179話:一時の休息


 休憩室の扉を開けて誰かが入ってきた。

 コツコツと足音が俺に近づき、顔を覗き込んできたのは愛花だ。


 白く女子高生のような幼さと大人っぽさが同居している美しい顔立ちをしていて、淡く輝くような金色の目がまばたきもせずに、『なんで寝ているの?』とでも思っている不思議そうな表情をして俺と目を合わせてくる。


 栗色。黒色のリボンで巻いている髪は腰まで届くほどの長さで、鈴夢の顔へと毛先が顔にあたってくすぐったい。

 その髪の毛を腕で払いのけてから起き上がると、ぼんやりとした顔で微笑みを向けてくる愛花を見る。


 白いワイシャツの上に茶色のブレザー、紺色の短いスカート、白いニーソックスに茶色のローファーを身に着けている。


 疲れとちょっとだけやってきている眠気が、頭の働きを遅くし、きちんと認識するまでは時間がかかった。


「お疲れですか、鈴夢さん」

「はい。いつものように疲れている。射撃訓練が終わったんですね」


 部屋の壁に掛けてあるアナログの時計をちらりと見たあと、そう声をかけると「はい」と優しく声を出す。



 ……どうにも頭がぼぅっとしている。ここ連日は酷いことが続いたために疲れがひどく溜まっているのかもしれない。


「コーヒーを飲みに来たんですけど、鈴夢さんのも一緒に淹れますか? インスタントですけど」

「ありがとう」

「当然のことです」


 キッチンに見送ったのだが、その時にゆらゆらと揺れるサイドテールが物凄く気になってしまった。


 6秒という短い時間で見れた、さらさらと歩くたびに揺れる髪。


 今はコーヒーの準備をしているから、歩く程ではないにしろ揺れ続けている。


 髪から目を離せず、ツインテールの動きだけを長時間見られるほどに強く集中してしまう。


「……さわりたいな」


 視線は髪だけを見つめつづけていると、無意識に小さな声が出てしまった。


 髪をさわりたいという欲望が。


 その声は鈴夢だけが聞こえ、ただの独り言で終わるはずだったが衛士の性能を持ってすれば聞き取ることは簡単らしい。

 愛花はヤカンをガスコンロに置いてから鈴夢へと振り向いた。


「何をさわりたいんですか?」


 首を傾げ、きょとんとした目で見てくるのを見て心が痛む。

 そんなまっすぐな目で見られると、自分の心がひどく汚れているようで苦しい。


「いや、愛花さんの髪が綺麗だなと思ってだな。さわりたいと思って……いや、忘れてください」

「さわってもいいですよ。よほど嫌なことじゃない限り断りません」

「あまり嫌がることはしたくない。私は嫌われたくないんてす」

「あっ! すみません、言葉が悪かったですね。 別に嫌がっているわけじゃないんです。指揮官がふれてくれるのなら嬉しいです」


 愛花は驚きの言葉と共に急いでガスの火を止めると、慌てて鈴夢のところにやってきて、すぐ隣へと座ってくる。

 悲しげな目と、不安な表情。

 それは鈴夢の誤解されたくない、嫌われていると思われたくないという気持ち。


「わかりました。ありがとう、素直に言ってくれて」

「よかったです。嫌われなくて。……それで、さわりますか?」

「はい、さわらせてくれ」

「お気に召すままにさわってくださいね?」


 明るく笑みを浮かべた愛花は目をつむり、鈴夢の方へと少し頭を差し出した。

 鈴夢は自分の欲が表に出せることと、ずっと気になっていた鈴夢の髪をさわれるとあって興奮している。


 そして、頭へと手を伸ばすと、ふれるかふれないかぐらいの接触で、柔らかな栗色のなめらかな感触を感じ取れた。


 その髪の一本一本が俺にとっては宝石と同価値に思え、優しく撫でていくたびに髪の素晴らしさに気づいていく。

 戦い続きでも枝毛がなく、感触は人間のよりもいい。 


「いい手触りです」

「衛士によって個体差があるように、髪にも差があるので、私の髪を気に入っていただけたのなら、とっても嬉しいです」


 目をつむりながら、恥ずかしそうに、でもすごく嬉しそうに笑みを浮かべていると、自分まで嬉しい気分になる。

 その笑顔に心が癒されながらも、髪を撫でる鈴夢の手は止まらない。


「みんな、愛花さんみたいな人に囲まれて生きていきたいな」


 ため息をつきながら言って愛花の髪から手を離すと、彼女は静かに目を開けた。

 見た目はとても綺麗だ。

 言葉のやりとりに対する反応や仕草もおしとやか。


「なんで争っているんですかね」

「デストロイヤーが人を襲うから、ですよね」


 ただの愚痴がもれただけなのに、首を傾げて不思議そうに答える愛花がかわいくてたまらない。首の傾きに応じて、さらさらと流れるような髪なんて惚れてしまう。


「うーん」


 鈴夢が難しい顔をして悩み始めると、愛花は「コーヒーを淹れてきます」と言ってツインテールを揺らしながらお湯を沸かしに行く。


 一緒にコーヒーを飲む時間を過ごし、なんでもない話をしては遊びに行く。それとある程度の文明的な生活、テレビだとか車に乗るとかがあればいい。


 そういう欲望まみれの生活を実現したいな、と思ったところで人間の定義という答えが自分の中で出ていく。

 愛花から目を離し、壁しかない正面へと体を戻して考えを始めていく。

 ぼぅっと時間を過ごしていると、愛花がマグカップふたつを持って鈴夢の隣へと座ってくる。

 湯気が立つ、コーヒーの良い匂いがするマグカップを受け取って一口。


「美味しい。愛花さんは完璧ですね」

「恥ずかしいですが、昔はコーヒー色の水を淹れることしかできなかったんです。あの時から反省して、豆やメーカーごとに違ってもおいしくなれるように努力したんですよ」

「凄いなぁ……」

「好きなことですから。鈴夢さんがすきなことは?」

「私が好きなのは女性の髪が好き。特に愛花さんのは大好きです」

「どんなところがいいんです?」

「歩くたびに揺れるサイドテールには目が奪われてしまう。栗色のかすかなグラデーションの髪は見ていて飽きないし、風で髪がさらさらとなびくのを見たときはときめくほど。そんな髪を持つ愛花さんが笑みを浮かべれば、精神が落ち着く」


 思うがままに感想を言って褒めると、愛花は落ち着きなく視線を動かし、恥ずかしそうな雰囲気だ。


 それが10秒ほど続き、鈴夢と目が会うと、視線を少しずらして小さな声を出す。


「さわりたい時に言ってくれれば、さわっていいですよ?」


 耳元でささやくように言ってくれた言葉とその意味に、鈴夢の背筋は快感で震えてしまう。

 愛花が鈴夢からゆっくりと離れ、照れた笑顔を浮かべる。

 それを見た鈴夢は深呼吸して精神を落ち着け、感謝の言葉を言った。


「ありがとう。そう言ってくれると、なんだってやれそうな気になります」


 また髪をさわらせてくれる。そんな約束があれば、鈴夢は頑張って戦争を続けられる。

 疲れたときは愛花のところに逃げればいいんだという場所を得られたから。

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