第8話 帰宅

 下水道を通るという一生でもう二度とやりたくないと思える貴重な経験を経て、俺はとりあえず魔王を自宅へと連れてきた。

 指輪をはめて一週間、二メートル以内にいなければいけなくなってしまったし、彼女は住む場所をどこの誰とも知らない奴に壊されてしまっている。もうあそこに帰るわけにはいかない。


「何じゃここ……」

「俺の家だけど」


 普通の二階建ての家の前にはでかでかと『人類限界値オールマックス人類最強・マサキの家』という看板がたっていた。だいぶ、昔に近所の大工に作ってもらったもので野ざらしでだいぶさび付いたりしてみすぼらしくなってしまったものだが。


「恥ずかしゅうないのかコレ」

「もう慣れたし。平和な世の中になっても外そうとしないってところから俺の両親の性格を察してくれよ」


 俺の両親は少し変わった人間だから女の子一人一週間泊めるくらい何とか説得できるだろう。ホームレスだということを明かせば、同情を引いて簡単に泣き落とせるはずだ。


「ただいま~」

「おかえり、おそか……くっさ!」


 俺が玄関をくぐるなり、髭を蓄えた中年の親父、新藤渡は息子の姿を見るなり顔をしかめて鼻をつまんだ。

 下水道を通ってきたのだ、相当臭いが付いて悪臭を放っているのだろう。


「お前一体どうしたんだ?」

「ちょっと、下水道を通らなきゃいけないことが起きて。ああ、こいつが……」


 ミラを紹介しようと彼女を手で指そうとしたら、ミラが俺の裾を掴んだ。


「待て」


 小さいが鋭い一言だった。


「……? 下水を通らなきゃいけない用事ってどんな用事だ。もう夕飯はできているからとっとと風呂入って来い」

「あぁ……うん。えっとさ、父さん……」

「む?」


 父は俺に呼び止められて首をかしげる。

 チラチラと横目で俺の横にいる人物に視線を送るが父は首を傾げたまま、


「なんだ? いいから風呂に入って来い」


 隣にいるミラに全く視線を送ることなくリビングへと引っ込んでいった。


「気が付かなかった……?」


 父はそこまで鈍い人間ではない。ミラのように銀髪で赤い瞳を持つ少女が玄関に何の説明もなくいて気にも留めないなんて考えられなかった。


「いや、これが『魅力―0』の特性」

「特性⁉」

「『魅力』とはつまり人の目をひきつける力。それがあまりにも低いと、人はそこにいるのに認識ができず見失う。我がここにいても我が目立とうとしない限り、誰も我を見ることができん」

「うそぉ……俺そんな状態だったの?」


 確かに自分から話しかけられるまで気が付いてもらえないことが多かったけど、まさか認識すらされていなかったとは。


「何らかきっかけがないと『魅力―0』の人間はそこにいると気付かれない。だから、我が話しかけたり、お主が我がいると親御に言わなければ我はここにいると気付かれん。案外楽に超えられるかもな、一週間という壁も」


 ミラが靴を脱ぎ廊下に上がり、


「風呂はどこだ」

「すぐそこ」

「おお、ここか」


 俺が靴を脱ぎ終わらなないうちにとっとと自分一人で風呂に入っていった。


「……いやどこが楽勝だよ。すっかり忘れて二メートル以上離れてんじゃねぇか」


 〇


 俺はミラから二メートル以上離れられない。だから、彼女が風呂に入っている間、俺は脱衣所で彼女が風呂から上がるのを待っていた。

 ミラが離れすぎないようにメニューボードで確認しながら、ミラの体を洗う水音を背もたれにした扉越しに聞く。


「ン~~♪ ン、ン~~♪」

「魔王でも鼻歌とか歌うんだな」

「そりゃそうじゃ、三年ぶりの風呂だもの。温水で体が洗えるなど、贅沢の極みじゃ」

「本当にささやかなんだな。なぁ、魔王。お前ってどんな魔王だったの?」

「何じゃ、藪からスティックに」

「……そういうところが魔王らしくなくてさ。本当に魔王だったのかなって」


 魔王が体を洗う音が止まり、水滴が一滴一滴落ちる音だけが響く。


「……魔王じゃよ。暗黒の魔王じゃ。真魔十二士族の長たるサタン家の当主として生まれ、ファンタレリアを闇に包んだ」


 それから魔王は淡々と自分の過去について―――『イノセント・ファンタジア』という現実と融合したRPGゲームの設定を話し始めた。


「魔族は我が魔王の座に就く前は迫害されておってな。人間どもの狩りの対象とさえなっておった。ただ狩られるだけだった我は反旗を翻し、人間どもに戦争を挑んだ。そして勝った。我は魔族の王国を築き、魔族が好きに暮らせるように土地を広げていった。それは人間にとっては悪かもしれぬが、元々我に敵意を向けていたのは人間どもだ。奴らは因果応報の報いを受けたのだ。じゃから……」

「じゃあ、お前は虐げられる弱者のために王になったってことか?」

「…………」


 後ろが静かになり、一滴一滴水が滴る音が嫌に響く。


「そうじゃ、が……それも、『イノセントファンタジア』というゲームの一設定にすぎんのだ。どうせ我の虐げられた怒りも人間を虐殺した時の虚しさも。データでしかない。それだけではなく、今こうしてお前と話している我もデータにすぎんのだ」

「そんなことはないだろう」


 扉の向こうでミラの息をのむ気配がした。


「ゲムノウ粒子で体を得て呼吸をしているんだ。人間だって元は精子と卵子。感情を持っていないデータみたいな細胞の粒が成長して人間になるんだ。魔族だって同じだ。元はデータだったかもしれないけど、現実の物質を組み替えて体を得て、こうして話せるようになった。少なくとも今のお前は一データなんかじゃないよ……わたたっ」


 急に背もたれがなくなって後ろへ倒れた。


「てて、うわっ!」

「…………」


 全裸のミラが仁王立ちで見下ろしていた。


 彼女は何を思ったか急に扉を開けはなった。扉を背もたれにしていた俺は当然後ろに倒れ、倒れた先は丁度ミラの股の丁度真下で……。


「あ……ああ……」


 下から見た彼女の全てが丸見えなのだが、ミラは平然とした顔で俺を見下ろす。


「扉一枚隔てると距離が離れすぎるかもしれまい? お主も入れ」

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