扈三娘の密かな恋

山桐未乃梨

第1話

早く殺してほしい。


梁山泊に送られてからというもの、扈三娘はそう願っていた。


女といえども武人の端くれ、生き恥など晒したくはない。


「どうぞ、私を殺して下さい。」


もう一度、毅然とした態度を崩さず、頭を下げる。


何度同じ台詞を吐いたかわからない。


目の前の色黒の小男、宋江は眉も目もハの字に下げてオロオロしていた。


隣には王英という名のこれまた小男が泣きそうな顔で立ち尽くしている。


滑稽だ。


泣き崩れたいのは私の方だ。


戦に敗れ、不様に捕らわれ、父を殺され、兄は行方知れず。


挙げ句、自分が一度捕らえた男の嫁になれとは、滑稽以外の何物でもない。


正直、祝家なんてどうでも良い。


許婚の、もらってやるんだからありがたく思え、という横柄な態度はどうしても好きになれなかった。


祝家の兄弟達が対等な筈の扈家、李家の事を見下していたのも知っている。


だから祝家が滅んだ事は良い、祝家に加勢した以上、実家にも累が及んだのも理解は出来る。


でも、だから父に殉じたい。


扈三娘は感情を抑え込み、


「殺して下さらないのなら、匕首を。自分で始末します。」


と、訴える。


すると梁山泊の頭領の並んだ列から長身の男が進み出て、静かな声で扈三娘に向かって言った。


「扈三娘殿、気持ちは察するが、今すぐ死ぬというのは早計過ぎる。」


男の名は林冲、扈三娘を負かせて捕らえた張本人である。


だからといって恨んでいる訳ではない。


一騎討ちは、悔しいが完敗だったのだから。


林冲は続けた。


「死ねばそれまで。兄の扈成殿に永遠に会えなくなる。だが生きていれば、いつかその消息を知る日が来るかもしれない。」


扈三娘の脳裡に優しい兄の顔がよぎる。


生きているなら…


会えるのだろうか。


ならば会いたい。


そんな扈三娘の迷いを見て、別の男が提案した。


「こうしてはどうでしょうか。明日から十日間、我々は扈成殿の捜索をする事としましょう。上手くここへ連れて来られれば、扈三娘殿は梁山泊の頭領となり、王英の妻となる。しかし、見つけられなかったり既に死している事がわかったらここから解放してあげますから、自害するのもどこか別の所へ行くのも自由という事に。如何かな。」


男は呉用という名の梁山泊の軍師だ。


顎髭を摩り、なぜか自信ありげな振る舞いは鼻についたが兄を探してくれるというのは悪い話ではない。


宋江も便乗して言う。


「それは妙案ではないか!では戴宗に行ってもらおう。一日八百里駆ける神行法を会得している彼なら必ず見つけられる筈だ。」


すると王英も、


「オ、オレも行く!行かせてくれ!」


と名乗りを上げた。


まだ扈三娘は返答していないのだが、これだけ盛り上がってしまってはいやも応もない。


捕らわれた身なれば、ここは言うとおりにするべきだ。


扈三娘は再び丁寧に頭を下げた。


「再び兄に会えましたら、私は頭領となり、王英殿の妻となります。どうか兄の件、宜しくお願い致します。」


話がまとまり、戴宗と王英の壮行会と称してその夜は聚義庁で酒宴が催された。


大量の酒と肉料理がずらりと並ぶ。


神行法を使うには酒を断ち、精進料理しか口に出来ないそうだが、彼らの為というよりは単に飲みたい男達のこじつけの宴なのだろう。


扈三娘は二人に挨拶を述べると早々に聚義庁の外に出て冬の冷たい夜風に当たる。


吐く息白く、頭上の星を曇らせる様は今の扈三娘の心の様だ。


いつの間にか捕虜から客人の扱いに変わり、頭領に、妻にと請われ心が追い付かぬのも無理はない。


兄に会えれば心に掛かった靄は晴れるのだろうか。


そんな思いを巡らせていると背後から声を掛けられる。


「扈三娘殿。」


振り向くと、そこにいたのは林冲だった。


「何か御用ですか。」

「宋江殿に扈三娘殿を一人にするなと言われて来た。」

「ご心配なく。客分の嗜みくらい弁えています。」

「俺もそう思う。だがこれくらいは羽織っておけ。」


林冲は自分の上着の袍を扈三娘に放って戻ろうとした。


予想外の行動に驚いた扈三娘は慌てて礼を言おうとしたが、それより早く林冲が切り出す。


「そうだ。約束の事だが、あれで良かったのか。」

「あれでというのは。」

「頭領の話はともかく、結婚までする必要はないのではないかと思ってな。」

「結婚相手は勝手に決められるもの。祝彪殿の事もそうでした。」

「そういうものか。」

「他に何があるのでしょうか。」

「なら良い。」


結婚に関しては女に拒否権はない。


少なくとも扈三娘の周囲はそうだった。


恋愛というものに憧れた事すらない。


そんなもの、いずれ傷つくだけ。


「お気遣いは無用でございます。」


扈三娘の本心である。


林冲は納得したのか、それ以上この事は口にしなかった。


「明日頭領の何人かと調練する事になっている。しばらく刀を振るっていないだろう。よかったら来ると良い。」


林冲は渡した袍を扈三娘の肩に掛けると、さっさと聚義庁へ消えて行った。


冷たい風が扈三娘の着物と髪を揺らす。


なのに頬は急に火照ってその冷たさが心地よく感じた。


久し振りに刀を振るえるからだ、と扈三娘は自分に言い聞かせた。







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