Column3 「。」について

 前作『NIHONGO』で、文章のルールについて取り上げたことがあります。


「三点リーダは2つでセット」「漢数字とアラビア数字」など書いたと思いますが、そのなかに「」のなかの終わりに句点を打つか、打たないかについても触れました。

 今回は「」のなかに句点を打つかどうかについて、もう一歩踏み込んだ内容をここに書き記したいと思います。



 まず、「——。」について少し復習をいたしましょう。(『NIHONGO』の内容と少し被る部分があるかと思いますが、その点はご容赦ください)


「——。」という書き方が見られるのは主に教科書や公用文などであって、そのほかの文章ではあまりみられません。それは何故か。


「——。」は、「昭和二十一年と昭和二十五年に文部省国語科の発表した『くぎり符号の使い方』が、教科書や公用文の句独法の拠り所になっているから」なのだそうです。(『井上ひさしの日本語相談』より)


 そこには、「マルはすべての文の終止に打つ。かっこやカギかっこの中でも、文の終止にはマルを打つ」と書いてあるのですが、この規則はあまり広まらなかったようです。理由は、日本語に句読点を付ける習慣がなかったから。


 今から遥か昔。

 日本語は文章の終わりに決まった文節が現れるため、句点を必要としていなかったのです。


 句点が導入されたのは、漢文を読み解くための補助として読点と共に付されていただけのようでしたが、明治時代になって欧米から輸入された句読法バンクチュエーションに影響されると、表現法の一つとして使用されるようになったと、『井上ひさしの日本語相談』に記載がありました。


 とはいえ、「——。」や(——。)の使い方は、字数が決められている新聞や雑誌では好まれなかったようですし、目に見えて「文章の終わり」が分かっているのに句点を付けるというのは、小説でも煩わしいとか見栄えとかの問題で、「」の終わりに句点を付けられるのが避けられたようです。


 私が調べた限り、古い書籍や児童書を出している出版社によっては、「——。」としているものもあります。特に後者は、義務教育過程にある子どもたちのことを考慮し、教科書にならっているのではないかと推察します。


 それで、アマチュアの方や、趣味で小説を書く方が、「——」と「——。」のどちらの表記を採用するべきかという問題についてなのですが、自由に自分の作品を発表できるカクヨムさんのような場であれば、徹頭徹尾どちらかに統一して使っている限り問題ないと考えます。(「統一」というところが重要です。作中で「——」と「——。」が混じっているものは、校正者が見た場合赤が入ります。それはまた別の問題なので、ここでは深く語らないでおきます)


 何かの賞を受賞し、出版社を介して作品を世に送り出す際は、会社が出しているレーベルのルールに合わせる必要があるでしょうけれど、この場ではそんな堅苦しいことは考えなくて良いでしょう。もちろん、ここから本気で作家を目指すのであれば、世にある文章のルールというものに則った方が、よく思われる……かもしれませんが(あくまで推測です)。


 何故こんなことを書いているのかというと、ちょっと気になった作品を読んだためです。

 少し前のこと。カクヨムさんの創作論のなかに、私とは違った視点で文章のルールについて書かれていらっしゃる方がおり、内容を拝読したことがあります。沢山の方に読まれるのも納得がいくくらい、端的かつ実用的に書いてあって、すぐにでも自分の作品に投影できる書き方になってしました。


 そのなかに、今回取り上げた「」のなかに句点を入れるか否かについて取り上げていたのですが、「カギかっこのなかの終わりには、句点は付けない」とはっきりと書かれてたのです。

 この点について、読んだ人から「自分の考えを押し付けるな」というクレームがあったようで、短く弁明されていたのですが、難しい問題だなと思いました。

 

 この話に入る前に、ちょっとした具体例を挙げてみます。

 例えば、作文を原稿用紙に書かなくてはならないけれど、原稿用紙の使い方が分からない――となったら、皆さんきっと調べますよね。

 しかし、原稿用紙の使い方はネット(教育系のサイト)で調べても、書籍で調べても、大まかな内容は同じですが、どれも若干違う。私が学校でならったときの記憶とも違います。これには驚かされました。


 そして、原稿用紙の使い方のように、小説の書き方にもある程度守るべきルールはあるものの、個人の裁量に任せられているところがあるのです。(調べれば調べるほど、細かい部分で違う意見が出てくるので、「個人の裁量に任せられている」と私は考えています)

 それを小説を書き始めたばかりの人に伝えるのは難しい。


 私が思うのは、最初は誰かの教えに従って書いていくのも手である、ということ。

 右も左も分からない人に、「文章のルール」についてこんな風に理屈や経緯を言われても面白くもなんともないでしょう。「まさに今、それっぽい形に仕上げたい!」のに、「これがあーで、こーで、云云かんぬん……」と説明された日には、書くことが嫌いになってしまうかもしれません。


 それだったら、カクヨムさんにある「文章のルール」を親切に書いてくれている人の内容を借りて、ご自身の作品に反映させたほうがよっぽど効率がいいですし、楽しいと思います。その上、体裁が整うので読みやすくなります。読みやすくなれば、読者に読み続けてもらえる確率も上がるかもしれません(内容との絡みがあるので、はっきりと増えるとは言えませんが……)。

 それに、自分の作品を読んでもらうための過程として、良いことではないでしょうか。ここを入り口にして、ご自身で学んでいけばいいのですから。


 また「自分の考えを押し付けるな」という指摘は、優しさだと思います。その人の考えに染まる必要はないよ、と言っているのでしょう。真面目な人ほど、「こうしなければならない」という沼にハマり易いですから、指摘した方は優しいと思います。


 でも、上手くなりたいという人は近道であろうと、遠回りであろうと、勝手に学ぶのも事実かなと思います。

 書いているうちに「自分で使っている文章のルールは、絶対に守るべきものでもない(と言い切るのも違うんですけど……ニュアンスが難しい)」と気づくことでしょう。ただ、その気付きが出来るのかどうかはその人次第ですし、それを理解できるかどうかも、その人の力量にかかってくるのかなとは思いますが……。


 小説の書き方に関するハウツー的なものは、カクヨムさんのなかでも増えているようで、小説を初めて書く人にとってはとても有難い存在かと思います。

 一方で、それを監視する方もいらっしゃる。もちろん、監視して指摘する人の気持ちも分かりますし、「押し付けるな」というのも分かります。前述したとおりです。


 しかし、だからといって私のようにこーんなに長々と経緯まで説明していたら(それは私の書き方の問題でもあるのかもしれませんが)、初心者の方は絶対読まないと思います。何故なら、彼らはすぐにでも取り組める実用性を兼ねた情報を求めているから。


 なんというか、日本語もそうですが、文章のルールも一筋縄ではいかないところがあって、親切心で教えるのも大変だなと思ったという話でした。長くてすみません。



<補足>

昭和二十一年と昭和二十五年に文部省国語科の発表した『くぎり符号の使い方』について、下記のURLに記載がありました。確認されたい方は、p62をご参照下さい。

https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/series/56/pdf/kokugo_series_056_05.pdf


上記URLの内容が読みにくい場合は、下記URLも参考になるかと思います。

https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/sanko/pdf/kugiri.pdf

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