第2話
翌日、朝から集まったのは晁蓋、宋江、林冲、花栄、秦明、黄信、劉唐、穆弘、呂方、郭盛、馬麟、孫立、裴宣といった面々だ。
一対一で馬には乗らず打ち合う。
扈三娘はまず見物していたがその手並みを見るに、祝家荘が敗北したのは必然であったと悟った。
個人の武芸は秀でており、特に林冲、花栄、秦明、黄信、孫立は元軍人、群を抜いている。
祝家の坊の道楽武芸では太刀打ち出来るものではない。
それでも彼らが粘る事が出来たのは入り組んだ迷路のような道と、敵わぬと見るやさっさと屋敷に引っ込む慎重さ(否、臆病さだろうか)故だったのだ。
そんな風に思って見ていると宋江が声を掛けてくる。
「扈三娘殿、次は如何ですか。」
宋江は扈三娘の日月二振りの刀を渡し、
「呂方よ、よろしいかな。」
と言って二人に打ち合わせた。
呂方が方天画戟を自在に操り、扈三娘に打ちかかって来るのを扈三娘は両の刀で防ぐ。
一撃が重く、長期に渡れば不利かもしれない。
だが素早さには扈三娘は多少の自信を持っていた。
三十合あれば勝てぬ相手ではない。
体の軽さと小ささで呂方の動きを牽制し、死角となる角度を的確に捉えて翻弄する。
次こそ、と思って刀を振るうが、呂方も流石で決定的な一撃は互いに繰り出せない。
二十合ほどで宋江の待ったが掛かり、扈三娘は刀を降ろした。
「さすがです、扈三娘殿。呂方の方天画戟を華麗に躱す様には思わず見惚れてしまった。」
宋江は興奮気味に言ったが、勝負を決められなかったのは正直悔しい。
息を整えて扈三娘は宋江と呂方に礼をした。
呂方は、
「待ったが掛かったのは残念でした。あと十合あれば勝負はついていたでしょうから。」
と宣う。
鼻につく言い方が気に入らないが、それをあからさまに口に出すほど子供でもない。
かといってこんな男を持ち上げてやる義理もないのでもう一度礼をして足早に下がった。
「そうですね。扈三娘殿の方が呂方殿の動きを読んでいましたから、じきに後ろを取られたでしょうね。」
扈三娘が言い返したいと思った通りの事を代弁してくれたのは林冲だ。
呂方が一瞬睨んだようにも見えた。
どうやら皆が仲が良い訳ではないのかもしれない。
梁山泊の頭領は約六十人、晁蓋や宋江がいかに結束の強化をと言っても無理からぬ事だ。
と、扈三娘は考えた。
なのに、その後も組を代えつつ打ち合っていると、扈三娘は林冲を眼で追っている自分に気付く。
やがて調練も終わり、呼吸は整ったのに、何故か心の臓は落ち着かなかった。
翌日以降も扈三娘は行動に制限される事もなく、比較的自由に動いていた。
扈三娘の眼に写った梁山泊は既に一つの国の様である。
店は必要ないのだろうが、酒や飯を食う場所は至る所にあるし、畑も広く家畜や軍馬も多い。
住居用の建物にしても立派で腕の良い大工がいるのだろうと思う。
四方八百里、湖に囲まれた独立国。
梁山泊はそこを目指しているのだろうか。
そう考えると空恐ろしく、自然の要塞の如き高い山々にも畏怖を感じる。
もし兄が見つかったら、その一員になるのだ。
期限はあと三日。
約束はしたものの、自分が身を置くとなるとやはり不安になる。
『あれで良かったのか』
林冲の言葉が思い起こされ、もしかして後悔しているのかと自問した。
そんな事はない。
そんな事はないが、心のどこかでは揺れているような気がする。
そもそも見つかるという保証はない。
見つからなかった時、自分はどうする気なのか。
今さらになって死ぬのも滑稽に思える。
はっきりとした答えのないまま道を歩いていると、一般兵の調練場が見えた。
指導している頭領の中に林冲の姿を見つける。
身の丈八尺と長身の彼はとりわけ目立つのだ。
扈三娘は身嗜みを確認すると調練場に近づいて見学した。
林冲は元は八十万禁軍の教頭、本職であるからこういう指導も得手なのだろう。
そう思って見ているのであって、他意はない。
言い訳じみた事を零しながら見ていると、林冲が扈三娘に気付き、近づいて来た。
「すみません、お邪魔な様でしたら他へ行きます。」
「いや、見ているなら寧ろもっと近くでも構わない。兵の士気も上がるだろう。」
冗談交じりの台詞に扈三娘の胸が高鳴る。
鎮まれ、と念じても鼓動は速くなるばかり。
やはり立ち去ろうと思った時、思いがけない事を尋ねられた。
「梁山泊が憎くはないのか。」
今さら、とも言えるような問いの返答に扈三娘は迷った。
どう言おうか考えていると、林冲が問いを重ねてくる。
「せっかく自由に動けるのだから、復讐したいとは思わないのか。俺や李逵に。」
李逵は父を殺した張本人だ。
少し沈黙した後で、扈三娘は答えた。
「父が殺されたのは私のせいです。私の未熟さ故、招いた結果ですから。憎いとは思っておりません。」
「そうか。」
「何故そのような事をお聞きになるのですか。」
「いや、肉親を殺されたらもっと、憎しみに支配されるものではないかと思っただけだ。」
「復讐を望まない私は親不孝なのでしょうか。」
「いやすまない。そうじゃない。ただ、俺ならそうなりそうだから聞いてみた。」
林冲は言いながら南の方角を見た。
遠くを見つめる林冲に扈三娘は少しだけ胸の痛みを覚える。
誰かを想い、誰かを憎む、そんな目だ。
「林冲殿にはそれほど憎い相手がいるのでしょうか。」
扈三娘が尋ねると、林冲は南を指して言った。
「殿帥府太尉、高俅。」
扈三娘も知っている名である。
宋国の軍事指揮権を持つ最高権力者。
指した先は東京開封府。
「妻を死に追いやり、親友との仲を裂いた男だ。」
それを聞いた扈三娘の胸にはいっそう痛みが走る。
聞かなければ良かった。
何に対してそう思ったか、扈三娘は自分にも分からなかったが、聞かなければ良かった。
そう後悔しても、聞いてしまった以上無言でもいられない。
「奥様を愛しているのですね。」
問うにしても別の事があっただろうに、扈三娘の胸はますます痛み、動揺する。
「そうだな。」
「今でも、ですか。」
「今でもだ。」
やはり、聞かなければ良かった。
立ち去りたい。
この人の隣にいるのが辛い。
けどそれを察知されてはならない、絶対に。
どう平常心を保てばいいのか分からず、扈三娘の心が激しく動揺している時、手下の一人が慌ただしく駆けて来た。
「扈三娘殿、戴宗殿がひとまず戻られましたので、聚義庁にお越し下さい。」
突然の知らせと、揺れる心で扈三娘は言葉が出ない。
代わりに林冲が確認する。
「扈成殿は見つかったのか。」
「はい。扈成殿は王英殿とこちらに向かっているとの事です。」
兄が見つかった。
という事は、王英と結婚するという事。
「良かったな。」
林冲がそう言って向けてくれた笑顔で、扈三娘は気付いた。
恋が散った。
今までの感情は恋だったのだ。
小さな小さな、初めての恋は花開く前に散ってしまった。
失って初めて知った恋だった。
密かに流した涙は失恋故なのか、兄に会える喜び故なのか、扈三娘自身にも分からない。
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