愛する人の絶望①



 



 彼女は震えている。

 ずっと震えている。


「……私はいつも王子様役だったけど、お姫様でもあるの」

「うん」

「来るのが遅いわ、流星。遅刻したのは……遅かったのは、私じゃない」


 そんなことを彼女は言った。

 流星はそれに、


「......うん、そうね。ごめんね」


 としか言えなかった。


「……放して」


 彼女は震えたまま、抵抗する。 離れようとする。


「高城ちゃん。落ち着いて」

「もう、ぜんぶ遅いの」

「高城ちゃん」

「私、もう、人間じゃないのよ、流星。あなたに抱いてもらえない。その資格がない。もう、あなたと一緒にいられな......」


 それを遮って、流星は言った。


「いま一緒にいる! いま、私は貴方と一緒にいるわ!」


 彼女を強く抱いて、落ち着かせようとする。

 彼女の体の震えは止まらない。

 彼女の深い闇を埋めることができない。だがそれでも、いま、自分にできるだけの強さで、彼女を抱きしめる。

 彼女の体から力が抜ける。 まるで助けを求めるかのように、彼女は流星に抱きつい てくる。顔を胸にうずめてくる。うっ、うっと、泣くのを我慢するような声が聞こえる。


 ――流星にはそれをやはり、どうすることもできない。いま、すぐには、助ける力がない。だからしばらく、無言で彼女の体を抱いた。彼女の体は柔らかく、もう、大人のものだった。


 カーテンの隙間から射し込んでくる月明かりが、机の上の写真を照らす。 そこにはまだ、子供のころの二人が写っている。写真の中の高城は無邪気に、嬉しそうに笑っている。


ふと、彼女の言葉を、思い出す。 彼女は昔、こう言ったことがある。


「私、流星と離れたくないわ」


 だが二人は、離れた。そして時間は経ってしまった。 いま、もう、高城は無邪気には笑わない。ただ泣くだけで、もしくはあきらめたように笑うだけで。

 悪魔となってしまった。

 怪物に成り果ててしまった。

 これを、どうしたらいいのか流星は考える。高城の頭を優しく撫でながら、流星は言った。


「とりあえず、もう私から離れないで。 手遅れなんてことはない。私がやる。高城ちゃんを助ける。だから」

「無理よ」


 高城が拗ねたように言う。

 だが流星は首を振る。


「無理じゃない」

「無理」

「無理じゃない」

「無理だよ!!」


 涙で震えた声で、甘えるように高城が叫ぶ。だが、それに流星はもう一度、


「無理じゃない」


 と、言った。そして、なぜ、こんなにも無責任な言葉しか吐けないんだろうか、と、自分の弱さがうらめしくなる。なんの根拠も、自信もない言葉。 だが、少なくとも、


「高城ちゃんははもう、独りじゃない」


 そう、彼女は伝えた。高城がさらに強く、こちらに抱きついてくる。少しずつ、震えが収まり始めているように感じる。


 高城が顔を上げる。相変わらず彼女の目からは涙が流れていて。それでも、彼女はとても綺麗だった。


「流星」


 と、呟く。


「まだ、私のことが好き?」


 その答えは、間違いなく彼女が好きだった。だかど仲間たちの命を背負っている。判断を誤れば、その、命が失われる可能性がある。

 無責任な行動は、できない。だが、すでに今日はその、責任を放棄してしまっていた。きてはいけない場所で、抱きしめてはいけない相手を、抱きしめている。 だから、自分はすでにここで、殺されている可能性がある。

 そして死ねばすべてが終わりだ。

 誰も守れない。

 誰も救えない。

 子供っぽい理想も、いままで積み重ねてきた努力も、すべてが無駄になる。

 高城が、怯えたような顔で、笑う。


「好きじゃないわよね。そうよね。それにこんな……こんな、人間をやめた醜いバケモノに……恋なんて……」


 が、流星はそれを遮って、うんざりしたような顔で言った。


「ああ、もう、うるさい!! 高城ちゃんのバカ! 状況を見ればもう、わかるでしょ。ここに私はくる べきじゃない。高城に触れるべきじゃない。なのにいったい、私はなにをやってるんだろ」


 もう、本当にうんざりだった。

 それは自分の弱さに自分を信じてついてきてくれている仲間たちを、裏切ってしまっていることに。 すると高城の表情がまた、歪む。嬉しそうに歪んで、涙が溢れる。しかしこの行動に、じゃあ、打算は少しもないのか?

 計算はなにもないのか?

 高城を仲間に引き入れることによって、自分たちに利益があると、少しでもそんな考えが自分の中にあれば、まだ、自分を許すことができるのだが。


「······もう、私は、本当に馬鹿」


 絶望するように、流星は言った。


「大好き、流星」


 胸にしがみついてくる。彼女の震えは、もう、止まっていた。いまので、彼女が抱えていた闇を、少しは埋められたのだろうか?

 暗闇。 月明かり。揺れるカーテン。

 もっと彼女を闇から引き戻すには、どうしたらいいだろう。

 高城が胸の中で言う。


「じゃあ、じゃあ、私を抱いてくれる?」

「……」

「こんなバケモノでも、私を抱いてくれる?」

「……」


 彼女は自分を、バケモノだと言う。

 醜いバケモノだと。

 ひどく傷ついているのは、わかる。当然だ。 彼女は自分と同い年の、たった16、17歳の女の子なのだ。

 なのに独りで。

 ずっと独りで。

 叶星は、聞いた。


「抱けば、高城ちゃんの抱える闇が消える?」

「わからない」


 と、彼女は言った。


「もう、なにもわからない。私……私、疲れちゃっ」


 が、そこで流星は頬に触れた。あごを上げさせて、彼女の唇に自分の唇を重ねた。 それが正しい選択だったのか、それはわからない。彼女の唇の柔らかい感触が、自分 に伝わってくる。パケモノには見えない。醜いバケモノには、見えない。

 高城は目を大きく見開く。瞳孔が開き、それから、うっとりと目を閉じる。彼女に対する欲望が、自分の中に存在するのを感じる。 そしてラプラスの悪魔はその、人間の狂気が好きなのだという。


 欲望。

 狂気。

 醜い欲望。

 しばらく、二人はそのままだった。

 夜の風がカーテンを揺らして入り込んでくる。どれくらいの時間、そのままだったろう か。

 高城が一歩、後ろに下がる。


「は、ふふ」


 と、少しだけ恥ずかしそうに笑う。

 胸を押さえ、


「……流星、いきなりキスするから、心臓がドキドキしちゃって壊れそうよ」


 などと言う。


「少しは、不安が消えた?」 


  するとほんの少し悲しそうに、高城は流星を見つめた。

 高城は流星に聞く。


「じゃあ、いまのは私を黙らせるために」

「違う」


 遮って、流星は言った。それに彼女はまた、恥ずかしそうに笑う。 頬を赤らめて、言う。


「そう、違うのね」

「ええ」

「じゃあ」


 と、彼女は言った。顔を真っ赤にして、言った。


「あの……·こんな私をまだ、欲しがってくれるかしら」


 欲しい。それは間違いなかった。自分の中に、その欲望がある。

 狭い部屋。 彼女の匂い。 月明かり。

 カーテン。風。机の上の写真。

 夏の夜。思い出。

 約束。 夢。

 野望。絶望。

 希望。 世界。

 クリスマス。

 滅亡。

 仲間。

 レギオン。

 考えれば、いくらでも思考はめぐる。理性的な話はいくらだってできる。

 だが、高城は泣きそうな顔で、


「ねえ、流星。私は」


 それ以上、彼女には言わせなかった。彼女の腕をもう一度つかむ。自分に引き寄せる。彼女はそれを待っていたかのように、流星は胸に抱きついて、また泣く。

 それは悲しい恋物語か。

 それともただの憐れみか。

 正解はわからない。いや、正解することにそもそも、意味があるのかどうかも、もう、わからない。


 だからその日、今流星は宮川高城抱いた。そして、叶星が聞くと、高嶺がうなずいた。


「出て行くの?」

「うん」

「私に高城ちゃんは救えない?」

「ううん。いま救われた」

「行かないで、高城ちゃん。私が」

「守れない。まだ守れないよ。わかってるはずよ。それに叶星には守るものがある。私じゃない、別の仲間が。それか、いま証明してくれたら、一緒にいてあげてもいいわ。 もしもあなたが本当に私が好きで、一緒にいてくれるなら、今からレギオンの仲間を全員、殺してみせてよ」


 と、彼女は振り返る。泣きそうな顔で微笑む。


「できないんでしょう? 流星は、優しいものね。かわいそうな、哀れな私を慰めるために抱いてくれるほど、優しい。自分のことしか考えない私とは、全然違う」


 それに、彼女は、空を見上げて言った。彼女の顔は、月明かりに照らされてひどく美しかった。


「仲間を守ることが、そんなに愚かなこと?」


 彼女は首を振る。


「ううん。かっこいい。きれいで美しい。と思う。流星は奇麗。でもそれじゃ、強くはなれない」

「高城ちゃんだって、抗ってる。だから辛いんでしょう?」

「抗った。だから壊れた。こんなに壊れた私だけど、たぶん、今日のことは忘れない。流星の。大好き。それ と、ありがと。私の想いを遂げさせてくれて。 これで」


 と、彼女は両手を広げた。


「これで、 いま、この瞬間、私の心の中の弱い部分が死んだ。 あなたに電話をかけちゃった、あなたのことが好きで好きで仕方がない、弱く幼い宮川高城が、この世への執着を見失って死んだ」


 流星はそんなことを言う高城を見つめたまま、言う。


「そのために、私を利用したの?」

「そう」

「弱さを消すために? なら、もう高城ちゃんはいないの? 貴方は悪魔になったの?」

「そうね」

「ふざけないでよ。泣きそうな顔でそんな言葉を吐いても、信じられるわけ、ない」


 高城はこちらを見る。

 悲しげな顔でこちらを見る。まだ人間に見える。 か弱い少女に見える。だが、彼女は寂しそうに、言う。


「ラプラスの細胞の研究データ、置いておくわね。もしも私を救ってくれるなら、悪魔になって全員殺してからまた、会いにきて」

「高城ちゃん。貴方はいったい、なにと」 


 その言葉を遮って、ドンッとなにかが遠くで爆発したような音がした。 ドン、ドンドン、ドカンドカンと、まるで戦争映画の中で聞くような、轟音が立て続けにする。

 方角は全方位からだ。それから遅れて、パトカーや消防車のサイレンが聞こえ始める。


 高城は笑っている。


「さあ始まった。昨日までは私だけが兎だったけど、今日からは違う。みんな兎になることを求められる。 世界中のみんなが、兎。 急がないと」


 高城は笑っている。

 流星はその、高城を見つめる。 それから窓の向こうに目をやる。

 轟音はやまない。

 そして巨大な巨人が、アストラ級デストロイヤーとその眷属の群れが現れているのが見える。


「あは、やっぱり仲間が心配? あなたを好きで好きでしょうがない金色一葉はもう死んだかしら?」


  流星は、高城をにらみつける。


「にらまないで。私のことが好きでしょう?  抱いたぐらいだもん」

「高城ちゃんの目的は、なに?」

「あなたと同じょ」

「ふざけないで」

「ふざけてない」

「ふざけないで!」


 すると彼女はまた笑って、言う。


「あなたと生きること。 あなたと次の世界でも生きること。 人が生きられない世界でも生きること。そのためには悪魔にならなきゃ」

「私は貴方とはいかない」

「あら、さっきは私の側にいろって、言ってくれたのに?」

「高城ちゃんが私のほうに来て。人間をやめるのは許さない」


 また轟音が鳴る。 高城の背後で、なにかが爆発する。悲鳴も聞こえる。 デストロイヤーを殺せ! という、怒声も聞こえる。外ではあきらかに殺し合いが行われている。

 するとまた、彼女は悲しそうな顔をする。

 高城が、窓のほうへと下がりながら、言った。


「あはは、こんな弱い人間のレベルに留まれって? それじゃあ何も救えない。何も守れない。自分さえも、守れない。だから、これを使うしかない」


 トン、と黒い戦術機が刺さっている。

 ラプラス制式と呼ばれた漆黒の戦術機を見下ろす。 以前これに触れたときは、悪魔が体を乗っ取ろうとして、まるでそれに抵抗できなかった。

 おそらく今回も同じだろう。

 これに触れたら、人をやめることになる。だが、どうしても力はいる。 どうしようもなく力が必要で、そしてもう、迷っている時間がない。

  高城がさっき言った言葉を思い出す。


「アストラ級デストロイヤーの数は2体。それが従えるヒュージの数は……凄い多い。さてさて、あなたの『大切な人たち』は生き残れるかしら」


 人間をやめる。

 悪魔になる。

 もう、悩まない。

 迷いもしない。それで誰かが救えるのなら。 こんなクズでも、目の前の仲間を救うことができるのなら、喜んで前に進もう。


「一葉を救う。 千香留さんを救う。 蒼風ちゃんを救う。両親を救う。みんなを救う」


 今流星は地面に突き立つ 《ラプラス制式戦術機》を見つめながら、自分に強く言い聞かせる。


「私は大切な人達を救うために、人間を」


 戦術機をつかむ。

 瞬間、視界が真っ黒に染まる。 暗く。

 黒く。

 真っ黒に染まって。


「やめる。弱い私は、ここで死ぬ」


 黒い魔力が、溢れた。


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