第20話 来訪者

 家に帰り、魔王に餌をやると、俺は一人で風呂に入って考え込んでいた。

 浴槽の水面の先に左手の指はまった銀の指輪を見つめる。


「『ポーズ』……」


 メニューボードを立ち上げる。表示されているステータスはいつもの自分のもの、『魔法』が999で『魅力』が0。見慣れた数値だ。

 その他にも『HP―9999』『MP―999』『力―999』『防御―99』『技―999』『魔法―999』『速さ―999』『運―999』……。才能もあったが、俺が必死に努力してこそ上げてきた能力値だ。

 それを全部この指輪の力で失う。


 いいのか? そんなことして?


「一人で入るとは水臭いの」


 脱衣所への扉が開き、裸のミラが入ってくる。彼女の指には『エクスチェンジリング』ははまったままで、急速に俺のステータスの数値が下がっていく。

 『シンドウ・マサキ レベル5』『HP―31』『MP―23』『力―10』『防御―11』『技―6』『速さ―4』『魔法―15』『対魔―7』『幸運―2』……。

 ミラ・イゼット・サタンのステータスそのままのステータスに書き換わっていく。


「……水臭いのは風呂場だから当然だ」

「お、結構余裕があるではないか。我が共犯者よ」


 ミラが体を洗い始めながら、ニヤニヤした笑い顔を向ける。


「言っておくが、我は嘘は言っておらんぞ。お主が勝手に勘違いをしただけじゃ。我は一言も『魔法』と『魅力』を入れ替えるだけのアイテムだとは言っておらん。そんな都合のいいアイテムはない。それに、気づかんかったお主が悪いと思うぞ?」


 確かに、『ポーズ』で自分のステータスを確認すれば一発で気づくことだ。何回か開いていたが、『魅力』の数字に目を奪われて、そのほかを見ようとしなかった俺が悪いと言われればそうだろう。


「そうだな……そんな都合のいい話はない。何かを得るためには何かを犠牲にしなければいけないからな」

「じゃったらどうする? この生活をやめるか? 我はお主の力を使い、この世界を滅ぼす、かもしれんぞ?」

「まぁ、お前がこの世界を滅ぼそうとするのはまずないとして」


 魔王の体を洗う手が止まった。


「(RPG)ステータス全部を失うのはちょっとなぁ……一応、死ぬほど努力して手に入れたステータスだ。それを全部っていうのは……」


 そして、すぐに再開した。


「……仕方があるまい。そう簡単に望む力が得られると思うな。そんな甘い話はない」


 少し魔王の声が高かった。こちらから顔を背けているのでどんな表情をしているのかわからないが、嬉しくて声が弾んでいたように聞こえた。


「その代わり『魅力』が999になるからいいではないか。あのめくりという女を見たじゃろう? 今までだったら気づかれもしなかったお前に、めくりはグイグイとアタックしてきた。あれ以上の女がこれからの高校生活でいくらでもアタックしてくるかもしれんぞ?」

「それ以外の『芸術』とか『スポーツ』とかの(シミュレーション)ステータスも一緒に高ステータスになるんだもんな。高校では、俺はモテモテ確実。それに、実際日常生活で『魔法』『力』もそんなに使わなかったしなぁ」


 そう、今日のことは序章。ケットシーや忍者が特殊だったからそこまで『魅力―999』の効果が体感できなかったが、普通の女であればめくりのようにすぐに手のひらを返してチョロインと化すはずなのだ。

 俺が初めてこの魔王と会った時のように。見惚れ、つまり高校で俺は校内ヒエラルキートップに位置することができるのだ。

 それに……、


「なぁ、魔王。今俺が指輪を外してやめるって言ったら、お前どうする? この家を出ていくのか?」

「出ていくじゃろう。そうなれば、我の『魅力』は999に戻り、親御に気づかれてしまう。それに、あの忍者がおる、いずれここに魔王がおるとお主も困るであろ?」

「忍者、か。あいつは一体何者だったんだろうな」

「ただの変態じゃろう」

「そうだけど、今の平和なご時世に、帯刀して、魔王を倒そうだなんて……何か目的があるのかもしれない」

「目的……」

「そういえば、忍者はアレを回収したって言ってたな? アレってなんだよ?」

「それは……言えん、言ったらお主は我を軽蔑する」


 魔王は俯き、シャワーで体についた泡を流し終わり、俺が入っている浴槽へ足をつける。


「お前、本当にこの世界を滅ぼすのか?」

「…………」


 魔王は答えようとせずに、湯船にあごを沈ませ、視線を俺から逸らした。

 俺にはこんな少女を見捨てることはできなかった。


「続けるよ。契約」

「何?」


 ミラの顔が湯船から浮上し、眼がこちらに向けられる。


「お前は世界を滅ぼせない。多分、お前は優しいやつだ。それに例え、お前が世界を滅ぼそうとしても、俺が止める。絶対にやめさせてみせる。『力』や『技』がなくても、どうにかして止める。やってみせる」

「……そうか、なら、やってみせろ」


 それだけ言うとミラは安心したように目を閉じた。


 風呂から上がり、ミラに着替えのパジャマを用意していなかった迂闊さを呪い、魔王にとりあえず昼間着ていたものをきせて俺の部屋に上がろうとした瞬間、家のチャイムが鳴らされた。


「はいは~い」


 とりあえず、客の対応は母さんに任せて、俺はミラにパジャマを着せるため、階段を上がり続けた。


「きゃああああああああああ!」

「母さん⁉」


 悲鳴が上がって急いで階段を降りる。

 何が起きた? いきなり母さんが悲鳴を上げるなんて尋常じゃないぞ⁉

 玄関へたどり着くと、母さんは腰を抜かしたようにへたり込んで、開けっ放しの扉を指さす。


「あ……あ……正樹」

「すいません、いきなりで驚かせてしまったようで」


 母さんの指先をたどる。

 訪ねてきたのは中年の外人だった。普通のスーツに身を包んで、金髪の……、


「なっ⁉」


 だが、顔を見た瞬間に俺は息をのんだ。それほど衝撃的な男が何の前触れもなしに突然訪問してきたのだから。


「ゆ、勇者マルス……?」

「ど、どうも、こんな時間にすいません……」


 スーツ姿の勇者マルスは本当に申し訳なさそうにペコペコと頭を下げた。


「新藤正樹君は君だよね。少し話せるかな?」


 頭を掻きながら下げるマルスに、俺は頷いた。


「あ、あああああ、玄関先では何ですから、こちらのほうへ!」


 気を取り直した母さんが急いでリビングへマルスを通し、「お父さん、色紙持ってきて! 色紙!」という声を響かせていた。


「なんじゃ? 何が起きた?」


 まだ階段の上にいたミラが尋ねる。先ほど急いで降りたため、すでに二メートル以上距離が離れてしまっている。


「ミラ。お前は俺の部屋にいてくれ。絶対に俺が行くまで部屋を出ないでくれ。頼む」

「……わかった」


 真剣に見つめると、彼女は頷いてくれた。

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