第2話


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2021年6月。

紀子は一旦箸の動きを止めて明里の顔を見る。

「それって何サークルの話だっけ?」

「フットサル!」

「フットサルの飲みって結構エグイんだ。」

また紀子は箸を動かし始める。小皿の中を空にして、テーブルの中心に置かれた大皿からチーズタッカルビを取り出す。

「うーん。どうだろ。試合後の飲み会ではいつも宗佑さんみたいに誰かしらが一気やる羽目になるって女の先輩が言ってた。」

 宗佑さんとは明里が気になっている先輩のことだ。高校時代の友人と遊ぶと必ず“サークル”“飲み”の話をする。サークルに所属していない紀子は必ず聞き手に回らなければならないのだった。

「一気とかめっちゃ大学生っぽい。」

紀子がチーズをやっとのことで切り終えると、今度は明里が大皿に手を伸ばす。紀子が意識的に声を大きくして言う。

「そういう飲みとかって傍から見てる分には怖そうだけど、実際参加したら楽しそうだな~。」

また適当なことを言ってしまった。紀子は自覚した。

「そうだよ。私のサークルはそんな強制で飲まされるわけじゃないから、先輩が潰れてるのみて笑ってるだけ!」

「バイトも大事だけど、今のうちに飲みとか経験した方が絶対いい!」

明里にそんな言葉を言われ、紀子は苦笑いを浮かべる。

午後8時の池袋。店内はどんどん騒がしくなってくる。

「ここって居酒屋だったのかな。」

「ぽいね。チーズタッカルビで検索したときに上の方に出てきたから、勝手に韓国料理屋さんって解釈してたけど…。」

二人は店内の様子を見まわす。サラリーマン二人組と20代前半くらいの男の4人組、そしてどうしても目に付くのが女の子一人と男3人のグループだ。

「どういう関係だろ。」

明里が得意の人間観察を始める。4人組で来ているが、今は二人ずつで話している。眼鏡で小麦肌の男と色白で目がくりっとした男のペアと、ボブカットの女の子と髪の毛をワックスで逆立てた男のペアに分かれている。手前の男二人組は和やかに話している。男女のペアの方は女の携帯を男が覗き込みながら話をしている。

「あの人女の子とめっちゃ距離近いけど、正直お似合いじゃなくないよね?」

明里は一応周りに話している内容が聞こえないように気を使っているのか、随分と至近距離で話す。紀子は明里のことを改めて恵まれている容姿だと思った。


明里が小声で「紀子だったら誰選ぶ?」と聞いてきた。

明里は本当にこういう話が好きだ。男の子に興味ありませんみたいな感じだったらなおさらモテていたかもしれないが、変に気取ってない感じが友達としては好感が持てる。

「うーん。私はもっと大人っぽい雰囲気の人がいいからあの中にはいないかなー。」

「まあ紀子はそうか…。芸能人とかで言うとだれだっけ?」

「HISASHIかなー。」

紀子は最近人気の若手ロックバンドのボーカルの名を挙げた。

「そーだ。私と真逆だわ。」

紀子と明里は顔を見合わせて笑う。

「明里は絶対色白の人でしょ?」

「そーなの。可愛いからね。愛でたい。」

「とりあえず連絡先でも聞いてくれば?」

紀子が冗談のテンションで言ったのに、明里は「えーどうしよう。」と真剣に悩み始める。

結局色白の男の人がいるグループがすぐにお店を出てしまったために明里は連絡先が交換できなかった。紀子達は若干の物足りなさを感じながら、9時前に店を出た。


「ああ楽しかった。また早く会いたい!」

「ね。来月の最初はテストで忙しいからその後ね!」

突き当りを曲るといかにもなホテル街がある。

「行きの時点でやばかったけど、この時間だとめっちゃ煌びやかだね。」

明里がハハハッとしゃがれ声で笑う。紀子はこの声が好きだった。

「このルート通るべきじゃなかったね。危険な雰囲気しか感じない。」

下品に光る周囲を紀子は見回す。

「ねえ、なんかあそこ揉めてない?」

明里が100mくらい先の異様に気付く。一人が誰かを突き飛ばす。

「ってめえ。ふざんけなよ。こいつにどうせキモいことしようとしたんだろ。」

若い男の怒鳴り声が聞こえる。

「うわー嫌だ。あそこ通りたくな。こういう光景ホテル街あるあるなのかな。」

「ね、どうなんだろ。まあ気にせず通れば大丈夫よ。」

紀子は冷静を装ったが、内心興味を持っていた。

50mくらいまで近づくとようやく状況が分かる。小太りのおじさん対金髪ギャル女と不良男二人の構図だ。

「あのヤンキーめっちゃいきってるけど、背小さそうだからおじさん頑張れば倒せるでしょ。」


あのヤンキーとは最初に怒鳴った方の男だ。紀子はどこか聞き覚えのある声だと思った。目を凝らす。坂本正人だった。問題児と一言はで片付けられないくらいの問題児だったあの坂本正人だった。

(中学まで一緒だったから3年ぶりの再会ってことになるのか。なんか若干気まずいなー。)

そんなことを思っていると明里に袖をチョンっと引っ張られる。

「ねえ、さすがにやばくない?」

いつのまにか正人はおじさんの胸倉を掴んでいた。

「お前まじでこれしか金ねえのかよ。どっかに持ってるんだろ?」

どうやら金銭を要求しているようだった。

(普通に犯罪ぽいじゃん。正人も随分と落ちたなー。)

紀子は冷静でありながらも、正人の有り様にショックを受けていた。

「警察に通報した方がいいかな。」

明里がおびえながら紀子に聞く。

「うーん。そうかもね。」

紀子は足を止めようとはせず、ただ曖昧な返事をする。

(私なんでこんなショック受けてんだろ…。)


紀子は自分を蔑んでいた。それは依然として坂本正人に惹かれてしまっていたためであった。


紀子が思い出したのは小学校4年生の秋頃。初恋などではないが、紀子の記憶に色濃く残っているものだった。



タッタッタッタッ

廊下から誰かが走ってくる音がした。坂本正人が紀子しかいない教室に駆け込んできた。紀子は反射的に宿題のプリントを裏返しにする。

「おお、一条か。」

誰もいないと思ったのか正人は紀子の存在に驚く。

「どーしたの?」

紀子は息を切らした正人を見て、少し笑ってしまう。

「吉田に追われててさ。」

正人は相当疲れたのか、膝に手を置き苦しそうな表情を浮かべる。紀子は正人の呼吸が落ち着くのを待ってから質問をしようと決める。

タッタッタッタッ

さっきよりも大きな足音が聞こえてきた。


正人は「やべ」と言ってロッカーの中に入る。

「一条これ外から閉めて。」

「え、あ、分かった。」

紀子は言われるがままロッカーの扉を閉めるが、その後どうすればいいか分からず教室をうろつく。予想通り足音の主であった吉田先生が教室をのぞいてきた。

「お、一条。何してんだ。」

吉田先生に笑われたのは初めてだった。

(自分の席に座っていたら変じゃなかったのに…。)

紀子は悔やむ。

「掃除です。ゴミが落ちていたので…。」

何とか振り絞った噓で答える。紀子は自分の手にほうきもちりとりも無いことに気づき、心臓をドキドキさせる。吉田先生はきょとんとした顔で「ああそうか、偉いな。」

と言う。この即席の噓を吉田先生はどうやら信じたみたいだった。


「それより坂本正人を見なかったか?」

吉田先生は本題を切り出してきた。紀子は罪悪感を抱きながらも、

「見なかったです。」とだけ答えた。

「あーそうか。邪魔して悪かった。」

吉田先生が教室から離れていく。まだ隣のクラスを覗き込んでいるようだ。


ようやく階段を降りる音がした。

「行ったよ~。」

紀子が掃除ロッカーを開ける。

「こん中あちー。」

と言いながら正人は出てきた。

紀子は浮かない顔をしている。それを見た正人は

「お前もキョウハンだからな。」

と言い放つ。

(いつもの癖が出た。)

紀子はフッと笑ってしまう。正人には難しい言葉を使いたがる癖があった。ついこの間はホラフキなんて言葉を使っていた。誰から教わったのだろう。

正人は口角が上がっている紀子を見てムッとする。

「なんだよ。」

本気で怒られたら困るので、紀子は強く首を振り「何でもない。」と答える。


「ってか一条一人で何してたの。」

「あ、図工の宿題…。」

紀子は裏返しにしていたプリントに視線を落とす。

「へー。見せて。」

正人がプリントをめくろうとする。

「え、ダメ!」

紀子が大きな声を出し、プリントを手で押さえる。

「なんでだよ。別にいいじゃん。」

正人が意地悪そうに笑う。

「えー嫌だ。下手だもん。」

紀子は本当に困ったような表情を浮かべている。「大丈夫でしょ。」と言いながら正人がプリントを無理矢理めくろうとする。紀子はプリントが破れてしまっては仕方がないと思い、手をどける。


“止めよう!地球温暖化”という文字の下に汗をかいて苦しそうな表情をつけた地球が描かれている。

「え、別にいいじゃん。ってか絵すごくね?」

「え、本当に?」

褒められ慣れていない紀子は顔が赤くなる。正人はそんな紀子の顔を見てフッと笑う。

「お前すぐ赤くなるじゃん。アンパンマンみてー。」

指摘されるともっと赤くなる。「ねえ、最悪!」と正人に言い返そうとしたが、言葉が何も続かず、ただ正人の背中を見つめていた。正人はドアの前まで来て立ち止まり、紀子の方を振り返った。

「お前もっと自信持った方がいいぞ。」

正人はニッと笑いながら教室を出て行った。


紀子が正人のことを気になり出したのはこのときからだった。学校の問題児で感じ悪い印象だった正人が、無邪気で優しい印象に変わった日だった。

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