倫理の教科書だったか......。似た話を耳にしましたね。レーニン像を解体する瞬間も、写真の撮影によって全く状況が違ったように見えるという話です。
その人しっているような気がする......。結構有名な人ですよね。以前は天安門にいたとは驚きです。
作者からの返信
一盃口さん、コメントありがとうございます。
レーニン像の解体のお話、興味深いです。
私も詳しくは分からないのですが、小原さんは写真家の中でも有名な方だと思います。単なる推測でしかないのですが、報道カメラマンとして天安門事件の様子を撮りたいと思ったのかもしれません。どちらにせよ、歴史が刻まれたその瞬間その場所にいたというのはすごいですよね。
とても考えさせられるお話でした。切り取った一部分が一人歩きするのは言葉も同じですね。針が大きく振れたみたいに戦場から動物の写真へ移行された心情を思うと複雑です。百聞にもその価値があって、一見に頼ってはいけない、ということでしょうか。
作者からの返信
柊圭介さん、コメントありがとうございます。
>切り取った一部分が一人歩きするのは言葉も同じですね。
そうですね。私の視点からでお話して申し訳ないのですが、カクヨムさんでは色んな方が日本語の間違いやすい言葉や文章のルールについて語っています。しかしそれが、書いた本人の意図したものとは違った方に伝わっていることもあるようなのです。書いているご本人はよかれと思ってやっていることがねじ曲がって伝わるのは何だか悲しいですよね。私自身『NIHONGO』を書いているということもあって他人事ではないと感じます。
>百聞にもその価値があって、一見に頼ってはいけない、ということでしょうか。
まさに、このColumnではそういうことを伝えようとしておりました。
絵画や美しい風景写真などは自由に解釈して良いですが、報道写真などは真実の言葉が添えられている必要があると思います。しかしその真実の言葉も誰かが書いたものなので、意見や思想がどこかに偏っている可能性もないとは言えません。
そのため、とても難しいことではありますが、時には色々な人の言葉を読み・聞き、それを総合して判断する必要があるのではないかな、と。
そしてここまでの考えの根本には、「日本語の間違った使い方」というのを調べるうちに、「間違い」としているものもあれば「正しい」としているものもあることを知ったことが影響しています。
私の場合誤解されないように文章を重ねすぎて、読みにくくなってしまっているような気がしますが……(笑)
長い返信になりました、すみません。
お読み下さりありがとうございます。