177話:英雄の影響力
「うわあああッ」
叫び声と覚醒は同時であった。伸ばす手はまるでつかめない何かを求めるが如く。宙に浮かぶ手は、しばらくはそのままに放置された。
それは、今ベッドに座っている身体も同じだ。あるいは、思考でさえも止まっていた。急な視界の変動についていけず、ただ呼吸を繰り返す機械のようになっている。再起動したのは、秒針が一周してからだ。起動を成したのは、勢い良く開けられた扉の音である。
「鈴夢さん!?」
蹴破るように開け放たれた扉から、茶髪の少女が踊り込んでくる。その見目麗しい少女の眼には隈が浮かんでいる。寝不足であるからか、別の理由からか。いずれにしても疲労が色濃い様子が見て取れる彼女だが、自分の調子よりも優先することがあった。
それは、目の前にいる少女の無事である
「愛花さん。私は一体…………ここは、病院」
原因は、限界を越えた疲労か。いつもの通りであろうが、しかし鈴夢はいつにない不快感を覚えていた。不安感と言い換えて良いかもしれない、胸中に蟠る黒いもや。そして鈴夢は、その原因が何であるかをすぐに悟った。今さっきまで夢に見ていたのだ、忘れようがない。
「どれだけ、死にましたか?」
すがるような声色。愛花はそれを正面から受け止めながら、しかし沈黙を選択する。魚のように口を開こうとしては、閉じている。それを見るに、ただ黙っているのではないことがわかる。ただ何かを言おうとして、途中で言葉を飲み込んでいるだけである。そうしてしばらく口を噤んだ彼女は、はっきりとした口調で言い切った。
「………犠牲者の弔いは、来週の頭に執り行われる」
それが誰のためのものであるか。近しい者の中で、誰がその対象になるのか。
ようやく現実感を取り戻した鈴夢は、黙ったまま拳を握り締めた。
鈴夢が起きてから病室はしばらく来客の姿が途絶えることはなかった。狭い病室だからして、部屋も狭くなる。なぜならば、来客のほとんどが衛士だったからだ。男女問わずして、先の激戦を乗り越えられるほどに鍛えられた衛士やアーマードキャバリアパイロットというのは、ほぼ体格がいいものばかり。そんな戦場の猛者達は、鈴夢に色々と話しかけていた。
「よう、ここが英雄部隊のイカレタエース様がいるって部屋か………って、お前が? あの変な機動でぶっ飛んでた前衛の一人だって? ――――ジーザス」
「よっ、英雄部隊さんよ。あの時はほんと助かったよ………え、どの時かって? ほら、アレだ。ミドル級の死骸に足ひっかけてバランス崩した後だよ。アタシ狙ってたギガント級のドタマ薙いでくれただろ? って覚えてねえのかよ………まあいいや、感謝だけはしとくよ。あんたの名前は忘れない」
「助かった………全滅しなかったのは、あの突貫があったからだ。礼を言う」
病室での会話はこんなものだ。話題は様々だが、共通しているのは一昨日の戦場での事。
皆、鈴夢の活躍を褒め称えるものばかりであった。助けられた者が多いのだからそれも仕方がないといえるだろう。先の戦功もあり、そして先の戦場の"あの活躍"を見て、注目しない衛士はいない。特に市街地へと先んじて到着していた衛士達にとっては、レギオン:エクリプスという名前は忘れられないものとなっている。
数えるほどの戦力、押し寄せてくるデストロイヤー、それでも守らなければならない市民。正真正銘の絶死の状態で訪れた勝機ならぬ"生機"である、正しくご来光のように暗い戦況を照らした一報は、それまでの絶望感もあり、忘れがたきものとなっていたのだ。その他の衛士も同じだ。包囲されていた所を助けられたこと多数、撤退の援護を助けてもらった隊もある。程度の差はあれ、感謝の心と共に中隊の名前が刻まれたという点に関しては、同様である。
個々人の感想は様々にあろうが、ある意味でレギオン:エクリプスとは救世の英雄のようなものになっていた。来客の言葉は鈴夢の、そして中隊の活躍を褒め称えるものばかり。だが、それに反比例して鈴夢の心は沈んでいった。
そして、その夜。いずれも来客が去った後に、一ノ瀬真昼は、その姿を現した。
声だけの存在。
幻聴とも思っていた存在。
それが現実の姿を伴って、地に足をつけている。
「………うん、特に大きな怪我はないようだね」
医者の検診の結果を聞いた真昼は、安堵のため息をついた。いかに普通の子供とは違い、日常に戦場に鍛えられている身体とはいえど限界は存在する。それを上回れば、いかに頑丈な身体を持っていても、壊れることは避けられない。後遺症が出てしまうような怪我を負うわけだ。だけどそのような症状は出ていない。専門家に見てもらえても問題がないと判断してもらえた今、鈴夢の体調管理を一任されている真昼は安心していた。それでも、鈴夢の心は全く別の所にあった。
「真昼さん。貴方は私の幻想じゃないでいんですか? いや、それよりも、説明して欲しいことがあるんですが」
「うん、違うよ。私は『前の世界』から引き続き生存している。そしてこんな乱暴な人間環境への介入をラプラスの能力でやっている。さて、次の質問は予想はつくが、聞いておこうか」
「俺たちが英雄扱いされてるってことですよ! なんで否定しちゃ駄目だなんて言ったんですか!」
見舞いの客は色々来るだろうが、彼女の賞賛を受け入れろ。否定するような言葉は吐くな。それが、覚醒した直後に真昼から命令された事である。
「それより、何で私達が英雄扱いされてるんですか! ――――あんな、酷い戦いだったのに!」
守れたものはあるだろう。だが、失ったものが大きすぎた。それなのになぜ、英雄という言葉が出てくるのか。何故、否定してはいけないのか。問い詰めている最中に、他の隊員達も部屋に入ってきた。
愛花、葉風、胡蝶が揃う。
ちょうどいいと、真昼は隊員たちを見回しながら説明をはじめる。
「何故英雄に、か。それは、今この時に必要になったからだ。何しろ"あれだけ"打ち負かされたのだから」
「………どういう事ですか?」
「聞く前に、一度は自分で考えて」
いつもの言葉に、鈴夢は戸惑いながらも頷いた。考える、だがそれはフリである。どんな理屈があろうとも、あんな無様を晒した自分達が英雄などという扱いは有り得ない。鈴夢の思考はそこで止まっている。認めたくないという心情と、怒りの感情に頭の働きを阻害されている証拠だ。
「……駄目か、感情的になっているね。それも仕方ないが………説明するね。まずは、現状の把握だ」
「っ、真昼さん!」
「縋って聞いて、私に全て答えてもらえればそれで満足か? ―――お前は今、どこにいるのかを考えろ。いついかなる時でも、思考を止めることだけはしないで」
「………はい」
鈴夢は不満をありありと表面に出しながらも、考え始めた。
今この横浜衛士訓練校はどういう状況だ。その問いに、鈴夢は即答する。非常にまずい状況だと。なにせ衛士レギオンは先の戦闘で大損害を被ってしまった。その戦力は、最大時の半分程度に落ち込んでいるだろう。この戦力で次の侵攻を食い止められるかどうか、問われると答えは出し渋らざるを得ないだろう。
かなり危険な賭けとなる。戦線の壁役となるレギオンが機能しなければ、デストロイヤーを押しとどめることは不可能だ。一度抜かれれば、後方の戦車部隊などひとたまりもない。だが、これと英雄の話とは関連性はない。そこまで思いついた鈴夢に、真昼は一言だけ付け加える。物資や武器ではない、それを動かす人間の事を考えてみろと。
(人員………いや違う。もっと別なものだ)
考えながら鈴夢は、さきほど見舞いに来ていた衛士の顔を思い出す。感謝の言葉があり、称える言葉もあった。しかし、彼らの顔はどうであったか。晴れやかなものではあったか、と自分に問うてみるものの、答えは否だ。全員が一様に、縋るような。確かめたいことがあるかのような、そんな顔でこちらに話しかけてきていた。
一体、何を自分に期待しているのだろう。そこまで考えた時、鈴夢はようやく気付いた。
「英雄………つまり、私達は希望の光なんですか」
「その通り。そしてそれを期待される存在を、古来より英雄と呼ぶ」
エースとはまた違う。それは実績と信頼を積み重ねるだけでは、なれない存在である。俗な言い方をすればスター性が必須なのである。
それも、戦場の主役と呼べるほどの活躍を見せたのだ。それをどう見るか、否――――どう見たいのか。敗戦に落ち込んでいる生還した衛士達の答えは、一様である。
「それに加えて、私達の戦術機………見る奴が見ればわかるだろう。あれが今の時代では型遅れな、性能的には底辺に近い機体だったって事も。しかし、私達はその戦術機で戦い抜いた。戦場を駆け抜けた」
これはもう一種の物語だよ。いささかの自嘲をもって、真昼は断言した。
「仕組まれた感もあるが、これを活かさない手はない。その理由は、もう分かるだろう」
「………士気の問題ですか」
もし、賞賛の言葉に謙遜を。あるいは否定の言葉をもって接すればどうだったか。
鈴夢はその結果を想像して、答えに辿りついた。
「エースでさえ戦場の空気を変える力を持つんだ。上位互換である英雄が基地と戦場にどういった効果を及ぼすか、考えなくても分かるだろう」
そして士気が上がれば、戦力も上がる。比喩的表現ではなく、純粋なデストロイヤー撃破率が上がるのだ。
恐怖という大敵を忘れさせてくれる英雄が存在すれば。
欧州に名高き"地獄の番犬"ツェルベルスにはまだ及ばないだろう。しかし、それに準ずる影響は、士気向上の効果は得られるはずだ。それがこの状態の基地にあって、どれだけの助けになるのか。鈴夢はそれを理解してしまっていた。
他の中隊員もそれを理解している。だから、何も反論することはなかった。
鈴夢はそんな中、ふと眼があった相手に訴えかけるように言葉を向ける。
「………みんなは、納得したの?」
「納得はしていないさ。道化役なんて御免被る。それは私だって同意見です。だけど………背負ったもののためなら、な。そのためになら、使えるものは何でも使う」
それは故郷であり、散った戦友であり。特に欧州出身の4人は多少の異なりはあれど、同じような信条を持っていた。それだけに欧州が蹂躙されていた、ということもある。
「私は、あまり納得できていません。しかし真昼さんがおっしゃられた事は、道理であります」
葉風は、眼を閉じながら言った。その頬はこけていて、今にも倒れそうだ。しかし、開かれた眼光はいつになく鋭い刃を感じさせるものであった。
「………失った戦友と守れなかった民間人を前に英雄を誇る、というのも滑稽な話ではあります。でも、彼らの遺志を無駄にするのは、最も許されざるべきもの。遺志を継ぐ気持ちがあるのなら、いっそ最善を目指すべきでしょう。少なくとも自分だけの心情で、この基地の士気を下げることは許されないと考えています」
そんな事になれば、あれは。あの勇敢な戦士達の最後は、犬死にということになってしまう。
―――それだけは、嫌だ。
小さな声でつぶやかれたそれは、狭い部屋にはよく響いた。そうして、全員が沈黙してから数秒の後。真昼が最後に、切り出した。その相手とは、この決断に納得できていないと見える者に対してだ。
それは、黒崎鈴夢であった。
「納得しろとは言わない。だが、貴方の行動次第でどうにかなってしまうほどこの基地が危うい状態にあるということは、理解しておいてくれ」
「それは………弱みを見せるなってことですか」
「ああ。出来れば、人前で泣いてもくれるな」
そうすれば、士気が落ちてしまう。
優しくも厳しく告げられた現実に、鈴夢は何も言い返すことができなかった。
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