愛する人

 

 流星の端末が鳴る。端末をポケットから取り出すと、 見覚えのある番号から着信がある。

 宮川高城から、電話がかかってくる。

 出るべきかどうか、それもわからない。出た瞬間にそれはリボンズ・藍に盗聴されていて、裏切り者として殺される可能性もある。まだ自分はひ弱だから、常にめちゃくちゃに振り回され、生死の選択を迫られてしまうのだ。


「……はぁ、もう嫌ね。こんな世界。ごきげんよう、高城ちゃん」


 着信に出る。高城は答えない。相手が宮川高城かどうかも、わからない。


「なぜ私に電話したの? この電話は」


 すると宮川高城の声が、 電話の向こうから、した。


『盗聴はされてない』

「信じられない」

『大丈夫』

「それで、どうかしたの? 何か用事?」

『んと、その、流星の……声が聞きたくて』

と、弱々しい声で、彼女は言った。リボンズ・藍を脅していたときとは、まるで違う声。

 それに流星は疑問を口にする。


「最近の高城ちゃんの様子ではないのはわかるけど……本当にそれだけ? いつもは余裕そうで凛然としてるじゃない」


 すると高城がしばらく黙る。かすかな息づかいが聞こえてから、


『......あれは、私じゃ、ないから』


 などと言ってくる。


「なら誰?」

『フェネクスとラプラスの戦術機の融合人格。私を乗っ取った、ラプラスの悪魔の怪物』

「戦術機の模擬人格?」

『うん』

「高城ちゃんは、戦術機のフェネクスに操られてるの?」

『……うん』


 彼女は素直に、かわいらしい声で、返事をする。さっきリボンズ・藍と会話していたときとは違う、媚びたような、甘えるような、それでいて、芯のある声。 彼女が昔から知ってい る、高城の声。


 その声で、フェネクスとラプラスに操られていると、言う。

 フェネクスとラプラス。

 流星は目を細め、端末を持っている右腕をまた、触る。自分の体にも、もうラプラス細胞が混じってしまっている。血液は毒され、その血に触れただけで、研究者は、バケモノに変貌してしまった。そしてあのバケモノとフェネクスが宮川高城を乗っ取って操っているのだ。 だが、


「……いま話しているのが、戦術機の融合人格じゃない証拠はあるの?」

『ない』

「なら、これ以上の会話は……」

『ま、待って! 切らないで、流星。いま電話を切ったら、もう二度と話せないかもし れないから』


 高城が少し慌てた声で、言う。

 それがなのか、真実なのか、わからない。だからケータイはもう、切るべきかもしれ ない。リボンズ・藍はそこでミスした。 フェネクスは頭がいい。異常なまでに頭がいい。会話するだけで、操られてしまう可能性がある。

 彼女とは、会話すべきではないのだ。

 流星は親指を動かす。

 だが。

 電話を切ることができない。切るべきなのに、切ることができない。


「いったい私に、なんの話があるの?」


 と、聞いてしまう。

 高城がそれに、安堵の声で答える。


『……流星、あなたにお願いがあって』

「私も利用して操るつもり?」

『違う。そうじゃない。そういう話じゃ……あ、だめ……時間が』


 急に苦しそうな声を高城が出す。はぁはぁと、荒い息。 そしてそれを前にも見たことがある。 高嶺は何度か、まるで二重人格のような態度や言動をとってきたことがあるのだ。

 そのときの高城は、流星に逃げろと言った。ラプラス細胞に関わるなと言った。自分はもう存在しないと言った。あれが演技じゃなければ、


「今の貴方は、本物の高城ちゃんなのね」


 流星が聞くと、彼女は苦しそうに答える。


「……うん。私の狂気の部分が、目覚めてない間に……電話してるの』


 演技かどうかは、わからない。だが、そもそも演技をする必要があるのだろうか。彼女は独りで、G.E.H.E.N.AやCAGEを手玉に取ることができる。なのに、いまさら流星の力を必要とするだろうか?


「私への願いとは、なに」

『私を』


 と、高城は苦しそうに言った。


『私を殺して欲しい。もう、一日のうちで、ほとんど私の意識化している時間がないか が抵抗できるうちに······いまのうちに。まだ、まだ間に合う。計画を止められる』


 彼女はそう言った。

 流星は思考を巡らせながら言う。


「ふざけないで。居場所を教えて。私が高城ちゃんの中の狂気をコントロールする」

『だめ。 余計なことを考えないで。私に会ったら、すぐに、殺すの』

「いいから居場所を」

『流星、お願い! いましかないの。もうすぐ私は消える。 そしたらもう、私を殺せる存在はいなくなる』

「凄い自信ね。殺せる人間がいなくなる? 高城ちゃんは神にでもなるつもり?」

『お願い、時間が……!』

「お断りよ。居場所を言って。私が貴方を救う」

『流星。もう、手遅れ』

「いいから、居場所を」


 

『流星っ!』


 と、高城は怒鳴った。泣きそうな声で怒鳴った。 いや、 電話の向こうで、彼女は本当に泣いているのかもしれなかった。 ぐずぐずと。


『もう、手遅れなの』


 鼻をすするような音が聞こえる。

 そして、彼女は言う。


『流星が、助けようとしてくれるのは嬉しいけど私は戻れない。もう、人じゃないから。だから』

「殺せ?」

『もう、流星にしか、頼めないから』

「私に……高城ちゃんを、殺せ、と?」

『ごめん、ごめんなさい』

「いったい……」


 なぜ、こんなことになった。と、流星は言おうとした。なぜ、賢い彼女が、そんな 馬鹿げた選択をしたのか、と。

 なぜ人をやめたのか?

 なぜ、引き返せないところまで進んでしまったのか?

 なぜ、貴方は、


「……私を、待てなかった……?」


 流星はそんなことを、言ってしまった。それはしかし、ひどく馬鹿げた、無責任な発言だった。待ったところでなにも起きない。いまの叶星には、フェネクスが決めた運命を曲げる力はない。彼女を助ける力はない。だからいまの言葉は戯言だ。力ない女の、虚勢だ。なのに、電話の向こうでまた、 悲鳴のような声が響く。

 彼女が震える声で、言う。


『うう、流星。大好き、大好きなの』

「……そんなの私だって!」

『そして、この感情を持ったまま、私を死なせ』


  が、遮って流星は言った。


「だめ。 私は高城ちゃんを救う」

『お願い』

「だめ』

『殺して』

「もう黙って。そして居場所を言って。話はそれから」


 そう、流星は言った。するとあっさり、彼女は

 自分の居場所を話した。落ち合う時間も決めた。 その時間な ら、彼女は意識を取り戻しているのだという。だが、その時間はどんどん、短くなっていっているので、急ぐ必要があるという。

 会うなら今日だ。

 明日はもう、意識がない可能性がある。だから今日、高城と会う必要がある、という話になった。

 もちろんそれは、罠かもしれない。

 彼女は演技をしているのかもしれない。

 絶対にいくべきではない。

 理性的な思考や判断は、すべて、彼女の言いなりになるべきではないと叫んでいた だが、それでも流星はひどく弱い、甘い、狂気の果ての悪魔ではなくまだ人間の流星は宮川高城に会いにいった。


 白塗りの、五階建てのマンションワンフロアに五つ扉があるが、この大きさで五つ 屋を取っているとなると、おそらくワンルームマンションだろう。 そこに高城の借りている部屋があるのだという。最上階。 501号室。 角部屋だ。


 流星は狭いエントランスを通り、エレベーターに乗る。 おそらく四人ぐらいしか乗れ ない。ここで襲われたら、広さ的に戦術機は抜けないだろう。 彼女は背負っている、ケースに入った戦術機に目をやる。


 尾行はされていないはずだった。されていたとしても途中、何度も電車を乗り換えるこ とで、撒くことができているはずだった。なによりこのマンションへ至る道は、尾行がい るかどうかを確認しやすい、開けたルートが多かった。 そうなるよう、高城が選んだのだ ろう。


 もしも本当に、彼女がここに住んでいればの話だが。 エレベーターが開く。流星は501号室へと向かう。通路も狭い。複数の敵に襲われても一度に攻撃される可能性が減る構造だ。


 時刻は十七時半。

 空はまだ明るい。

 気温も高い。

 高城は本当に、このマンションにいるのだろうか。


 501号室の前に、高城は立つ。中の気配を探るが、彼女がいるかどうかはわからなかった。

 呼び鈴を押すか、扉を開けるか。

 流星は後者を選んだ。

 扉があっさり開いた。鍵は開いていた。生温い風がこちらに抜けてくる。 窓が開けられているのだろう。


狭い玄関には、女物の革靴。暗い廊下。廊下脇にトイレとバスルーム。そしてその向こうに、部屋があるようだ。

 流星は靴を脱がず、そのまま部屋へあがる。

 やはり人の気配がない。短い廊下を抜けると、八畳ほどの部屋がある。ベッドと、机だけがある、シンプルな部屋。壁には神庭藝術高校のセーラー服。 かわいらしい、兎と亀のぬいぐるみ。 足の速い兎に、間抜けで鈍い亀。

 二人で選んだ思い出の品だった。


「高城ちゃん」


 だが、そこには生活の匂いがあった。真昼の匂い。控えめな、香水の匂い。流星はその匂いが嫌いじゃない。だが、無人だ。

 窓が開いている。風でカーテンがはためき、外の光がちらちらと部屋に入り込んでいる。


 机の上の時計は、十七時三十三分。 高嶺が指定した時間は、 十七時三十分だった。つまり彼女はすでに、三分遅刻している。


 流星は無言のまま、机の前に立つ。

 机の上には、写真立てと、分厚いノート。

 写真立ての中では、二人の子供が笑っている。 五、六歳の少女が、お互いの腕に嬉しそうに抱きついている。

 幼い頃の、高城と流星の写真だ。こんなものをまだ、彼女はとっていたのかと、流星は思う。

 机の上のノートを開く。中には手書きの文字が並ぶ。 それが高嶺の文字なのか、違うのか、一見しただけではわからない。


 だが、そこに並んでいるのは、ある計画についての情報だった。そして途中のコメントに、こんなことが書かれていた。

 もう、こんな体になっちゃったら、流星には、会えない。


「メイドイン・ヘブン計画」


分厚いノートの前半部分。 まだ かすかに文字に幼さが残るころの部分を読見始める。


『全部、自作自演だった』

・三つの異世界型戦術機による策謀。


『空間を司る機械仕掛けの神・白銀とフェネクス』

『重力を操作する機械仕掛けの神・黒鐵とバンシィ』

『全てを備える完成の機械仕掛けの神・鋼とユニコーン』を用意。


『バンシィ』がイェーガー女学園を乗っ取り、独立治安維持部隊を設立してデストロイヤー討滅を理由に衛士で民間人虐殺を隠蔽。


フェネクスがCAGEを焚き付けて、各地で紛争を起こし、血の紋を刻む。更にフェネクスを敵とすることで居場所な不明のG.E.H.E.N.A幹部の会議でハッキングにより居場所を割り出して支配下に置く。


アストラ級デストロイヤーの持つ大量の魔力と、日本国民の生命を国土錬成陣の上で錬成して『真理の扉』を開き、賢者の石(エネルギー)へ変換する。


『メイドイン・ヘブン計画』の実行。詳細は……。


 ところで、叶星は顔を上げた。

 壁掛け時計が示す時刻は、もう、十九時を過ぎていた。 部屋はもう暗い。日が落ちたのだ。ノートの文字が、ほとんど読めなくなる。


「遅刻ね、高城ちゃん」


 と、流星は、うめくように呟く。

 ノートを持ってじっと動かない。

 今回の凶行に手を出したのは、自分の欲望のためじゃなかった。彼女は自ら望んでこの人殺しを始めたわけではなかった。どうしようもない理由で、彼女が追い詰められていく様が、ノートには書かれていた。

 背後で、かすかな気配がする。 揺れるカーテンの向こう。

 女のシルエットがある。


「高城ちゃん?」


 流星が聞くと、


「うん」


 という、彼女の事がある。


「ずっとそこに立ってたの?」

「ううん。いまきたところ」

「なら、ひどい遅刻よ」


 それに高城は答えない。

 流星は高城のほうを見つめ、それから、戦術機が入っている背中に感覚を移す。

 流星は高城に問いかける。


「それとももしかして、今日、ここで私と会う約束をしていたことを、知らなかったとか?」


 もしそうなら、カーテンの向こうにいるのは宮川高城じゃない。


 ラプラスの悪魔だ。

 彼女を乗っ取った、狂気。

 戦術機の柄に手をかける。

 もう、いつでも抜ける。

 高城が笑う。



「あはは だったら、どうするのかしら、殺す?」


 流星は、答えた。


「殺してくれと、高城ちゃんは言った」

「だから、殺す? あなたにそれができる?」


 悪魔だった。

 狂気に汚染されたラプラスの悪魔がそこにいる。


「高城ちゃんはもう、いないの?」


 理由が聞くと、彼女はまた、笑う。


「いる。私が宮川高城」

「貴方は高城ちゃんじゃない」

「宮川高城だよ。ほら、髪も、胸も、足も」

「貴方は高城ちゃんじゃない」


 だが、彼女は笑う。

 明るく笑う。


「あはははははははははは。 ひどいわね。じゃあ、私はなに? 私を何だと流星は定義するかしら? 私、流星をずっと待ってた。あなたが助けにきてくれるのを、ずっと待って た。抱いて欲しいって思って。あなたに強く抱いて欲しいって思って」

「黙って」

「流星、抱いてよ、私を」

「黙って!!」

と、流星は怒鳴って、カーテンを開いた。 ベランダには、セーラー服姿の高城が立っていた。

 彼女は笑ってなかった。

 まるで笑ってなかった。

 目に涙が溜まっている。

 流星を見た瞬間、こらえきれなくなったように彼女の顔が、くしゃくしゃに歪む。 目から涙が溢れ、怯えたように一歩下がる。そして、逃げようとする。


 高城はとっさにその、彼女の腕をつかんでしまう。もしも彼女がこちらを殺す気な ら、敵なら、ラプラスの悪魔なら、たぶん、それで終わりだった。殺されるだろう。だが気にせず、流星は彼女の腕をつかんで引き寄せ、胸に抱いた。

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