犬③

「命令だよ。会って説得するか、殺せ」

「嫌だと言ったら?」

「僕は命令だと言った筈だよ」


 が、そう言う。

 流星はもう一度、端末を見つめる。 それから、聞く。


「一つ聞かせて」

「なんだい?」

「フェネクスと貴方は、どっちが強かった?」


 するとリボンズ藍はあっさり答えた。


「フェネクスだよ」

「……」

「フェネクスは悪辣だった。そして他人の痛みがわからない存在は、組織を率いるべきじゃな い」


 一葉はリボンズ藍を見て、笑う。


「じゃあ、貴方は痛みがわかるとでも?」

「あれと比べればね。だから、君の気持ちは痛いほどわかるよ、一葉、流星。 地べたではいつくばる気持ちはわかる。辛いよね。我慢ならないほどに」

「思ってもないことを」


 と、流星はため息をつく。 端末見つめる。高城のメールアドレスを見つめる。

 このメールアドレスや、リボンズ藍がもらったという高城からのメールの内容が本物なのかは、いまだわからない。一葉や綾波みぞれ、今流星を揺さぶるための嘘の可能性は十分にある。 だが、それでも事実なら確かに宮川高城はバケモノだ。

 リボンズ藍が言う。


「……じゃあ、始めようか。 彼女にメッセージを送ってくれ」

「……言っておくけど、私と高嶺ちゃんの関係に期待しても」

「いいからメッセージ」


 リボンズ藍が命じる。

 流星はそれに、指を動かす。

 文面は『私よ、今流星。返事をちょうだい』だけ。


「G.E.H.E.N.Aとイェーガーは君達の敵じゃない」 「敵じゃないなら、裏切らないでしょ」


 送信を押す。

 返事はない。

 流星は顔を上げ、リボンズ藍を見つめて、言った。


「満足?」


 リボンズ藍は静かにうなずく。


「接触があったら、すぐに報告してね。 そして宮川高城には、敵を間違えるな、と、伝えてほしいね。それに気づかせるのは、君の役目だ、今流星。僕の下で、君達があの壊れたあの迷惑な恋愛中毒者を制御して」


 と、リボンズ藍はそう言った。流星が端末をもう一度見つめ、ポケットに戻した。


「……話は以上?」


 と聞くと、リボンズ藍はうなずいた。


「うん。帰っていいよ」


 綾波みぞれがこちらを見上げる。視線は合わせない。 彼女がなにを考えているかはわからないが、目を合わすのは危険だった。リボンズ藍はほんの些細な挙動も見逃さない。

 流星は部屋を出ようとする。だがそこで、端末が鳴る。流星の端末だ。部屋にいた人間全員の視線が、端末へと集まる。


 流星は端末を取り出す。コールは見知らぬ番号からだった。


「宮川高城?」


 リボンズ藍が聞いてくる。

 流星は肩をすくめる。


「セールスの迷惑電話かも」

「出て」


 出ない、という選択肢は、なかった。 端末のコールに出る。すると端末の向こうから声がする。

 透き通った女の声。


『誰?』

「こっちのセリフなんだけど」


 だが、それでお互いがお互いを認識した。電話の相手はやはり宮川高城だった。

 彼女は楽しげに言った。


『あら、生きてたの』

「死ぬの想定済み……? 勝手に殺さないでよ、高城ちゃん。それに、何故、イェーガーから渡された専用の端末の番号を知っているの?」

『好きだからよ』

「私も好きだけどアドレスを見破る力はないなぁ」

「あはは」


  彼女は楽しそうに笑う。流星と話せることを、本当に喜んでいるように笑う


『で、綾波みぞれは生きてるの?』

「横にいるわ」

『死体?』

「いいや、生身で生きてる」

『代わって』

「おすすめできない」

『側にリボンズ藍がいるから? それとも盗聴されてるから? 心配をしてくれて、ありがとう。 相変わらず優しいね、流星。でも大丈夫だから、代わって』


 流星は耳から端末を離して、 顔を上げる。


「綾波みぞれちゃんに代われと言ってる」


 リボンズ藍が少し考えるような表情になってから、言う。


「スピーカーフォンで」


 流星は、スピーカーボタンを押す。 すると端末から声が響き始める。


『みぞれさん、大丈夫?』


 それに綾波みぞれが、半眼で端末を見つめながら、笑って答える。


「その大丈夫は、どのへんについての大丈夫でしょう」

『ん〜、なんとなくな感じの。で、どうなの?』


 するとしだけ不満げに唇をとがらせて、綾波みぞれが言った。


「まあ、予想していたであろう通り、大丈夫でしたけど……絶体絶命貞操の危機はありました」

『あはは、リボンズ藍はレズでハードプレイ大好きだった?』

「もぉ、全然心配してないじゃないですかぁ。 メール見ましたよ。どうぞお好きにって書いてありました」

「あはは。書いたね。傷ついた?」

「いいえ。 他にやりようがなかったのもわかりますし、拷問もされませんでした」

『でしょうね。リボンズ藍というか、シンギュラリティ戦術機の特徴として効率の悪い結果がでないことはしないから。だから、弱いんだけど。ま、無事でよかった。 ところでこれ、スピーカーフォン?』


 が、綾波みぞれ首を振る。


「はい」

『聞いてるのは?』

「金色一葉さん、今流星さん、リボンズ藍さん、あともう一人という構成です」

『ふーん、じゃあ、G.E.H.E.N.A上層部はまだ出てきてない?』


 するとそれに、リボンズ藍が口を開いた。


「上はこの件が君の仕業ということを知らない」

『あ、リボンズ藍ことバンシィさん、こんにちは。お久しぶりです』

「茶番はこのへんにしよう。君は人類を裏切って失踪した。君のせいでもう、同胞が何人も死んでいる。いったい、これはなんのためだい? なぜ君は失踪した?」

『あはは、残念ながら私は嘘つきと交わす言葉は持っていないの』

「なんの話だ? 僕は嘘なんて……」

『G.E.H.E.N.A上層部が私の失踪をご存じない?  あれほど衛士研究にご執心だったG.E.H.E.N.A上層部が?』

「事実だよ」

『ふ、ふふふふふ……それで? G.E.H.E.N.A上層部は大喜びでしょうか? 衛士の次の可能性を体現した』

「だから上層部は知らない」

『うそうそ。上層部に伝えてください。 私は本当は、人類を裏切りたくなかったと。 ですがシンギュラリティ・セカンド、リボンズ藍ことバンシィの嫉妬によって罠にはめられ、人類の敵にさせられたのだと』


 リボンズ藍の表情が、ほんの少しだけ厳しくなる。だが宮川高城は止まらない。


『リボンズ藍さんはデストロイヤーと結んで、G.E.H.E.N.Aを売ろうとしている、と。私は人類を裏切ってはおりません』


 だがリボンズ藍はそれに、言った。


「そんな戯言は、誰も信じないよ、宮川高城」

『そうでしょうか? 世間の私への信頼は、リボンズ藍さんに対するものよりも大きかったように思いますが。構造としても、力の弱い者が、強い者に嫉妬する、というほうが理解しやすいでしょう? さて、私とリボンズ藍さん、どちらが強かったでしょう。事実は残酷です。 フェネクスの方が強かったと自白している。つまり私はあなたに、嫉妬することはない。ということは、つまり?』

「宮川高城、もう黙れ」

『あともう一つ。リボンズ藍さんはいま、大きなミスを犯している。この話題が出たときに、 電話はすぐに切るべきだった。切らなかった理由は……逆探知ですか?  確かに時間を稼げば私の居場所はわかるでしょう。隠してませんし』


 するとそれに、リボンズ藍はにやりと笑った。


「いや、もう見つけたよ、宮川高城。 対衛士の特務部隊が」


 しかし遮って宮川高城が言った。


『それなら全員いま、殺したわ。あ、ごめんなさい。リボンズ藍バンシィさんは、同胞の死を悲しむんでしたね。でもこれは同胞でし ょうか? デストロイヤーと手を結んだ佐々木藍の部下は、本当に人類の同胞と呼べる存在なのでしょうか?』


 とそこで、部屋の扉が開く。

 部下が叫ぶ。


「世界中継でリボンズ藍と宮川高城との会話が放送されています!」


 リボンズ藍がひどく、冷たい瞳でその部下のほうを見る。

 一葉が振り返ると、扉の隅に、小さな戦術機が突き刺さっている。音の侵入を抑制するための戦術機だ。それによってこの部屋は、外からの放送が聞こえなくなるように、あらかじめ罠が張られていたのだ。

 宮川高城の、罠が。

 いつ刺したのかはわからない。もしかしたら、綾波みぞれが捕まる前の可能性すらある。 完全にいま、彼女の掌の上に彼らは載っていた。裏切るとか、裏切らないとか、そんなレベルではなかっ た。

 バケモノの掌の上で、無理矢理踊らされている。

 宮川高城が続ける。


『これは本当に恐ろしい話です。いったい人類の中には、何人 G.E.H.E.N.Aからデストロイヤーを支援するよう命令を受けたスパイが紛れ込んでいるのでしょう』

「……端末の通信を切って、今流星。今回は僕の負けだね」


 リボンズ藍が負けを認める。

 だが宮川高城は止まらない。


『そしてまた、悲劇は起こります。 訓練校の生徒たちをたくさん失った、悲劇が。リボンズ藍、あなたのような裏切り者がこのイェーガーやG.E.H.E.N.Aの権力者である限り......』


 そこでリボンズ藍が、今流星から端末を奪う。 スピーカーをオフにして耳に当てるが、意味はない。扉の外から、世界中のスピーカーを通して、声が響いてくるのだから。

 リボンズ藍が言った。


「君は壊れてるよ、宮川高城。 君の行為は、無差別な死をまき散らしている」


 そう。

 宮川高城はそれをやろうとしている。もしも内部抗争が起きれば組織の中で、さらに大量の人間が死ぬだろう。

 宮川高城が答える。


『裏切り者が、なにを言いますか』

「僕はこれを許さない。人類のために戦う衛士や人間たちを、平然と、無差別に殺そうとする君の行為を許さない。僕は同胞を守る」

『あは、なにを言ってるんですか。これはあなたが招いた事態でしょう、リボンズ藍さん。私に恋していた貴方は、権力を盾に私を犯そうとして、叶わなかった恨みからあなたは暴走……』


そこで、リボンズ藍は、はぁっと息を吐いてから、宮川高城の声が聞こえなくな くらい大きな声で言った。


「幹部会をやる。議題は人類の裏切り者、宮川高城の処刑についてだ」


 そしてリボンズ藍は、端末の通信を切った。

 急に周囲が静かになる。

 リボンズ藍がこちらを見る。


「……で、君達はこれを、知ってたのか?」


 そう問われ、一葉は言う。


「これとは?」

「いまの展開だ」

「知ってたと思うか?」


 リボンズ藍は自縮するように笑った。


「思わない。真っ先に疑われる君や、綾波みぞれに彼女は情報を渡さないだろう。きっとこれは、彼女独りでやってる。 G.E.H.E.N.AとCAGEという人類の二大陣営をたった独りで彼女は相手にし始めた。異常だ。ちょっと、恐怖に震えるよ」


 それには一葉も流星も同感だった。いったい、いつから、どうやって、どういう思考回路で、こんなことを高城は仕込んだのか。


 なにせ彼女が相手にしているのは、この国で一位と二位の企業と国連組織なのだ。 その互いを争わせつつ、弱みを握り、 内部崩壊させていく。

 ただの、一個人が。

 一葉は口を開いた。


「貴方が宮川高城を犯そうとしたっていうのは.……」


 それに、リボンズ藍はうんざりしたような声で言った。


「それを信じるのか」

「信じる者は、いる」

「ああ、そうだな、いるだろう。全く、これだから人間は」


 リボンズ藍は小さく言う。 うろたえた様子はない。ただ、なに考えるように少し沈黙してから、


「この程度では、G.E.H.E.N.Aは弱りははしない」

「だけど、全ての組織が聞いていた筈です。G.E.H.E.N.Aの中にある派閥争いと、弱みを見つけたはずだ。そして末端の信徒たちは、揺らぐ。そこにつけ込んで、反G.E.H.E.N.Aによって、たぶん、人が死ぬ。 仲間が大勢死ぬ」


 仲間と言った。

 リボンズ藍は仲間という言葉を選んだ。

 本心なのか、それとも、パフォーマンスなのか。

 リボンズ藍がこちらを見て、言う。


「なぁ、金色一葉、今流星」

「なんだ」

「君達は、なにを目的に生きている? 君達の野心はなんだ? G.E.H.E.N.Aを潰すことか? いままで自分たちを虐げてきたG.E.H.E.N.Aを壊し、自分たちが上に 立つか? だが、そのための犠牲は、どれくらいまで許容するつもりだ? 君たちは善い衛士だ。一般人も助けてきた。綾波みぞれの死も許せなかった。そんな奴が、今の、宮川高城と同じような夢が見られるのか?」


 そんなことを、リボンズ藍は聞いてくる。 そしてその問いの答えは出ない。 自分は宮川高城になれるのか?

 バケモノになれるのか?

 誰かがこう言った。


『宮川高城と同じ選択をするなら、自分たちが彼女を救う必要はないと思うんだけど』


 だが、自分の野心は、宮川高城を救うことではない。

 なら、どうするべきなのか?

 自分はなにを望んでいるのか?


「なにが言いたいの?」


 今流星が聞くと、リボンズ藍は答えた


「僕は君たちを信用する。君たちはがバケモノじゃなく、人間側だからだ。だから金色一葉、今流星、僕の仲間になれ」


 リボンズ藍は手を差し伸べる。


「そうすれば、命を救えるぞ。そして一緒に、最小の犠牲でこの問題に対処する」


そう言って、手を差し出してきたリボンズ藍の手を二人は見る。おそらく、リボンズ藍には仲間が必要なのだ。信頼できる仲間がどこの息がかかっていない仲間。宮川高城と繋がっていない仲間。目の前の人間の死を許せないような、利用しやすい仲間が。

 つまり、瓦解は始まった。

 リボンズ藍は追い詰められた。それは理想論を語る金色一葉を頼らなければならないほどに。


 金色一葉から差し出された手。

 それをぼんやりと見つめている綾波みぞれの瞳。

 金色一葉と今流星はその、手をつかまずに、お互いに目を合わせて、そして一葉が言った。


「……拒んでもどうせ、無駄なんでしょう?」


 するとリボンズ藍は、笑う。そして、


「そうだ。よし。 宮川高嶺を殺すよ」


 と、言った。だがもう、それで終わる話じゃなかった。それはリボンズ藍もわかっているはずだ。内部抗争の火種は生まれた。

 CAGEとの戦争もある。

 斎藤阿頼耶の勢力のこともある。

 いまは八月二十一日。

 世界が破滅するといわれているクリスマスまで、あと、たった四月だった。

 今流星は呟く。


「ちょっと、これは忙しすぎるでしょ高城ちゃん」


  誰にも聞こえないくらいのかすかな声で、今流星はそう呟いた。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る