第12話
それから約一年間、正人からはもちろん何の音沙汰もないうえに、加賀から情報を得ることもなかった。明里が言うには加賀も連絡が取れなくなったらしい。
紀子はなんとか辰という男を振ってしまった以降、男の人とは縁がなく、勉強にバイトに週一のサークルという地味な大学生活を送っていた。
スマホを電車でいじっていると『11月8日の月食 18時頃から』という見出しの記事が目に留まる。あと二日後だった。正人と日食の日に海に行き、また日食の日にスクーターに乗せてもらうと約束したことを思い出した。あれからきっと何回か日食やら月食やらあっただろう。きっともう乗せてもらうことはないんだろうなと少し悲しくなる。
11月8日の朝。父親がつけていたニュースでも月食の話が大題的に取り上げられていた。
『本日の月食は18時から全国的に見られます。今日の天気は快晴なので見えやすいと予想されます。』
「へー見えるかな~。」と、母親が言ってくる。紀子は「私バイト中だよー。」と返す。
講義中もずっと月食のことを考えていた。正人はあの日の約束を覚えているだろうか。約束も何も今日は日食じゃないんだけど。そんなことを頭の中で考えていると気づいたらバイト先に電話をかけていた。
「すみません。今日どうしても体調悪いんで出れません。」
「いつもいっぱい出てくれるから大丈夫よ。」
すんなりと受け入れられた。
(何してるんだ私は。馬鹿か、期待したって意味ないのに。)
紀子はそう自分を責めながら、思い切って正人と行った海に行くことにした。
(自分の頭どんだけ湧いてるんだ。)
自分で自分が呆れてくる。でも、正人が来なかったらこれで完全に諦めきれる気がした。だから決して無駄な行動ではない。紀子はそう言い聞かせた。
ちょうど18時頃に例の駐車場に到着した。電車とタクシーを乗り継ぎ交通費3千円をかけてきた砂浜にやはり正人の姿は見えなかった。
紀子はとりあえず正人と6年前座っていたようなところに座る。あのときよりも砂浜は賑やかだった。カップルが3組くらいと若い女の子達の5人組がいた。皆月食を見に来たのだろう。
肝心な月食はというと薄っすら見える。
(あれはただの月にしか見えないけど。)
そんなことを思いながら一応何枚か写真を取っとく。全然写真じゃわからないし、一人で月食を見に来ている女なんてどれだけ痛いだろうと思い立ち上がる。
(まだ時間あるしタクシー代浮かせるために少し歩こうかな。)
そんなことを考えていると、駐車場に一台の黒いバイクが入って行ったのが見えた。
(あれが正人だったらいいな。)
と、少しの期待を抱いていたが、さすがにもう諦めていたので駐車場を通り過ぎる。
「一条。」
大きな声で誰かが紀子を呼んだ。紀子は足を止めた。誰の声かすぐ分かった。紀子が泣きそうになりながら後ろを振り返る。
黒髪で小綺麗になった正人がいた。
「正人。」
紀子はほとんど声が出なかった。
正人は走ってきて勢いよく紀子を抱きしめる。紀子は驚きで固まってしまった。数秒経ってから正人が我に返り、紀子を離す。
「ごめん。」
紀子も正人も赤面していた。正人が頭をかいてから思い出したように言う。
「悪かった、前あんなひどいことを言って。一条は中学のときよりも綺麗になって明るい性格になってたのに自分だけ何も変わってなくてイラついてた。」
「あ、そういうことだったの?」と少し驚いた後、「大丈夫だよ。ちょっと傷ついたけど。」と、紀子は笑ってみせた。紀子はまだ少し涙目だった。
「ごめん。」
正人は苦笑いする。
「良かった無事で。」
紀子は正人の顔を見る。正人はきょとんとした顔で紀子を見る。
「え、無事って?」
紀子も「え?」ときょとんとする。
「俺そんな危ない感じだったっけ。」
「え、だって賭博して借金してたんじゃないの?消息不明になってるから、てっきり取り立て屋から逃げてるのかと思った。」
「は?何の話?」
正人がまだきょとんとしてる。
「加賀さんが言ってた。」
「え、あいつお前のとこまで来たの。」
「そう正人のこと探してたよ。」
「あーそれは悪い意味でな。」
「悪い意味で?」
「お前が一回会ったことある研志っていたじゃん。あいつは俺とか加賀が働いていた建設会社の本部的なところに勤めてたんだけど、そこで行われてた賭博に無理矢理参加させられて結局あいつが借金つくったの。で、俺がそれ知ったから、研志と一緒に会社辞めてあの会社訴えようとしてた。多分それを阻止するためにあいつとか他の奴らが俺らのこと探し回ってたんだと思う。」
「それで大丈夫だったの?」
「うん、研志人脈だけは半端ないから、知り合いの紹介で優秀な弁護士雇って借金はチャラになった。」
「そっかー良かったね。」
紀子が安心した顔を見せる。
「じゃあ正人は今何の仕事してるの。」
「俺今バイトしかしてなくて専門の学校行ってるんだよね。」
「へー専門⁉なんの学校?」
「福祉系。児童福祉とかの方に進みたくて。」
正人が照れながら言う。
「え、福祉系?すごいね。」
紀子はびっくりする。
「一条は大学だよね?」
「そー文学部で今中国語勉強してる。私も勉強頑張んなきゃ。」
正人に微笑えんだ。
「あ、あのさ。」
正人が何か言うのを躊躇っている。
「ん?」と、紀子は聞く。
「手紙ありがとな。」
顔を赤くして正人が言う。
(なんのことだ)
紀子はポカンとしたが、しばらくして『好きです。』と書いた手紙を思い出した。
「え、届いたの?」
紀子はゆでだこみたいに赤くなっている。
「あ、うん。次の住人が研志に届けてくれた。」
「そっかー。」
紀子はへなへな笑いながら赤い顔を手で仰ぐ。
「あの『頑張って幸せになってほしい』って言葉は割と嬉しかった。それで色々頑張れた。」
「あ、本当。」
(そっちはどうでもいいんだよー。)
あえて触れないでくれているのかは分からなかったが、穴があったら入りたいと思うほどに恥ずかしかった。
「あのさ。」
正人が改まった様子で紀子を見てくる。
「うん。」
紀子も正人を見る。
「頑張って幸せにするんで、俺と結婚を前提にお付き合してください。」
正人が手を出して頭を下げる。
そんなの答えは決まっていた。
紀子は「はい。」と言って正人の手を握る。正人が身体を起こし、紀子を見つめる。顔を赤くしながら頭を撫でてくる。フフッと紀子の笑い声が漏れる。互いが愛おしそうに見つめ合う。紀子は正人に身を委ねるようにそっと目を閉じた。
「はい。」
正人が紀子にヘルメットを渡す。
「やばいめっちゃロマンチックじゃない?中学の時の約束が叶うんだよ。」
「うるせー、痛いカップルになるから早く乗れ。」
紀子はそう言われて正人の大きな背中に抱きつく。
「風、気持ちいいね。」
紀子が正人に言う。
「ねえ、一つ気になってたこと言っていい?」
「なに?」
「正人さ、もしかしてその会社の件無かったらずっとあの金髪の子と付き合うつもりだった?」
「何?きこえない。」
「だから、会社の件無かったらあの金髪の子とずっと付き合うつもりだった?」
「いや風が強くて。」
「あーもううざい!」
2022年11月8日。月食の日。二人は都会の街並みを駆け抜けて行った。
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