Column5 「小説のさわり」はどこの部分?

 ——あなたが書いている小説のさわりを教えて下さい。

 ——好きな小説のさわりを教えて下さい。


 こんな風な質問をされたとき、皆さんは小説のどの部分を聞いた人に話すでしょうか。小説の冒頭? それとも真ん中あたり? それとも全体的なまとめ?


 回答として多いのが「冒頭」のようですが、「小説のさわり」と言ったら「[演劇・劇・映画などで]全体のなかで、いちばん<聞かせたい/見せたい>部分(『三省堂国語辞典 第八版』より)」を答えるのが正解です。


 元々は、人形浄瑠璃の太夫節の曲にある、一番の聞きどころとされる部分のことを指し、転じて「一つの話の中で最も感動的な(印象深い)場面を指す(『新明解国語辞典 第八版』より)」としています。つまり、歌だったら「サビ」に当たる部分を指す、というわけです。


 ということで、誰かに何かしらの作品の「さわり」を聞かれたら、「印象的な部分」を答えるのが言葉として正しいこと……なのですが、「さわり」=「冒頭」と思っている方が多くいらっしゃるようです。

 平成28年度に行った「国語に関する世論調査」では、「さわり」を本来の意味で捉えている人が36.1%、冒頭の意味で捉えている人が53.3%という結果が出ています。後者が50%を超えているというのは驚きですよね。


 日本人が誤認識している言葉は、これまでも取り上げて来ましたが、この言葉は特に二つの意味が広がりすぎると、コミュニケーションが成り立たなくなるものの一つかなと思います。


 例えば「さわりを教えて」と言われ、「さわり」の本来の意味である「印象的な部分」を答えるのが当然な流れです。しかし相手が、「さわり」を「作品の冒頭」として認識していたとしたら、聞いた方は「え? それ私が聞きたいところじゃない……というか、ネタバレじゃん!」となって、最悪喧嘩してしまうかもしれません。


 では、辞書はどのように捉えているのでしょうか。

 一応手元にある辞書を引いて見たところ、『新明解国語辞典 第八版』『三省堂国語辞典 第八版』『新選国語辞典 第十版』の三冊では、「さわり」=「冒頭」のことを「最近の用法」などとして寛容な態度を取っていましたが、『明鏡国語辞典 第三版』や『三省堂現代国語辞典 第六版』でははっきりと誤りとしていました。


 調査対象の50%が、本来の意味ではない方で認識している現状はあるものの、まだ辞書では認めるか否かは難しい部分を持っているようです。

 もし小説や映画などの「さわり」について尋ねられたら、印象的な部分を聞きたいのか、それとも冒頭なのかを一旦聞いてから答えたほうが良いのかなと思います。


 それにしても、本来の意味よりも、誤りだったはずの言葉の方が広がってきている場合、これが再び逆転する日が来るのでしょうか。今後のこの言葉の動きが気になります。


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義太夫節ぎだゆうぶし(『大辞林4.0』より)

 浄瑠璃節の一。初世竹本義太夫が宇治加賀掾かがのじょうなど古浄瑠璃各派の芸風や当代流行の各種音曲を取り入れ、新感覚で統一し、一六八四年の竹本座旗揚げ公演より語り出したもの。のち門人豊竹若太夫が独立して竹本・豊竹二座に分かれた。大いに盛行し、浄瑠璃といえば義太夫節をさすほどに流布した。義太。

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