Column1 「聞く」「聴く」「訊く」の使い分け

 今回は、「きく」という漢字の使い分けについて取り上げようと思います。


「聞く」「聴く」「訊く」のなかで、一般的に使われるのは「聞く」です。これは万能選手なので、「耳できく」ものであればどういう場面でも使うことが出来ます。

 例えば、「音楽を聞く」「人の話を聞く」というのはもちろん、「今日のおやつを母に聞く」というのも「聞く」を使います。質問をするときに「聞く」を使うのは、これも「耳できく」ことに繋がるからです。


 では、「聴く」はどうでしょうか。

 この漢字は、元々「聽」と書きます。「聽」を分解して考えてみると、左側は「みみへん」、右側は「得る」から成り立っており、それには「真っ直ぐな心」という意味も含まれているそうです。そこから何となく「しっかり耳を傾ける」という意味が想像できると思います。

 では具体的に「聞く」とどのように違うのか、下記に辞書で調べたものを引用致します。


*****

【聞・聴】『全訳 漢字海 第四版』

 ともに耳できく意味であるが、「聞」は耳にきこえてくる非主体的な結果をいい、「聴」はきこうとする主体的な意志による。

*****


 そのため、「意識してきく」ことや「心をそちらに向けてきく」という場合は、「聴く」を用います。

 例えば「レコードを聴く」と書けば、「意識してレコードの音楽をきく」という風に読者には伝わります。また「彼女の話を聴く」とすると、聞き手が真剣に話をきいているのが想像できることでしょう。

 一方で、「音楽を聴きながら作業をする」という書き方をすると、「作業」よりも「音楽」に集中しているというニュアンスを伝えることもできます。

 ちなみに「聴」が「ちょう」と音読みするのは、「みみへん」の下にある「壬」が「ちょう」と読むからです。


 では「訊く」はどうなのかというと、これは「問いただす」という意味があります。「聞く」には、耳から情報を得る「きく」と、相手に質問をする「きく」があったと思いますが、「訊く」を使うときは後者の場面でかつ相手に厳しく問う場面で使うのが適切です。


 しかし、これを強く主張するのも難しいようです。辞書によっては、この区別をつけていないものもあります。それは「問いただす」意味として、「訊く」を使っていない場合が往々にしてあるということでしょう。


 実際、とあるマンガアプリで連載している作品のなかで、「人に尋ねること」を全て「訊く」と書いていたのを見たことがあります。


 それも間違いではないとは思いますが、「訊」によって構成される熟語(例えば「訊問」)を考えると、問いただすような場面で使う方が、漢字の意味を汲んでいると言えるのではないかと、私個人(あくまで「私個人」です! 念のため強調)は思います。判断は難しいですけれど……。


 以上「聞く」「聴く」「訊く」の使い分けのお話でした。



<余談>

「聞く」という漢字を調べていて初めて知ったのですが、これには「音を聞く」の他にも「においをかぐ」という意味があるようです。『デジタル大辞泉』や『漢字の使い分けときあかし辞典』などを調べたら、「香を聞く」という例文が載っていました。(「利き酒」の「利き」とは違うので、ご注意下さい)


 中国、春秋時代の魯の思想家であった孔子の書のひとつである、『孔子家語こうしけご **』という「孔子が門人との問答を記したとされる」もののなかに、「久而不聞其香」という一文があるようで「しばらくするとその香りがかげなくなる」と訳すようです。(『全訳 漢字海 第四版』より)


 ただ、どうして「聞く」がそういう意味をもっているのかは分かりません。一応手元にある中国語辞書を、素人なりに引いてみたのですが、現在の中国語では「聞」は使われていないようでした。


*「訊問」は通常「尋問」と書くが、「尋問」は同音類義語による代用表記とのこと。


**『孔子家語こうしけご』は、「孔子の言行や、孔子と門人との問答などを収録した書。10巻。原本は27巻あったらしいが、散逸。現存のものは魏の王粛の偽作とされる」(『デジタル大辞泉』より)


<追記>2022.6.7

「尋ねる」=「訊く」として使っていらっしゃった方から、上記の内容を読んで心配させてしまったコメントをいただきましたので、ここに「訊く」について追記いたします。


 まず、「尋ねる」=「訊く」という考えが全く駄目であるということではありません。そこは誤解しないでいただけたらなと思います。私の考えは基本的に、「作者さんの気持ちを優先」しているので、作者さんが「こうしたい」と思っていることを否定するつもりはありません。もちろん、誤字などの白黒はっきりした誤りは修正した方がよろしいかと思いますが、答えが曖昧なものに関しては、作者さんご自身が情報の取捨選択をしてよいと考えています。


 さて、ちょっと長い前置きでしたが、改めて語りましょう。

「訊く」には「問いただす」という意味が含まれていると申しました。

 しかし、一つの作品(もしくはその人が書いている作品全て)のなかで、一貫して「人に尋ねる」=「訊く」としていたら、それは「問いただす」ことの効力を失ってしまうのではないか……と私は考えています(一個人の考えです)。


 例えば作中の中で、「母に今日のおやつを聞く」と「友人に、腹を立てた理由を訊いた」という書き方がされていた場合、この二つには明らかに差があることが分かります。作者があえて「聞く」「訊く」を分けて書くことで、漢字の持つ意味を利用しているとも言えるでしょう。


 しかし、全てを「訊く」としている場合、この言葉に含まれる「問いただす」という意味は薄まります。何故なら「母に今日のおやつを訊く」と書いて、誰も母に子どもが問い詰めて聞いているとは想像しないからです。

 当Columnでも、すべて「尋ねること」=「訊く」と書いている作品を見たことがあると書きましたが、そのなかでは「訊く」に「問いただす」という意味は見えて来ませんでした。つまり「訊く」が、純粋に「尋ねる」という意味としてしか機能しないということです。


 漢字の意味からも「問いただす」ような場面で「訊く」を使うのが無難ではありますが、書き手のなかには「尋ねる」ことを「訊く」とし、「人の話を聞く」などと区別したいと考えていらっしゃる方もいると思います。

 私は、それはそれで良いと考えています。


 文章を書く人のなかで、「訊く」の意味を厳密に考えて漢字を使っていらっしゃる方がどれくらいいるのか分かりませんが、読み手側は書き手よりもそれを気にしている人は少ないと推察します。

 つまり、使い分けても、読者にその意図が伝わらない可能性の方が高いともいえるのです。


 そのため、書き手の方は「訊く」の本来の意味を知ったうえで、ご自身の作品でどう生かすかを考えていただければ充分であると私は考えます。それはご自身で考えた上で「尋ねる」=「訊く」としていいということです。

 ただ「母に今日のおやつを訊く」としていながら、「友人に、腹を立てた理由を聞いた」と使うのは、ちょっと問題があるとは思いますが……。


 と、ここまで書きましたが、これは日本語を調べつつも素人の見解なので、「こういう考えもあるかもな」と、参考程度になさって下さい。

 もしかしたら、良い考えを持った日本語研究者の方もいらっしゃるかもしれませんので、何か分かったらまたそのときColumnなどでご紹介できたらと思います。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る