弥勒の世での心配事
いわゆる温室育ちの猫ちゃん動画を拝見した。
飼い主さんは心底優しそうなかたで、飼われている猫ちゃんも品良く成長されてるのが伝わってくる。
私の実家で飼っていた野性的な猫とは大違いだ。
うちの猫は元々野良猫だった。大怪我をして実家に助けを求めてきたので、それが縁で飼うことになった経緯がある。
野良猫が家猫になるまでは結構大変だったし、家猫になってからも野生の部分がたまに顔を出して獲物を取ってきては、子猫に狩りの仕方を教えているようだった。
家猫とはいえ田舎なので外出は自由であり、たまに数日間帰ってこなかったりもした。そんな猫を見ていたので、動画の猫ちゃんはまるで別の生き物のように見えた。
飼い主さんが用意した安全で快適すぎるお庭で遊ぶ様子はとても可愛いかった。
ハーネスやリードをつけずに自由に遊んでいいよと言われてもへっぴり腰で臆病になっているし、走る速度もめちゃ遅い。お庭に慣れてきたら慣れてきたでなんだかつまんなそうにも見えた。
だって外敵はいないし獲物はいないし友達もいないし雨も降らないし強風も雷も地震も何もないからだ。
もうじきやってくると云われている弥勒の世が、この安全すぎるお庭と重なった。
弥勒の世は、困った事や心配事や悲しい事などネガティブが何一つない。先の不安など一切考えなくていいようだけれど、心配性の私としては逆につまらないかもと心配 が湧いてきたのである。
「心配が無いことこそが心配だ」なんて変な話だ。
生まれる前の私は、マイナス要素が「あの世」に無かったから、わざわざ志願して正も負も両方ある「この世」に来たのではないか。
HSS型HSPという特性を持つ私だからこそ、正も負も両極を味わいたいと願ってきたのだろう。
弥勒の世がこのお庭のようだとすると、平和すぎて退屈すぎて嫌になっちゃわないか。物足りなさを感じないか。大丈夫なのか不安になる。
でもよく考えたら優しい優しい飼い主さんのことだから、平和なお庭に慣れてきた頃、次のお楽しみを作ってくれそうな氣がしてきた。
そうか、私を見守ってる宇宙だって 飼い主さんと同じように、退屈しない仕組みを作ってくれたり、毎日ワクワクでくだらない心配している暇が無いほど次々楽しませてくれるに違いない。
大丈夫なんだ。
平和すぎて退屈かもと心配する思考こそが、まだまだ三次元四次元的なのだろうと思い直した。
一足お先に、弥勒の世をイメージさせてくれた猫ちゃん動画に深く感謝し、来たる「完全なる世界」を存分に楽しもうと思う。
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