第10話

走り出してから数歩目で正人は水たまりに足を突っ込んだ。

「ねえ正人どこに行くの?ずぶ濡れなんだけど。」

紀子は雨の音にかき消されないように声を張って聞く。正人は「知らねえ。」と返すだけだった。

路地に入っていくと古びたアパートがあった。正人はそのアパートの屋根の下に入って立ち止まった。掴んでいた腕を離す。

「びっくりした。見て、私上履きだよ。」

紀子と正人はびちょびちょの上履きを見て笑う。

「ここ正人の家?」と紀子が聞くと、正人は「いや知り合いの。」と答える。正人が黄色いスクーターが置いてあるドアの前に行ってチャイムを鳴らす。

 金髪の男が出てきた。

「入れー。ってええ大丈夫?ずぶ濡れじゃん。」

紀子を二度見する。

「正人お前何した?」

金髪の男が正人に慌てて聞く。

「色々あっただけ。」

正人がぶっきらぼうに答えて、家の中に入ろうとする。紀子が戸惑っていると「寒いから入りな。」と外見のイメージとはほど遠い優しい対応をしてくれる。

「今タオル持ってくるからー。」と金髪の男は言って奥に入っていた。

 

 紀子は金髪の男が出した白湯入りのマグカップを両手で持ち、テーブルの前に座っている。さっきから正人と金髪の男が風呂場で何か揉めている。

「頼むって。」

「いや無理無理。」

正人が金髪の男の人に何か頼んでいるようだった。しばらくしてから「いいけどこの貸し絶対返せよ」と金髪の男が渋々承諾した声が聞こえた。

 金髪の男が戻って来る。

「大丈夫?寒くない?」

テーブルを挟んで向かい合って座って来た。

「いや私は全然。」

紀子は笑いながら答える。

「びっくりだなー正人が同級生の女の子連れてくるなんて。」

金髪の男は感慨深そうに話した。

「え、逆に同級生じゃない女の子連れて来たりするんですか。」

紀子は笑っていたが、眉が悲しんでいた。

「いやl、ないないない!そういうことじゃないよ」

金髪の男が慌てて否定した。

「あいついい奴だからこれからも仲良くしてあげて。」

「いい奴なのは知ってます。でも正人が仲良くしてくれるか分かんないから…。」

紀子が苦笑いする。

「大丈夫だよ。俺は今なんだかんだ4年一緒にいる。」

「へえ大変じゃないですか?」

紀子はいたずらっぽく破顔する。

「うん。」と首を縦に振ってから金髪の男も笑った。

「全部聞こえてんだけど。」と言いながら正人が二人の方にやって来た。

「はい。」と言って紀子にヘルメットを差し出す。紀子は戸惑いながら「ありがとう。」と言って受け取る。正人の見よう見真似で付けていると金髪の男が手伝ってくれる。

「雨降ってるから気をつけてよー。」

金髪の男が紀子の顎紐を閉めながら言う。

「私どこ行くんですか。」と紀子がこっそりと聞くと「分かんない。」と言って笑いながら返される。


玄関を開けると、外はさっきより小雨になっていた。ジャンパーとヘルメットを着用した正人と紀子がスクーターにまたがる。

「紀子ちゃん、吹っ飛ばされると危ないから正人に抱きついちゃいな。」

そう言われて紀子は恥ずかしそうに正人の腰に手を回す。正人は無反応だった。正人がエンジンをかけて「行ってくる」と金髪の男に声をかける。「はーい」と言って手を振る。紀子は軽く会釈をする。


雨が絶え間なく顔に当たる。正人は黙って運転しているため、紀子も何も話さない。走り出して10分くらい経つと大通りに出た。紀子は吹っ飛ばされないよう、身体ごと正人の大きな背中にピタッとくっつく。信号を待っている間に「怖い?」と正人が聞いてきた。運転し始めてから二人は始めて喋った。「ちょっとだけ。」と紀子は答える。

「あ、ごめん。」

信号待ち中もずっと正人に抱きついていたことに気づき紀子は離れる。

「どーせすぐに青になるからそのままでいいよ。」と、正人言う。「分かった。」と言って紀子はまた正人の腰に手を回す。

「しっかりつかまってろよ。」

信号が青に変わり、正人は思い切りスピードを出した。


30分近く走っていた大通りがようやく終わり、車の通りが格段に少ない道になった。紀子は肩の力を抜く。さっきよりも正人の背中からタバコらしき匂いが濃く感じられた。


正人はコンビニの駐車場に入った。

「私お金持って来てないよ。」

「いや俺が流石に持ってきた。」

二人はヘルメットを外し店内に入る。正人はドリンクコーナーでお茶のペットボトルを取り出す。「お前もなんか一本選べば」と言われたため、紀子は見たことのないフルーツオレのペットボトルを取り出す。

少しだけ休憩する。

「雨やんだね。良かった~。」

「な。」

「ねえ、今気づいたんだけど正人って運転していいの?」

「多分だめ。」

「だよね。どうしよう警察にバレたら。」

紀子は焦った様子を見せる。制服のスカートを指差し「だってこれだよ?」と言う。明らかに中学生のデザインだった。正人はフッと笑ってから「まあそのときはそのとき。」と言った。


走りだすと再び大通りに出ていく。ただ先程よりは広い道で車の通行が少なかった。川か海の上の道を何回か通り、ようやく駐車場にスクーターを止める。すぐ近く海が見えた。   

紀子は上履きを脱いでから、超えていいのかわからないフェンスを超え、砂の上を裸足で歩く。正人もついて行く。海には二人の他にサーフィンのようなマリンスポーツを楽しむ男性二人組と20代くらいのカップルしかいなかった。

「めっちゃ綺麗だね。来たことあるの?」

「あーさっきの研志とか他の奴と何度か。」

「へー。」

紀子はスカートの裾を持ちながら水に足をちょっとつける。「冷た。」すぐに正人の方に戻って来る。

「ねえ正人も一回足つけてきなよ。」

「いやだよ。冷たいんだろ。」

「でもここに来て足付けないとかないから。」

そう言って紀子は正人を海の方に押し出す。正人も渋々紀子の力に身を任せる。すると勢い余って二人とも足首くらいまで浸かってしまう。「冷た。」と言いながら二人は砂浜に逃げる。二人の笑い声が静かな砂浜に響き渡った。

  

 空が薄暗くなっていた。二人は砂浜に座っている。

「あー明日から学校行けねーわ。」

 正人が笑いながら言う。

「なんで?」

「だって、あんな50人くらいの女子に頭下げてんだぞ。まじ公開処刑だし。」

「あれは自分のせいでしょ。」

「そーだけど栄田なんかは吞気に明日も登校するんだぞ。まじムカつくわ。」

「うんあいつ本当ムカつく!」

紀子が急に大きい声を出したため、正人がびっくりする。

「私栄田のこと本当に嫌い。陰でせこいことやってる人が一番腹立つの。本当あいつ死んじゃえ。」

「いやお前がそこまで言うな。」

正人が笑いながらツッコむ。すると紀子は立ち上がり、

「栄田惠介なんて死んでしまえー」 と大きな声で叫ぶ。

20代カップルがびっくりして紀子の方を振り返る。正人が「お前馬鹿じゃねえの。」と慌てて紀子を座らせる。紀子は笑いながら正人を見て「スッキリした。」と言う。顔を真っ赤にしていたのは指摘しなかった。


「お前よくわかんねえな。ぶっ飛んでる。」

「そんなことないよ。」

紀子がいつもの調子に戻り、笑いながら否定する。

「お前は上手くいってるの?部活とか。」

「部活はめっちゃ楽しいよ。下手くそだけど。コンクールとかまだ出させてもらったことないの。」

「まじで?」

正人が苦笑いするが紀子が「まあでもメンバーが楽しいからあんま気にしてない。」と返した。                                                                                                            

「へーお前小学校のとき全然友達いなかったけど、今はいるんだな。」

正人がからかうように紀子を見る。

「ねーうるさい。それはお互い様じゃん。」

紀子が拗ねたような口調になる。正人はフッと笑う。

沈みかけている太陽をしばらく黙って二人は眺めていた。

「あ、あと思い出したんだけど、」

正人が急に笑いながら話出した。

「3年生くらいのときお前ツインテールしてたよな。」

「うん、してた。」

紀子は恥ずかしそうに笑う。

「あれ全然似合ってなかったよ。ウルトラの母みたいになってた。」

「ねーまじでうざい。」

紀子は顔を赤くし、正人の背中を叩く。「本当に嫌い。」と、紀子が小さく呟くと正人は「それは噓だろ。」と言う。紀子は正人の顔を見て「うん、噓。」と言って笑う。


「今のお前が何に似てるか教えてあげようか。」

「え、絶対悪口だから嫌だ。」

「いや普通に良いやつだから。」

「本当に?」

紀子が疑わしそうに正人を見つめる。

「うん、今のお前はな、犬に似てる。」

紀子は少し顔を赤くしながら「え、どこが?」と聞く。正人は「それは内緒。」と笑う。「なんでよー。」と言うと、「よし。そろそろ帰るか。」と言って正人が誤魔化す。立ち上がった正人を真似して紀子も立ち上がる。



 二人は来た道を同じように無言で帰っていた。

「ここら辺でいいや。」と紀子が言って正人はスクーターを止める。空は真っ暗になっていた。ヘルメットとジャンパーを脱いで正人に返す。

「今日はありがとう。楽しかった。」

はにかみながら紀子が言う。

「うん。」

紀子はまだ帰ろうとしなかった。何か言おうとしていることは正人にも分かった。


紀子はさっきまで自分が座っていた席を指差す。

「いつかまたそこに乗りたい、です。」

紀子は蒸気が出そうになるくらいに、顔を赤くする。正人も少し赤くなった、

「今日日食だったらしいから、次の日食だったらいいよ。」と、言う。

紀子はフフッと笑って、「うん、楽しみ。」と言う。

「じゃあまた。」

紀子は手を振り、家の方向へ帰って行った。



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