当然だ。背信行為をしてる身でのうのうと生きれるか」

「むぅぅ……分かった」


 それは他の何よりも民草のためであり、将来性の安寧のためであり、何より躍一の悲願のためでもあった。

 刹菜は頬を膨らませ、納得するとやたら可愛げに闇光あんこう色の髪を揺らした。

 躍一は躍一で、頭をぽりぽりと掻き今後を憂いている。


「いつか絶対摘んでやる」

「いつか絶対奪ってね♪」


 かくして、最低最悪最愛の生活は始まった。

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