第3話
もう正人はすぐ近くだった。正人は紀子が近づいていることを気にもとめない。
「くそデブがこんくらいで許されると思ってるんじゃねーよ。」
正人はおじさんのものと思われる茶色い折りたたみ財布を地面に投げつける。
財布は紀子のいる場所からおよそ1m手前に落ちた。紀子は半歩踏み出してからそれを拾い上げ、おじさんに差し出す。
「どーぞ。」
おじさんは思わぬヒーローの登場に戸惑うが、「あ、ありがとう。」と少しだけ微笑み財布を受け取る。この間紀子は正人から強い視線を感じた。
(正人すごい私のこと見てるじゃん。何て言おう。)
紀子が恐る恐る正人の方に顔を向けると、正人は視線をそらし、身体の向きをかえた。
「行くぞ。」
血管が浮き出た腕がギャルの身体に巻かれる。さすがのギャルも戸惑って「えっ金は?」と発する。見た目と裏腹に清楚系の女優さんみたいな声だった。正人は戸惑うギャルを無理矢理連れてそそくさと駅の方に行ってしまう。
(あ、逃げられた。)
紀子はそう確信した。3年ぶりの再会とか思ってさっきまで浮かれていた自分が惨めになってきた。と同時に正人に対する小さな怒りも芽生えてきた。
(そんなすぐ逃げなくていいじゃん。顔も全然見えなかったし…。)
正人を心の中で責めている間に、そばにいたおじさんは気まずそうに会釈だけしてどこか行ってしまった。残された紀子達は呆然と立ち尽くす。そこにはなぜか背の高い不良もいた。
「あ、あの坂本正人とはどういう知り合いですか?」
紀子が沈黙を破る。
「ああ、なんだあんたあいつのこと知ってるの?」
不良が見た目よりは怖くない喋り方をしたため、紀子は安心した。
「はい、小中が一緒でした。」
明里がびっくりしたのかこっちを見てきた。「逃げられちゃったけど」と付け足す。
「俺は仕事が一緒。」
何の仕事か聞こうと思ったが、不良の視線が明里に移ったためやめた。
「あんたも正人と知り合いなの?」
「いや私は全く。」
明里は明らか不良のことを怖がっている様子で答える。不良はそれに気づいてフッと笑う。
「そんな怖がらないで。さっきのあれには一応理由があるから。」
「どんな理由ですか?」
明里が食い気味少し怒ったように尋ねる。
「うーんここだとあれだから移動しながら話そうか。」
確かに3人がいたのはホテル街のど真ん中だった。不良も電車で来たと言うため、3人で駅まで歩くことにした。
紀子達は警戒しながらもとりあえず不良に耳を傾けてみる。
「正人の隣に女がいたでしょ。あれは正人の彼女なんだけど、あの子は経済的な問題で風俗系の仕事してるのね。」
(彼女にそんな仕事させちゃダメでしょ…。)
「で、あいつがそこで出会ったあの客と今日同伴したら無理矢理ホテルに連れていかれて…って感じ。だからまあ正人があれだけキレるのも無理ないわけ。そもそもヒカルの働いている店そういうことは禁止してるし。」
ヘビーな話になんて返せばいいか困っていると、明里が「大変ですね。」とだけ返してくれる。
「あんたらは興味ないの?そっち系に。」
不良がつまんないことを聞いてきた。
「そんなの聞いて『あります。』って答えるわけないですよ!」
明里が即座に答えると不良は大きく笑った。会話上手の明里を気に入ったらしく年齢や住んでいる場所などを問い詰める。紀子にもたまに話をふってくれるが、おそらく不良は明里と二人だけで話をしたいのだろう。とっくに駅に着いていたが二人の話は終る気配がない。今はお互いの飲み会のときのエピソードを語っている最中だ。紀子にとっては加わりづらい話題だった。どんどん居心地が悪くなってくる。
(帰ってもいいよね。明里も嫌そうじゃないし。)
そう思ったが、ここで紀子が帰ったら明里を危険な目に合わせてしまうかもしれない。いくらなんでも初対面の不良風の男と二人きりにさせるのは良くない。そうは言っても、この空間は紀子にとってあまりにも居心地が悪すぎた。悩んだ末、「のどが渇いたから、水買ってくる」と言って一旦その場を離れることにした。
紀子は信号を渡ったところにあるドラッグストアに向かう。入口の近くにあった水を取ってレジに並ぼうとするが、すでに8組くらい順番待ちをしていた。一瞬並ぶのに躊躇した。が、むしろあの二人のもとへ帰る時間を遅らせられるためラッキーだと思い直し、レジに並ぶ。
紀子がボーっと正面を向いていると、紀子の3組くらい前に正人とさっきのギャルが並んでいることに気づく。正人はギャルの頭を繰り返し撫でていた。正人が彼女を大事に思っていることは正人の視線で分かる。紀子はそろそろ気づかれそうだと思い、スマホに視線を移す。
紀子にとって正人が誰かと付き合っているということはどうでもいいが、正人が一人の女の子をあんな風に大事そうにしていたということはそれなりにショックだった。
(いや、意味わかんない。なんでショック受けてるの)
紀子は自分に少しだけ苛立ちを覚えた。
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