愛する人の絶望③


闇の中で、声がした。


「来たね、流星」

「……」

「おーい、流星さん?」

「……」

「返事をしてよ、流星」

「………ん」

それに、今流星は目を薄く、開いた。すると彼がいるのは、とても奇妙な場所だった。

 天地が真っ白なのだ。

 こんな場所は、見たことがなかった。

 真っ白い空間の中に独り、今流星は立っている。


「………どこ? ここ」


 周囲を見回し、呟く。

 すると背後から声がした。


「……貴方の心の中さ」

「あ、2Pカラーの私だ」


 振り返ると、真っ白い空間の中央に、少女が立っていた。

 とても美しい少女。

 年の頃は十二歳くらいだろうか。

 真っ白い肌

 黒い瞳。

 黒い髪。

 悪魔だった。

 これは、悪魔だ。

 お伽噺の中に出てくるような、異形の姿ではないが、黒い私だった。 それで今叶星は思い出した。自分がいま、どういう状況にあるかを。

 戦術機に触れたのだ。

 高城が用意した、ラプラス細胞の戦術機に触れたのだ。そしていま、ここにいる。自分の、心の中に。


 流星は悪魔を見下ろして、言った


「……………なるほど。なら貴方は、渡しの意識を乗っ取りにでもきたのね? 悪魔」


 すると真っ白い世界の中、美しい悪魔の少女が笑った。


「乗っ取るなんて人聞きの悪い。貴方が私を欲したんだよ、流星」


 悪魔が嬉しそうに笑う。 そうだ。 欲しがったのは自分だ。触れてはいけないと知ってい 禁忌に触れた。


「でも流星が私を欲しがってくれて嬉しいよ。力が欲しいんだろ? 私を選んだのは大・正・解♪

 私と同化すれば、貴方は間違いなく強くなれるよ」


 そう言って、叶星が笑う。

 一歩前に出てくる。その悪魔の足下が、 一瞬黒く染まる。

 その瞬間、自分の中の大切なものがなにか、消えるような気がした。温かみや、人間性といった、失くしてはいけないものが少し減るのを感じた。 それで、いまなにが起きているのかがわかる。悪魔との主導権争いが行われているのが、 わかる。悪魔が近づいてくるたびに、自分の人間味が失われていく。

 負ければ正気を失うだろう。

 狂気だ。

 悪魔だ。

 高嶺と同じように、理性を失う。

 体や心を乗っ取られる。だから流星は言った。


「近づかないで、悪魔」


 悪魔はにこにこ微笑む。


「うふふ、やだよ。近づいちゃう♪」


 悪魔が近づく。

 正気が削られる。


「私はおまえには負けない 」

「敵じゃないよ。それに貴方が私を呼んだんだって。欲しいよ欲しいよ、力が欲しいよって、貴方が私を呼んだんだ」


 悪魔が近づく。また正気が削られる。

 流星は悪魔をにらんで、言う。

「気安く名前を呼ばないで、悪魔」

「ええ〜、呼ばせてよ。どうせもう一生、私達二人は離れられないんだからさ。あ、だから貴方も私を名前で呼んでよ。《ブラックライト》っていうのが私の名前。さあ呼んでみて。そしたら貴方に、圧倒的に官能的な夜をもたらしてあげる」


 悪魔が近づく。

 正気が削られる。

 気づくといつの間にか、真っ白だった世界が、真っ黒に変わっていた。 視界すべてが黒、クロ、くろ。


 吐き気がするほど鼓動が速まる。性的興奮と恐怖が、自分の中で跳ね回るのを感じる。

 欲望だ。

 強い欲望が自分の中に膨れあがる。そしてすぐそばに、ブラックライトが立っている。あと一センチ近づけば体が当たってしまいそうなほどすぐそばに。

 頭の位置は腰のあたり。わくわくした顔でこちらを見上げている。

 あと一センチ。

 あとたった一センチ。

 だがそこで、ブラックライトは止まる。

 そして言う。


「ねえ流星。ねえねえ流星。見て見て、私はここまで歩み寄ったよ。でも、最後の一 センチは、貴方からきて欲しいな。私を欲して私を抱いて。 僕に心と体を許してよ。そしたら貴方は......」


 悪魔は皮肉げに笑う。


「…………すべてを守れるようになるよ」

 魅力的な言葉を吐く。


「高城も、親も、仲間も、友達も、プライドすら守れなかった君は、生まれて初めて誰かを守れるようになる」


 流星はブラックライトを見下ろした。

 ブラックライトはやはり笑っていた。

 楽しそうに笑っていた。

 世界は暗かった。

 真っ暗闇だ。

 仲間や後輩を救うためには、躊躇している時間はない。 それを知っていてブラックライトが笑う。もう、光を見いだすことができる力は、自分にはなかった。

 おまけに時間もない。


「あ、それともまた逃げる?  まだ動く時じゃないって。その時じゃないって。そういう 人間も好きだよ。自己保身のために醜く逃げることができる人間も、好きだ。でも、流星は違うと聞いている。君は違うと聞いている」

「誰に?」


 流星は問いかける。

 すると悪魔は答えた。


「宮川高城に。君はひどく優しく、綺麗で、人間らしく、かわいらしいから、きっとこっちに くるって言ってた。 高嶺の言うことは本当だったよ。私も一目で君がお気に入り♪  君は思わず愛おしくなるほど、儚く、優しく、弱い。 だから私と一緒になれば、すごく強くなれるよ! まあ、でも、そんなに急がなくてもいいんだけどね。どうせ君はなるから。悪魔になるからさ、ここで私に触れなくても、結局、いつかは私に手を出しちゃう。誰も守れず、みんな殺され・・・・・・あまりの絶望で悪魔になる。 それでも私はいい。どうせも う止まらない。君が悪魔になるのは止まらない。なにせすでに混じっちゃったからね」

「……………………………」

「で、今日はどうするのかな?  進むの?  止まるの?  ちなみに時間はもうないよ。 チームのみんなや他の衛士ちゃんたちが生きてるのって、実は宮川高城が守ってるからなんだ。そう仕組んだ。でも、十秒悩んだ ら、きっと間に合わない。だからそれを止めたいんなら、そうなる前に禁忌を犯そうね。じゃ、数えるよ」


 悪魔がカウントを始める。

 歌うように。

 唱うように。

 叶星はそれを、見下ろすだけ。

 なにもかもが、高城の思い通りだった。

 暗い世界の思い通りだった。 あらが 自分は何一つできない。運命に抗うことができない。


7

6

5


 あと五秒。

 悪魔に触れれば、人間をやめることになる。だが、きっと、この五秒なにもせず、逃げたとしても。大切なみんなを見捨ててしまったら、それはやはりもう、人間じゃない気がする。なら進んでも、引いても、同じだ。どちらにせよ、人間をやめることになる。

 悪魔はそれをわかっている。

 ブラックライトはそれをわかっている。だから楽しそうに、嬉しそうに、カウントを進める。


「結果が同じなら、私は前に進む」


 それに流星が顔を上げると、ブラックライトがうっとりした顔で言う。手を差し出す。


「1。さあ、おいで流星。人間をやめよう」


 流星はその、手に触れる。

 握手する。

 瞬間、ブラックライトが心底楽しそうな声で、笑った


「アハ、流星。それ不正解♪ あたりまえだけど、人間が、人間をやめちゃ、だめじゃな〜い。ほんとに君はかわいいな〜」


 流星は目を大きく見開いた。だがもう遅かった。

黒だ。再び、流星は目を見開いた。戻ったのだ。現実に。

 右手には一振りの戦術機。

 ブラックライトというラプラスの悪魔から生み出された戦術機。


「ふふ、はは。見える。世界が見える。さぁ、行きましょう!! この力を振るいたくてたまらないの!!」

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