Column6 「苦渋」と「苦汁」

「くじゅう」という読みの言葉に、意味が似ている言葉があります。それが「苦渋」と「苦汁」です。これらは、下記のように使われることが多いように思います。


①くじゅうをなめる(嘗める)。

②くじゅうを味わう。


 よく見てみると、どちらも「味」に関わる言葉です。そのため、両方の例文に「苦渋」と「苦汁」を使っても問題なさそうですが、実際には①では「苦汁を、②には「苦渋」を使います。


 このように決められていることですから、疑問に思うことは何一つないと思いますが、今回は敢えて考えてみましょう。何故、「苦渋」と「苦汁」は、「なめる」と「味わう」と使い方が決まっているのでしょうか。「苦渋をなめる」「苦汁を味わう」ではダメなのでしょうか。


 これは私の考え方(想像)なのですが、「苦汁」は「苦い汁が目の前にある状態」を指し、「苦渋」は「すでに口の中に苦くて渋いものがある状態」のことを指すのではないでしょうか。理由は、「苦汁」は「汁物」として示すことができますが、「苦渋」というのは味そのものを指しているので、口の中で味わっている状態でしか表現できないのかな、と。お粗末な推理で申し訳ないですけれど、このことから「苦汁」は「なめる(嘗める)」で、「苦渋」は「味わう」のではないかと思います。


 そして、この二つ。発音は同じですし(『NHK日本語発音アクセント新辞典』で確認)、意味も似通っているので混同されることが多いようです。


 多くの辞書では、「苦汁をなめる(嘗める)」「苦渋を味わう」という風に使い、「『苦渋をなめる』は誤り」と記載があるのですが、『精選版 日本国語大辞典』の用例には「苦渋を嘗める」という用例が書いてあります。一応、「『苦渋』と混じたものか」とは書いてありますが、強く否定はされていません。


 何故こんなことを書いているのかというと、『精選版 日本国語大辞典』という辞書の親が日本最大の国語辞典である『日本国語辞典』だからです。歴史もあり、収容語数も用例数も日本で出版されている辞書の中で最大。さらに引用している用例も、有名な著者のものや歴史的な文献からのものが多いことも理由です。


 有名な著者の文章を引用しているということはつまり、「その著者が何らかの意図をもって書いたかもしれない」という可能性が捨てきれないということ。もちろん、校正や校閲の抜けがあって、間違ったまま出版された可能性もありますが、そうでない場合も無きにしも非ずということだと思います。真偽は定かではありませんが(笑)

 そのため『精選版 日本国語大辞典』が「苦渋を嘗める」を用例として採用しているところも踏まえると、これも強く誤りであることが否定できないのかもしれない、と思ったというお話です。


 私だったら、無難に「苦汁をなめる」を使うと思いますが、皆さんはどうでしょうか。もし「苦渋をなめる」を使おうと思ったら、どんな意図をもって使いますか?

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