第21話 勇者マルス
「これ、つまらないものですが……」
リビングに通され勇者マルスが鳩サブレを机の上に置く。
新聞やテレビで見た顔が目の前にいる。そんな人物がなぜ突然?
心当たりは一つしかなかった。
「あ、ありがとうございます。マルスさん。どうしてこの時間に来たんですか?」
マルスの視線、体の動き、それらが二階にいる魔王に向けられた瞬間、俺は魔法を使うこともいとわない。そう思いながら、警戒してマルスの一挙手一投足を見つめる。
「ああ、実はね」
マルスはゆっくりと座っていたソファから立ち上がった。
「……ッ!」
全身に力が入る。
マルスは俺が警戒して見つめる中、ゆっくりと体を前のめりに倒し、膝を床に擦り付け、手を床につけた。
「え?」
「先ほどは! うちの娘がご迷惑をおかけして、誠に申し訳ありませんでした!」
そして、勢いよくと頭を床に落とした。
「え、え⁉」
勇者マルスが、俺の家で深々と土下座をしていた。
「ちょ、ちょっと、困ります! いきなり土下座……娘?」
娘って? 先ほどって何の話だ?
「あの、話が見えないんですけど。娘って誰の事を言ってるんです?」
「先ほど警察から連絡を受けまして、正樹君がうちの娘、ブリージアに刀で斬りつけられたと! 本当に申し訳ございませんでした!」
「ブリージアって誰で……刀?」
その名前、聞いたことがある。
『拙者はブリージア・エレキカイザーと申す』
江ノ島のタワーの下、ジュリオにあの忍者はそう名乗っていなかったか?
「もしかして、吹雪の事ですか?」
「はい!」
マルスは土下座したまま、俺の言葉に肯定した。
嘘だろ……あの雷亭吹雪が勇者の娘⁉
「ちょちょちょちょちょ、ちょっと待ってください! とりあえず顔を上げてください」
マルスが本当に申し訳なさそうな顔で顔を上げていく。
「あの、マルスさんって海外の人ですよね? 吹雪はどう見ても日本人ですけど」
「いえ、私は魔族と同じように元々ゲームのキャラクターでして。ゲームアシミレーションの時に一緒にこの世界から来た。『イノセント・ファンタジア』の登場人物ですよ」
そのくらい俺も知ってる。ゲームアシミレーションの時に実体化したのは魔族のようなモンスターや城や街のような建物だけでなく、あっちの世界の住民も一緒に来たのだと。そして、その中には『イノセント・ファンタジア』の主人公、勇者マルスがいるということも。
「そういう意味じゃなくて、髪の色が金髪のイギリスとかヨーロッパ系の人種の人じゃないですか。髪の色が吹雪は黒ですし、顔つきも……」
いや、マルスの顔をよく見ればそこまで欧米人っぽくない。日本人が髪の色を染めているようにも見えるほど、和風の顔だちをしていた。
「あの子は元々金髪です。それに私は日本で作られたゲームのキャラクターですので髪の色以外は人種的にはほとんど日系人と変わらないですよ」
「あ、そんなもんですか。つーか、あいつ染めてたんですね……」
「名前も勇者の娘というのは目立つからと、特別に日本人名を名乗らせているんです。一応私にもあるんですが、もう勇者というのは知れ渡っているので、あまり使う機会がなく……」
恥ずかしそうに頭を掻くマルス。
まだ、床に足をつけたままだったので、とりあえずソファに座らせ、落ち着いて向き合う。
「……あの、警察からどんな風に伺ってるんですか?」
「娘が夕方、交番の目の前で君に襲い掛かったと。そして、警察署ではずっと『魔王を倒すためにやったことで、反省はしていない』と」
「そうですか……」
「不出来な娘で申し訳ありません!」
再びマルスが頭を下げる。
まずいな。魔王の情報がマルスに届いている。完全に信じられるほどの情報じゃないだろうが、娘が娘だ。魔王が生きていると確証を得られれば、マルスもミラの命を狙うかもしれない。
「謝らなくていいって言ってるじゃないですか。でも、こうやって来てくれているということは、娘さんの言葉を信じていないんですか?」
マルスが顔を上げる。
「というと? 魔王を倒すためというやつですか?」
「そうです、倒したんですよね? 三年前に、貴方が」
俺が倒したかった、魔王を。
「えぇ。確かに倒したはずです。聖剣エクスカリバーで魔王の胸を貫いて絶命し、消滅するのを確かに見届けました」
「……そこまでしたんですか?」
「そこまでしますよ。モンスターですもの」
親子だ、容赦がねぇ。
「じゃあ、魔王はいないとマルスさんは思っているんですよね?」
「いえ、それは違いますよ」
「え?」
マルスは平然と答える。
「世界を支配する魔王ですよ。そう簡単に身が亡ぶとは思っていません。魔王はあちらの世のあらゆる理を覆すマジックアイテムを貯蔵しています。あの状態から復活するアイテムがあってもおかしくないでしょう」
「……信じているののですか? 吹雪の言葉を。俺が魔王と一緒にいるということを」
緊張しながら、マルスを見つめる。
マルスはふぅと息を吐くと穏やかな笑顔を向けた。
「元気ですか? 彼女は?」
「え……?」
あれ、全然予想外の言葉が飛び出した。もっと、「渡せ」とか「殺せ」とかとげとげしい言葉が出ると思っていた。
「彼女、とは誰の事です?」
「ミラ・イゼット・サタン。魔王の座に座る、サタン族の長。吹雪の話を聞いて、驚いたと同時に安心しました。まさか生きているとは、そして、孤独な彼女に友達ができたとは、と」
「心配していたんですか? 勇者が魔王を?」
「寂しそうな顔をしていましたからね、私たちが彼女と対峙したとき……」
魔王の事を語る勇者は悲しい目をしていた。
「じゃあ、娘さんに言ってもらえますか? 魔王がいるなんて馬鹿なことを言ってないで、真面目に生きろって」
そして、あの格好をやめろと。
「言いはしますが聞かないでしょう。娘は少し頭が固いところがあります。それに魔王を可哀そうとも思いますが、彼女が持っている力はこの世界にとって脅威。そこに目をつぶって、魔王を安全だとみなすのは私にはできません。《ジンコード》の使用回数も後一回残っていますし」
「《ジンコード》?」
なんだそれ? 初めて聞く単語だ。
「知らないですか? ブリージア、吹雪が回収したカード状のアイテムの事です。あれは、世界を改変する魔法のアイテム。三回しか使えない世界中のゲムノウ粒子に指令を出せるカードです。魔王がこの世界に来て初めて使ったアイテムで。それで元々の世界のミサイルや軍艦をモンスターに改変したと聞きます」
「世界を改変する……そんなアイテムが?」
聞いたことがない。ゲムノウ粒子に直接干渉するアイテムなんて……もしもマルスの話通りのアイテムがあるとすれば、それは確実に世界の脅威となり得る。
「吹雪が回収したと言ったのはそれの事ですか?」
「ええ、今は国の施設で厳重に保管されています。一度目は世界を支配するために使われ、二回目も何かで使われた形跡がありました。三回目で何に使うのか。それが問題です」
「でも、そんなものがあったら、魔王は倒された三年間で使ってたんじゃないですか? ゴミ捨て場で生活してたんですよ? 力も失って、子供のような姿になって」
「使えませんよ。『魔法』のパラメータが足りてないと」
「え?」
『魔法』の……パラメータ……?
「誰でも使えるわけではありません。そのパラメータがマックスである必要があり、かつ、使えばレベルがゼロになります。使うにはそれ相応のリスクがあるからこそ、魔王もそう簡単に使えなかったんでしょう」
つまり、ミラがステータスを交換した後は、使えるということか⁉
左手にはめている指輪に眼を落とし、握りしめる。
俺が沈黙していると、マルスは話は終わったとばかりに立ち上がる。
「ではそろそろ、私は帰ります」
〇
玄関までマルスを案内する。
「今日は本当に申し訳ありませんでした」
軽くだが、会釈をしてまたマルスが謝った。
「いえ、そんな……」
扉に手をかけると、マルスはふと、その手を止めた。
「ああ、もしも、貴方が彼女を守るつもりなら、忠告しておきます。私は魔王討伐に関わる気はありませんが、世の中の人すべてがそうではない。むしろ吹雪のように考える方が大多数だと思っておいてください」
「……わかりました」
マルスが扉を開ける。
「それでは」
突然、眩いライトの光が扉の向こうから入り込む。
「⁉」
まぶしくて手を掲げると、マルスは光の先へと歩いていく。
「ご苦労様です。話してみましたが洗脳されている様子ではありませんでした」
光の向こうの人物に何かを話しかける。マルスが声をかけられた人物は「警戒やめ!」と声をかけると、こちらを照らす照明を消した。
家の前にいた人物は一人ではない、何人もいる。それにライトが付いている車には赤いパトランプもついており、彼らの服装は紺色の統一された制服。
警察だ。
警察の部隊が俺の家を取り囲んでいた。
「私は干渉しませんが、魔王が危険だと思っている人は多いですよ。それでは」
再び同じような別れの言葉を告げ、マルスは去っていった。
〇
まずいまずいまずいまずい!
警察が家の前に張り付いている。吹雪が捕まって魔王がこの家にいると警察に情報が
言ったのだ。普通であれば嘘かとも思うだろうが、勇者の娘の言うことだ。それに、あの格好や、警察の一人は彼女自身にも恩義があると言っていた。恐らく、吹雪も警察に何らかの形で協力をしていた仲間のような関係を持っているのだろう。
階段を駆け上がる。
マルスの言葉のおかげか、家の前の警官たちは待機しているだけで踏み込もう党はしない。ただ、下手に刺激をさせまいと、張り付いてみているだけだ。
俺の部屋の扉をあけ放つ。
「ここから逃げるぞ! ミラ!」
が、そこにミラはいなかった。
「ミラ?」
この部屋に行くように言ったのに――――。
部屋の中央には、ミラが風呂上りに使っていた濡れたバスタオルが落ちていた。
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