◇閑話◇ 「イザナミ」(黄泉津大伸)のこと
前回のColumnで「蘇る」について解説しましたが、その際に「記紀神話に出て来る黄泉の国には、死の女神である『イザナミ』(黄泉津大伸)もいます」と書きました。もしかすると、「イザナミ」のことをご存知ない方もいらっしゃるかもしれないので、今回は「イザナミ」についてお話しようと思います。
日本神話に出てくるイザナミ。
「イザナミノミコト(伊邪那美命┊伊弉冉尊)」とも書きますが、ここでは『古典基礎語辞典』の表記を採用し「イザナミ」で話を進めますね。
さて、彼女は「死の女神である」と書きましたが、元々はそうではありません。
日本神話のなかに出てくる、イザナキ(「イザナギ」「イザナギノミコト(伊弉諾尊┊伊邪那岐命)」ともいう)と結婚し、国を生み、そして神を生んだ地母神です。
イザナミは最後に火の神であるカグツチを生むと、火傷のために死に、最初の死者となって黄泉の国へ行くのです。
「黄泉の国は、イザナミの死と同時に出現した」
――と、『古典基礎語辞典』には書いてあります。つまり黄泉の国は、「イザナミの国として確立され、彼女の世界そのものということが言える」というのです。
また、イザナミは元々地母神。
『古典基礎語辞典』の執筆者である大野晋氏の見解には、
「大地は『すべての生物が死んで帰って来る墓場(黄泉の国)』であり、それと同時に『そこからすべてを生み出す万物の母』でもある。つまり、黄泉の国は伊弉冉の胎内であるため、ここへ入り再び外へ出ることは、死して再生する意味がある」
とあります。
この見解に、なるほどなと思うと同時に、「蘇る(黄泉帰る)」とはまさに「再生」の意味があるな私は思いました。
イザナミの世界である黄泉の国へ行った死者が、黄泉から帰る(生き返る)。
それは、死を迎えたのちに、再生するということを伝えているのだと思います。
人は、肉体としての死を迎えることは等しく誰にでもあることですけれど、そうではない死もありますよね。
例えば、酷く心が落ち込んだり、持ち直せないほどに気持ちが沈んだり、何もかも上手くいかなかくて辛かったり。小説に登場するキャラクターが、「あのときぼくは死んでいたような気がする」というような、婉曲的な表現として使うのを見かけたこともあると思います。
辛かったり、キツイ状況から復活する。蘇る。
そういうのも、なんというか「古い自分を脱ぎ捨てて、新しい自分に生まれ変わる」ような意味としても「蘇る」というのはあるのかなと思います。
「黄泉の国から戻って来ること」は、ある意味で、再生の力を蓄えて戻って来るようにも思えます。
こういうことを知るたびに、より一つひとつの言葉に秘められた意味を大切にしたいなと思います。
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