◇閑話◇ 「七夕」の話

 本日、七月七日は「七夕」。五節句の一つです。ということで、今回は「七夕」のお話をしたいと思います。


「七夕」は本来織機の意味です。そのため「棚機」とも書きます。

「棚機」の「たな」は川辺に渡した板のこと、「はた」は布を織る道具のこと、すなわち「横板のついた織機」が原義です。

 そして「棚機たなばた」は元々「棚機たなばた」と書き、「はたを織る女性」のことを指しました。つまり「棚機」は「棚機つ女」の略語なんですね。


 昔の日本には、女性が機を織るという行為に神を迎える習慣があるとされていて、それが中国漢時代の伝説、つまり皆さんがよくご存じの七夕伝説が合わさり、現在の「七夕」の行事となったと言われています。(ただし日本の神を迎えるという習慣については、辞書を引いても「そういうことがあったらしい」という書き方をされているので曖昧な部分のようです)


 また七夕祭で笹竹に短冊を飾り付ける文化は、「乞巧奠きこうでん」と結びついたものによるものです。


乞巧奠きこうでん(もしくは「きかうでん」「きっかうでん」とも)」とは、「技が巧になるように乞い願い祭る」という意味です。

 裁縫や書道など技芸の上達を願い、笹竹に五色の短冊を飾り付ける行事だったそうなのですが、中国で七夕伝説と結びついて、短冊に願い事を書いて飾り付けるようになりました。七夕伝説の起源は古いので、七夕伝説と乞巧奠きこうでんの結びつきがいつ頃から始まったのかを特定するのは難しいですが、六世紀の『荊楚歳時記』(荊楚の年中行事を一月から順に記したもの)で確認することができることから、この時代にはあった行事であることが分かります。


 平安時代の日本では、貴族の私邸で笹竹に短冊を付けることを行なっていたようですし、宮中に至っては、清涼殿の東庭に備え付けられた四つの高机に、季節の添え物(茄子や瓜)、糸や琴などが並べていたのだとか。また夜通し香が炊かれ、星にちなんだ詩会や管弦の宴がも催されたと言われています。

 詩会が行われたのは、中国でも七夕の日に詩を作る慣習がありその影響を受けたからです。『懐風藻』や『万葉集』には七夕の作品が収められています。


 ちなみに中国で七夕の行事が盛んになったのは、唐の時代から。

 唐の六代皇帝玄宗と楊貴妃とが比翼連理の誓(夫婦や男女の愛情がいつまでも変わらないことの誓)のなかに七夕の夜をうたった一説も残されています。


 日本で七夕の習慣が民間に広がったのは江戸時代。

 過去の人々が短冊にどのような願い事を書いていたのかまでは分かりませんが、現代人の私たちは色々な願いを短冊に託しますよね。

 世界の平和を願う人もいれば、恋愛成就を祈る人もいますし、クリスマスとごっちゃになって欲しいものを書いちゃう人も(笑)


 日本語学校で教師をしている方が監修した『日本人の知らない日本語』という漫画があるのですが、それにも「七夕」の行事について書かれています。

 それを見ると、「バイト先が決まるように」とか「次のテストの内容を教えて下さい」「〇〇さんが好きです!」とか様々な願い事(告白しちゃってるのもありますが<笑>)が書かれていました。中でも一番面白かったのは「なんとかして下さい」とだけ書いてあった短冊。なんとかって、何を何とかするのでしょう(笑)


 それにしても、よく「七夕伝説」と「乞巧奠きこうでん」がうまい具合に合わさったなと思います。

 私が小さいときに聞いた話だと、織女は機織りの名人だったようですから、それにあやかって技芸の上達を願うというのも合っていますし、年に一度だけ夫と会えるお話から恋愛成就のことを祈るのも納得です。


 正直、年に一度しか会えない状態になってしまった織女と牽牛の話にあやかって恋愛成就を祈って大丈夫なのかな、と思うところはありますが、そこはロマンチックな人たちの解釈で上手くまとまっているのでしょう(笑)


 それよりも何よりも行事に参加したり、日本の古き良き文化に触れたりことが大切なことなのではないかなと思います。これからも「七夕」の行事を多くの人が楽しめるような、平和な世の中を願いたいものです。


 皆さんは、今日の七夕に何を願いますか?




☆補足的豆知識★


【七夕】『古典基礎語辞典』参照

 五節句の一つ。

 毎年七月七日の夜に牽牛星と織女星とを祭る年中行事。天の川の両岸に離れて暮らす牽牛と織女とが、七月七日の夜にだけ逢うことが許されるという古代中国の伝説に、機織りや裁縫法の技量が上達することを乞い願う乞巧奠きこうでんの風習が加わったもの。


 中国の七夕伝説では、七月七日の夜、牽牛と織女とを逢わせるために、かささぎが翼を並べて天の川に橋を架け、それを織女が車で渡って牽牛のもとに赴く。ところが『万葉集』の七夕歌では、天の川を渡るところの大部分が織女ではなく牽牛であり、織女が牽牛の元に赴くとするのは、七夕歌百三十余首のうちわずか二首にすぎない。これは、当時のわが国の妻問い婚の風習に合わせて中国の伝説を改変したからであると考えられる。


 また、『万葉集』には鵲も一切登場しない。織女が天の川を渡るとする二首で、織女が皮を渡る手段は、一首は棚橋、もう一首は船である。牽牛が織女のもとに赴く歌の場合は、牽牛は多くは船を用い、時には徒歩で天の川を渡っている。ただし々上代の作品でも漢詩集である『懐風藻』には、織女が鵲の端を渡ることが詠まれていて、『万葉集』とは謙虚な対象を見せている。これは『懐風藻』が漢詩の影響を強く受けていることに由来しよう。


〇牽牛星……わし座の首星アルタイル

〇織女星……こと座の首星ベガ




【七月七日に降る雨についてこんな説もあります】

<説1>

〇織女と牽牛は年に一度七月七日に会えますが、雨が降ってしまうと川が増水して渡れなくなります。そうなると会えなくなってしまうので、七月七日に降る雨は、二人の涙「催涙雨さいるいう」と言われる。(『日本人の知らない日本語』第一巻参照)


<説2>

〇七月七日に降る雨は、織女おりひめ牽牛けんぎゅうが別れを悲しむ涙雨という意味がある。(『精選版国語大辞典』より)


<説3>

〇雨が降る日について七月六日の説もある。この場合は、織女おりひめ牽牛けんぎゅうの会合を妨げる雨の意味がある。(『精選版国語大辞典』より)



 調べるものによって違うので、地域によっても伝わっているものが違うのかもしれません。参考までに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る