Column2 「二の舞を踏む」? 

 ——彼は、娘に二の舞を踏ませないようにしたかっただけなのだ。


 さて、上記の一文ですが「二の舞を踏む」という書き方が誤っています。

「前の人と同じ失敗を繰り返すこと」(『明鏡国語辞典 第三版』より)ということを言いたいわけですが、正しくは「二の舞を演じる」です。

 何故、このような間違いが生まれてしまったのかと言うと、「二の舞を演じる」と似たような意味を持つ「轍を踏む」の「踏む」と、「尻込みをする」という意味を持った「二の足を踏む」の「二の足」が、それぞれに混同してしまい、「二の舞を踏む」という誤った書き方(言い方)が広まったようです。


 それにしても、何故「二の舞を演じる」が「前の人と同じ失敗を繰り返す」という意味があるのでしょうか。


『明鏡国語辞典 第三版』によると、「舞楽の『二の舞』が『安摩あまの舞』のあとで、それをまねて滑稽に舞うことから」という説明書きがされていました。

「安摩の舞」というのは、雅楽の一種で特殊な雑面ぞうめんをつけ、地鎮の意をかたどった舞をするのだそうです。この答舞を「二の舞」といい、男は笑ったさまを、女は腫れたさまの面を付けて「安摩の舞」を真似るのだといいます。

 そこから、「二の舞を演じる」という言葉が派生したようです。


 ちなみに、「雑面」というお面がどういうものかを画像で見てみたのですが、『千と千尋の神隠し』をご覧になったことがある方は、既視感があると思います。

 物語の序盤、千尋が父と母が豚の姿に変わってしまったのを見てしまい、彼女は驚きと恐怖で来た道を走って戻ります。そこまでは良かったのですが、あるところまで来ると、湖が出現し千尋はその先へ行くことが出来ないと悟ります。

 どうしたらいいか戸惑う千尋とは関係なしに、湖が出来たことで船が渡って来れるようになったようで、それが岸辺に着くのです。

 到着した船からは、赤い外套で肩から下を覆い隠し、「しゃく」という細長い板を手にした謎の人物たちが降りてくるのですが、その人たちが顔に付けていたお面が雑面によく似ています。もしかすると、雑面なのかもしれません。

 もし興味があれば、検索してみて下さい。


 話は脱線してしまいましたが、最初の例文を一般的な書き方に直すと、下記のようになります。


 ————彼は、娘に二の舞を演じないようにしたかっただけなのだ。


 ちなみに、「二の舞を踏む」が多くの人に使われるようになってきていることもあり、『三省堂国語辞典』『新明解国語辞典』『新選国語辞典』のなかには、「二の舞を踏む」という用例も見受けられました。容認されてきているということですね。

 ただ、その他の辞書では誤りとしているものもあるので、使う際はよく検討なさって使っていただければと思います。



<補足>

*『安摩あまの舞』は、辞書によって『案摩の舞』と表記されています。

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