ギガント級ファンバオ撃破作戦⑤

 水平線の果てまで広がる、ありとあらゆる物質が消滅したクレーター。その死した大地の中央で、二つの影が交差し立っていた。


 互いに胸を開けて、夥しい血潮を流す。

 勇者と魔龍。全力を投じ、雌雄を決す最後の一撃を交わした末の残心。

 万物が固唾を呑み、世界は静寂に包まれた。

 張り詰める空気の中、ピシリと硬質な何かが罅割れる音が沈黙を破る。


 先に異変を見せたのは勇者だった。

 右腕から全身を覆う戦術機の残骸に、亀裂が入る。一片、一片。巻き付く機械がポロポロと漆喰のように崩れていく。その最後の一欠片が腕から剥がれ落ちた時、長い茶髪が露わになった。結んでいたリボンは焼け落ちて塵と化していた。


 それは、大切なあるものが彼女の中から消えていく事を暗示させる、哀切の光景だった。


「───お兄様……仇は」


 ポツリと零れた謝罪に続き、の片割れが血を咳き崩れ落ちる。


『……ぐ…』


 次に動いたのは残された魔龍。白化した体がぐらりと揺らぎ、地へと倒れていく。だが、その寸前。龍の片足が踏み止まった。


『……!』


 大地を砕く大きな一歩に支えられ、軋む四肢を奮い立たせる魔龍。その最後の意地に、彼女の"力"が応えてみせた。


 蒼い血に染まった肉体が蠢き、体を裂く致命傷が瞬く間に塞がっていく。そして深い息を吐き出した後、龍の皮膚に皮膚以外の色は微塵も残っていなかった。


 明暗を司る軍配は龍に上がった。



『───どうやら……勝敗は決したようね……鎖部愛花さん』


 女性の高い声が耳へ届く。僅かに残った意識でその元を見上げる地べたの勇者──鎖部愛花は、そこで、満足げな暗い笑みを浮かべる魔龍を見た。


『実に恐るべき一撃だったわ。誇るといい。デストロイヤーの力を以てしても明確な死を幻視するほどの恐怖を……貴方はこの私に突き付けたの』

「……く…ッ」


 両腕を広げ、魔龍──ファンバオを乗っ取った人間に喝采を送る。未だ先ほどの負傷の疲弊が残っているのか、龍の息は荒く、勝ち誇るような動作もぎこちない。


 だが鎖部愛花の勇気ある心は、多大な犠牲を投じても敵を倒せなかった不甲斐なさに、その芯まで染まっていた。


『親愛なる私の糧よ、貴方は実に良く戦ったわ。私の期待に応え、幾度も絶望を乗り越え、遂にはその身を焼き尽くしてまで私を倒すための剣を掴んでくれた』

「……ッ」

『感謝しましょう、鎖部愛花。貴方の犠牲によって、私が欲した高みへの道は拓かれた……!』


 歓喜に魔力を昂らせる魔龍に見下ろされ、非力な少女は何とか立ち上がろうとする。されど体を支える両腕は虚しく震え、上げる怒号も負け犬の遠吠えにすら劣る擦れ声。どれほど力を込めようと、神琳に出来たのは地べたから巨悪を睨み付ける事だけだった。

 そんな彼女へ、魔龍が無慈悲な問いを投げかける。


『……さて、こうして貴方と言葉を交わすのは最後になる。これまでの働きに敬意を表し、貴方の"英雄譚"の終幕は貴方自身に選ばせてあげるとしましょう』

「な……」

『答え給え、鎖部愛花。全ての力を失った貴方は、何を望む?』


 そんな魔龍の冷笑に、少女は歯を食い縛る。


「まだ……! まだ……!! 私は! まだ戦える!」

『ほう』

「死んで……たまるもんですか……! 私が……あなたを…倒すんだ……ッ、故郷を焼いたデストロイヤーを必ず!」



 押し潰されそうな無力感と絶望を必死に振り払い、砕け散った戦意をかき集める。


「ぐ…、くぉ…ォッ…!」


 


 だが、愛花の中にはもう、彼女の崇高な意思を力にするマギなる源泉は残されていなかった。


『成程。他者の示す道ではなく、自ら選んだ道を歩むと言う事ね』


 勇者の抵抗に魔龍は感心する。

 運命を超克するべくあらゆる手段を模索し、果て無き天を目指す魔龍。

 力を失って尚、敵の示す選択肢を跳ね除け、自らが歩む道を信じる勇者。


 彼女の不屈の心が放つ強い輝きに確かな敬意を抱いていた。

 それは魔龍自身も気付かない、ふとした些細な心境の変化だったのかもしれない。だが西村乃恵美と言う女性にとってそれは、根本的な何かを変える大きな転換だった。


『いいでしょう、鎖部愛花。私が世界を焼く間、その命は残しておきましょつ』

「ま……待って……!」

『貴方はそこで第二の故郷が滅ぶ様を存分に眺めていなさい。まだ戦う力が残っているのなら、いつでも挑んでくると良いでしょう』


 魔龍が踵を返す。悠々と遠くの日本と歩みを進めるその後ろ姿へ、愛花は無様に縋り付こうと腕を伸ばす。


「やめ……! く…ッ!」



 遠ざかる宿敵。届かない手。敗れた勇者の胸を絶望の闇が埋め尽くす。


「動いて……! 動いて、くたさい……!」


 嗚咽のような情けない声で痙攣する四肢を叱咤する。辛うじて体を起こした一護は、されどそこで右手の相棒を掴もうとし、虚空を握った。


 戦術機も、魔力も、彼女にはもう、戦う力は一つも残されていない。



「───知らない……そんな事ッ!」




 かつてない挫折感。視界が真っ暗になる程の無力感。だが、それらの絶望に苛まれて尚、鎖部愛花の心は折れなかった。



「勝つんだ……! 私が!」


 溢れる血の池に膝で立ち、剣を失った少女は人が持つ原初の武器、拳を握り締める。


「倒すんだ……あいつを……!」


 そうだ、私はこんな所で負けられない。武器がないなら拳を、脚を、爪を、歯を。


 拳が砕け、脚が折れ、爪が割れ、歯が欠けようと、立ち向かってみせる。私の助けを待っている人達のために、私は何度でも立ち上がってやる。



「…ッ! 私が!」


 こいつを倒して、

 日々を暮らす無辜の人々を────


「護るんだ!!」



 この時。

 鎖部愛花の中に戦う力は一つも残されていなかった。


『なっ…!!?』

 


 二つの驚愕の声が荒れ果てた海のど真ん中の最端に響き渡る。魔龍と勇者、両者の視線の先には、突然、魔龍の胸から突き出た刃。



『…あら、まだ抗う力が残っていたのね』



 突如背後で膨れ上がった魔力を感じ、魔龍ファンバオは振り返る。喜悦の滲んだ声は、残してきた微かな期待にすら応えてくれた"踏み台"への感謝の表れか。



『──何…?』



 だが鎖部愛花へ振り向いた魔龍は、そこで瞠目する。立ち上るその魔力は彼女の持つ魔力ではない。


 莫迦な、と魔龍ファンバオは息を呑む。


 鎖部愛花が放った戦術機の全力射撃とやらは、正しく彼女の才の全てを投げ打ち犠牲にした究極の一撃だった。事実少女から感じる魔力は最早残滓に等しいもの。


 その直後。

 驚く魔龍へ目掛け、膝立ちの鎖部愛花の胸元から幾本もの光の鎖が放たれた。


『!? これは…!』

「な、何…?」


 動揺の隙を突かれた藍染は一瞬でその鎖に巻き付かれる。首に胴、四肢を拘束するその鎖は信じ難い強度で魔龍ファンバオの自由を奪っていた。


『……そうか、それが君に託された切り札か…ッ!』



 最初に事態に気付いたのは魔龍ファンバオの脳髄である人間。拘束の苦痛に顔が歪みながらも、女性の声は掻き消えない歓喜を孕んでいた。



『誰かわからないが実に見事な手際だ……! そうだ、切り札とは此処ぞの機に切る事で初めて切り札足り得る! そして私の最大の隙は、郭神琳との死闘の果てに消耗した今を措いて他にない。だが────甘いな』



 魔龍ファンバオは粉々に打ち砕く、かに思われたその直前。

 魔龍の胸元に紅色に輝く十字の光が噴出した─


『なっ!?』


 同時に声を上げる魔龍ファンバオと郭神琳。この場の誰のでもない新たな魔力が渦巻き、魔龍の体を覆い始めたのだ。


『何、これは…! 戦術機のコアに使われる素材!?』

「……!」



 真っ先に現象の本質に気付いた巨悪が自身の力で術を破壊せんと試みる。だが魔龍の魔力は渦巻く殻状の魔力に吸い込まれ、拘束の進行を加速させるばかり。


『莫迦な! こんなもの……ッ!』

「な、何が起きて…」


 そして焦燥する魔龍ファンバオと、困惑する鎖部愛花の前に、戦場の最後の役者が舞台上へ上がった。


「──漸く発動したようね」

「少し、ヒヤッとしたかな」


 二人の役者の名前は、蔵屋敷優珂と黒崎鈴夢。


 この時を待ち望み、年月を準備に費やした最高の魔導科学の切り札が、魔龍ファンバオへと襲い掛かった。



『蔵屋敷優珂さん、黒崎鈴夢、貴方達の仕業か!』



 魔龍の憤慨が突き刺す魔力となって辺りに吹き荒れる。それに怖気付く事無く、新たに現れた二人は奥の瞳を光らせ、行使した罠の正体を明かした。


「それは封よ。ファンバオと融合し、余裕を見せて愛花さんの一撃を受けたアンタの心の隙に潜ませたの」

「やったのは私ですけどね」

 


 二人は語る。

 先程の一戦、蔵屋敷優珂は他のデストロイヤーであれば一撃で倒せるほどの攻撃を囮に使い、たとえ魔龍ファンバオが如何なる手段で超越者へと至ろうと確実に封印できる最高傑作の封印罠を密かに、蔵屋敷優珂から受け取った黒崎鈴夢が魔龍の体内に埋め込んだのだ。

 自身の気配を消せる黒崎鈴夢が適任だったのだ。

 


「魔龍ファンバオ、アンタは本当に恐ろしい人だ。あの愛花さんの死力の一撃を真正面から耐え、跳ね除ける。先輩の力なくしてこの罠は発動しなかったでしょう」

『小賢しい真似を……この罠はあの女のものね? 今更、舞台に上がろうなど、相変わらず反吐が出る低劣な女だ……! 知るがいい、貴方達如きに出来る事などこの場に一つもないのだと!』

「愛花さんの一撃で疲弊している今の貴方にこれ以上の抵抗は不可能よ」

『莫迦な、こんな……こんな事が……ッ! 魔力が戦術機のコアに強制的に吸収される!?』



 この期に及んで油断や余裕は欠片も無い。死に物狂いで抜け出そうとする魔龍ファンバオは、微量な抵抗しか出来ずにいる。


「私達の罠は、と彼女の力を受けてアナタが弱った事で初めて起動する余地を得ました。長い長い試行錯誤の末に完成した封印罠です。発動の途中で破られるようなヤワな作りはしていない」

『…ッ、よもや貴方の様な唾棄すべき研究者の手でこの私の研究が挫けるとは……! 実に滑稽な終焉だ。運命とはつくづく度し難い……!』


 結末を悟ったのか、魔龍が激情に呻る。地獄の底から響くような怨嗟の声だ。



『この私が、負ける、なんて』


 デストロイヤーとの戦い史上最悪の離反事件を起こした、大罪人は、かくして鎖部愛花、蔵屋敷優珂、黒崎鈴夢の手により封印された。


 地球に消えない傷を残した巨悪の魔龍となったオリジナルの人間は拘束された。


「────判決を言い渡ァす!」



 日本の最高裁判所。

 あらゆる衛士とそれに準ずる者を司る司法的頂点にして最高意思決定機関おいて、中央地下議事堂にてこの日、乱の首謀者の罪を問う裁判が開かれていた。


 元G.E.H.E.N.A研究者。


 人類への反逆、デストロイヤーの禁忌の実験、そして多くの違法な実験。有史以来の大罪を犯した巨悪に下さる刑もまた、勇気ある前例として永遠に歴史に刻まれる判決だった。


「この者を地下監獄最下層・第八監獄『無間』にて二万年の投獄刑に処す!!」

『おぉ…!』


 傍聴席の歓声に、悲願成就の笑みを深める。デストロイヤーとの融合をしている魔龍ファンバオは殺すことが出来ない。またその肉体を実験解剖研究素材として使うことが有用とされたのだ、。



「人外魔龍ファンバオ」


 目の前で被告人とは思えぬ傲岸不遜な態度を貫く女性は、高速をされてもなお笑みを浮かべていた。



「────ああ、ごめんなさい」


 判決が下った時、どこか遠くを眺めるように目を細めていたファンバオが口を開いた。



「少々面白い事になっていたようね。雑音と聞き逃してしまったようだ」

「貴様……!」


 暗にお前等など眼中にないと述べる女性に場が色めき立つ。その燻る火種へ、大罪人は気だるげに油を注いだ。


「して、忘憂の団欒は終わり?」

『……ッ!!』


 一瞬の沈黙の後、議事堂内は怒り狂った人々の唾吐猿叫で溢れかえる。最高裁判所に到底相応しくないそれらを一身に受ける渦中の女性はは、常の冷笑を浮かべる手間も惜しみ、まるで駄作の劇でも見ているような冷めた声で呟いた。


「…成程。役者未満の囃子風情がこの私に"判決"か」



 ────些か、滑稽に映るな。



「黙れ大逆人めがッ!!」

「おのれ、不死であるからと図に乗りおって!」

「何をしている! さっさと眼と口にも拘束をかけろッ!!」

「反省の余地なし!! 刑を二万五千年に──」

「────!」

「──」


 こうして、日本を脅かした魔龍ファンバオと研究者が起こした反逆事件は収束した。


 鎖部愛花は車椅子を梨璃に押されながら、病院の屋上に来ていた。そこには蔵屋敷優珂と黒崎鈴夢もいた。


「黒崎鈴夢、君は魔力を失った。けれど強化衛士になれば、また戦える。もう兄を殺したデストロイヤーを倒した君には戦う理由は無いと思うが、どうする?」

「戦います」


 鎖部愛花は即答した。


「強化衛士になります」

「それは、何故?」

「だって、まだ祖国を取り戻してませんから。それに私は衛士です。戦えないならともかく、戦わない選択肢はありえません」

「そうか。優珂さん、安全な強化手術の用意を」

「わかりました。鈴夢さん、用意します」


 こうして、衛士たちの戦いは続いていく。しかし鎖部愛花の人生においては一区切りついたのだった。

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