第6話

#3



『今日は最高気温が16度と暖かい陽気になるでしょう。ただ朝晩は冷えるので、上着で体温調節をするとよいでしょう。』

 ソファーでひっくり返っている母親を横目に、正人は洗面所で前髪を整えている。正人の母親は分厚い化粧にワンピース姿のままで寝ていた。寝返りを打ったことで、ワンピースから肌色のストッキングを着用した足が膝くらいまであらわになる。

『おはようございます。3月3日木曜日のニュース「エイトハーフ」です。』

番組が次の番組に切り替わったタイミングで正人は洗面所から離れ、スクールバックを持って家を出ていった。



 階段の中央では今崎が股を大きく広げ座っている。その一段下で壁に寄りかかりながら座っているのが正人だった。下から足音が近づいてくる。正人はわざと足音のする方を見ず、ゲームに熱中する。正人の前で足が止まったため、視線を少し上げ、足だけ確認する。灰色のジャージを着た花木の脚だった。正人は視線を画面に戻す。

「ケータイを貸しなさい。」

花木の言葉を無視して正人はプレイを続ける。

「ケータイを貸しなさい。」

下の階まで響くほど大きな声だった。正人はびっくりして指の動きを止めてしまった。舌打ちをしてから不貞腐れたような態度で花木にスマートフォンを渡す。花木は正人のスマートフォンをパーカーのポケットにしまう。

「こいつにも言えよ。」

正人はゲームをやめない今崎を顎でしゃくる。

「今日はお前に話がある。」

花木は今崎には関心を示さず、正人だけを見つめる。

「先生についてきなさい。」

そう言って花木は階段を下りて行く。正人は再び舌打ちをしてから立ち上がり、花木の後をついて行く。



花木と正人が入ったのは校長室だった。校長先生がソファーの真ん中に腰をかけている。

「君がここに来るのはこの間で最後だと思ったんだけどなあ。」

校長は正人を見て苦笑を浮かべる。正人はお構いなしにどすっと校長の向かいに腰をかける。花木は「失礼します。」と小さく言ってから校長の隣に座る。

「坂本くん、君が今日ここに来た理由はわかるかい?」

校長が柔らかい口調で話し始める。正人はふんぞり返りながら「いやわかんないっす。」と答える。

「とぼけても無駄だ。先生達は既に知ってるんだから。」

花木が身を乗り出す。

「じゃあ先に言えばいいだろ。」

正人が鋭い口調で言い返す。

校長が穏やかに微笑む。

「そーだね。うーん何から言おうかな。」

校長はそう言って腰をかけ直す。

「昨日花木先生が君のクラスにもやったように、女子更衣室に隠しカメラが置いていた件に関して知っていることはないか全生徒にアンケートをとった。そしたらその日の朝、君を体育館に入っていくところを見たという生徒がいたんだ。」

正人は一瞬不意を突かれたような表情を浮かべたが、すぐに元の不貞腐れたような顔になる。

「別に体育館くらい入ったっていいだろ。それだけで犯人扱いかよ。」。

「そんなことはしないよ。ただ何で君は朝体育館に入ったんだい?」

正人はふんぞり返った姿勢のまま、視線を腹部に落として黙り込む。5秒も経たないうちに花木から息を吸い込む音が聞こえた。正人は咄嗟に「ピアス」と口にする。

「あ?ピアス?」

花木が眉をひそめる。

「俺のピアスが無くなったから探してた。」

正人は視線をまっすぐ校長の方に向け答える。

「なんで体育館にあると思ったんだい?」

校長の口調はまだ柔らかかった。

「体育の前に外してから見た記憶がないから。」

「なるほど。」

校長は少し考え事をしてから、「とりあえずビアスはもうやめなさい。」と苦笑いをしながら言った。前のめりになっていた姿勢を元に戻す。正人は「うっす」とだけ言って軽く頷いた。

 

話がひと段落したところで、花木が校長に耳うちをする。校長は何か思い出したように目を開く。

「そういえば、君と一緒に体育館に入った生徒が二人いないかい。」

正人は一瞬黙り込む。

「いたけど…。」

「その生徒の名前を教えてくれないか。」

正人はまた数秒ほど黙り込んだ後、「二組の桜田と内山。」と答える。

「行く道で会ったから。」

そう付け足した。

「分かった。聞きたかったことはとりあえず以上になるから、教室に戻っていいよ。」

校長は正人に微笑みを向けながら頷く。



時計の針が12時10分弱を指す。一条紀子が雲一つない空を眺めていると、坂本正人がザクザク歩いている姿が目に入った。校庭の砂を思い切り蹴った。「クソッ」という声が聞こえてきそうだった。

 後ろから背中をツンツンされる。紀子は前を見ながら椅子を後ろに倒す。

「あれ坂本だよね?朝校長室行ってたって誰かが言ってたし、盗撮事件の犯人あいつじゃない?」

紀子は苦笑して小さく「確かに」と返す。


学校を出た正人が向かった先は古びたアパートだった。ドアの前にはスクーターが1台置いてある。ピンポーン。玄関のチャイムを鳴らす。応答はない。もう一度鳴らす。それでも応答がないため連続でチャイムを鳴らす。中からガタガタと物音が聞こえる。

「ったく。」

ガチャと鍵を開けて顔を覗かせたのはぼさぼさの金髪頭の18歳くらいの男だった。目が半分も開いてない。

「お前こんな時間に来るなよ。こっちは寝てんだよ。」

「寝てるってもう十二時だぞ。」

正人は玄関で靴を脱ぐ。部屋の中はカーテンを閉め切っていたため、真っ暗だった。正人はカーテンを半分開けて光を入れる。金髪の男は薄いピンク色のブランケットをかけてすでに寝転んでいた。

「何で来た?」

金髪の男が天井を見ながら聞く。正人は床に落ちていたカーキ色のブルゾンをどかしてから座る。

「スマホ奪われたから暇で。」

「ドンマイじゃん。俺寝てるから貸してあげるよ。」

金髪の男がスマホを斜め上にあげる。正人は「サンキュ」と言ってそれを取る。


「ってか暇でって学校なんだから授業受けろよ。」

金髪の男が笑いながら言う。

「お前に言われたくねーよ。」

正人が画面から目を離し、金髪の男を睨みつける。金髪の男はプッと吹き出す。

「まあでも授業受ける意味って無いよな。俺らみたいな頭悪い奴らは。」

「うん、それより絶対稼いだ方がいい。」

「それは間違いない。友達もどーせお前“今”しかいないだろ?」

「はあ?さすがにそれはねえ。“今”との方が最近関わってねーし。」

「あっそう。」

「ってかお前寝るんじゃねえのかよ。」

「あーそうだ。」

部屋の中はゲーム音しか聞こえなくなった。



「…おい、大丈夫か。」

肩をゆすぶられ、正人は目を覚ます。

「お前俺が帰ってくるまでずっと寝てたんだな。」

正人は仰向けのまま顔だけ上げ机の上のデジタル時計を確認する。“p.m.06:21”

「あーやべえー。」

「まあお前暇なんだから大丈夫でしょ。」

笑いながら金髪の男はカーキ色のブルゾンを脱ぐ。

「あー疲れた。なんか食うか?」

金髪の男は台所の方に行く。

「何かって何ある?」

金髪の男は流し台の下の引き出しからビニール袋を取り出して中身を見る。

「どーせお前ラーメンしかダメなんだろ?」

「うん。」

「そしたら、今醬油か豚骨しかねえ」

「醤油と豚骨。」

「二個選ぶなー。」

「俺成長期。」

正人がスマホを見ながら言う。

「こっちが食わしてあげてるのに生意気だなー。」

金髪の男が呆れたように笑う。

「あ、分かった。袋麵にするわ。」

隣の引き出しから袋麵を取り出す。

「味噌でいいー?」

「うん。」

金髪の男が袋を開けお湯を沸かし始める。


「お前今全く女と関係ないんだな。つまんな。」

正人は金髪の男のスマホを床に置き、身体を起こす。

「ないよ。女に関わる機会が無い。」

麺をほぐしながら金髪の男が答える。

「お前は逆にあるの?日菜子とついにヤったとか。」

「きしょいこと言うんじゃねぇよ。」

「お前どーせチキっただろ。」

「ちげーよ。その日気分じゃなかっただけだよ。」

「おーなるほどね。ってか、もしかして日菜子とまだ何もしてない?」

「あ?」

「あー箸出しといて。」と金髪の男が言う。正人は立ち上がり引き出しから出した箸を二膳テーブルの上に置く。

「お前その感じで純粋な恋愛しかしたことないの、めっちゃ可愛いな。」

金髪の男はにこにこしながら鍋をテーブルの真ん中に置く。

「皿ねぇじゃん。」

正人はわざと無視して台所に行く。

「まあ日菜子もあんまりそういうのに興味なさそうだから誘いづらいか。

学校の中で女探せば?」

金髪の男は正人から皿を受け取ったが、鍋の中から直接麺を啜った。

「いや学校ロリっぽい女しかいないから興味ない。」

「ロリっぽいも何も中1なんだから皆ロリだろ。」

金髪の男がぶっと笑う。



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