異常事態⑦

 ─────光の帯が天蓋を貫いている。

 あたかも、地獄に垂れた蜘蛛の糸。闇を一直線に貫く細い輝きを、私は身じろぎ一つせず見詰めていた。

 声も手ももう届かない。

 全ては光の奔流に飲み込まれて消えてしまった。

 不思議だ。声も顔も喜怒哀楽の表情も抱き締めた時の感触も、彼女達の全てを思い出せるというのに、もう会う事は無いだなんて。何かの悪い冗談と言われたら、思わず信じ込んでしまいそうだ。

 胸に酷い疼痛が吹き荒れる。私を引き止めんとした嗚咽混じりの声が、いつまでも耳朶から離れない。

 表情こそ見ていないが、きっと彼女達は泣いていたのだろう。別離の直前、振り返らなくて良かったと心の底から思った。

 きっと、その顔を見てしまったら踏み出せない。

 動悸する心臓を落ち着かせるため、深く深呼吸をする。

 微かに震える指先を無理矢理抑えつけて、光が完全に収束したのを見届けてから再び『地獄』へ向き直った。


「単刀直入に言わせてもらうと、犯人は貴方だよ。秦祀」

「どういうこと?」


 真昼は祀の隣に並ぶと、つい先程まで祀が見ていた場所に視線を向けた。

 当然ながら、そこには何も無い。

 虚ろな闇が首をもたげているだけだ。

 確かな意思と覚悟をもって、告げる。

 それは己への鼓舞でもあった。

 

「横浜衛士訓練校以外の断絶、外部を知る一ノ瀬真昼への協力、昔と変わらないという発言、私と同室で知っていることの情報、二つのリング、南極に生存圏なんてない、指輪が届いた日から突然この日常は始まった、記憶は欠落していくのに誰もその心配はしていない、そもそも横浜衛士訓練校が、あの甘ちゃんの横浜衛士訓練校が、一ノ瀬真昼に、衛士に拘束なんてつけるわけがない、夕立時雨の不在も疑問。そして私と同等の存在感。そして、ラプラスの連鎖覚醒」

「…………」

「貴方は、一ノ瀬真昼の影響でラプラスに連鎖覚醒した秦祀の可能性。それが貴方であり、この滅びた世界の唯一の生存者だ」

 

自嘲気味に。しかし意志力を込めた声音でそう答える。

秦祀は「そっか」、と笑って頷いた。


「随分と回りくどい言い回しだけど要は、友達パワーで覚醒した大いなる秦祀で、他の世界のラプラスの力を奪い取って、既に終わりを迎えた世界を生きながらえさせているって事ね? 貴方の解答は」

「少々有り体に過ぎる気もするけど、……そんな所」

「それで、どうするの? 私を殺す?」

「それしか元の世界に戻る手段がないのなら」

「……意外、貴方は強いのね。別の世界の貴方はそんな選択はしなかったわ」

「私だけじゃない。つまり色々な世界の一ノ瀬真昼を集めて収集してラプラスの因果を強くしている。つまり私たちは経験値素材扱いなんだね、祀ちゃん」

「ごめんね。でも、私はこの世界を存続させたい。滅びの運命を改変したい。不可能を可能な運命に改変したい」


 世界がひび割れる。

 荒涼とした大空洞の中を進んでいく。

 『前の世界の真昼』の戦闘による余波のためか。所々壁が崩れ落ち、凹凸のある地面は無惨に捲れ上がっている。

 相変わらず光は届かない。

 閉じた世界はあたかも牢獄のようで、感覚を麻痺させる。

 ──────そうして、辿り着いた。

 大きく隆起した丘陵の上。

 そこに、深い影を纏った奴は佇んでいた。


「……諦めて、たまるか」

 

 真昼に向けて、祀は憎悪を滲ませた白濁の双眸を真昼に向けて。


「何度妨害されようと、変わらない。私は私という存在が朽ち果てるまで何度でも、何度でも!」


 声帯さえも壊れたのか。砂鉄を擦り合わせるかのような不快な音が、耳朶に噛み付いてくる。

 変貌はそれだけじゃなかった。

 瞳は腐り落ちたかのように白濁し、四肢の形が出来損ないの粘土細工のように歪んでいる。

 真昼は直ぐに、その理由に行きあたった。

 四肢を斬り落とされた秦祀はそれを補うために『デストロイヤー細胞』を用いたのだ。

 ならばあの異様なフォルムも頷ける。

 だが、あれの本質はわからないままだ。

 ああして身に宿す以上、生半可な副作用では済まない。奴の身体はデストロイヤーに代えた四肢を中心に、無数の蟲に全身を食い尽くされるかのような激痛に苛まれているだろう。

 砕けんばかりに歯を食いしばり、地に這いつくばっているその姿からもそれはうかがえた。

 だが、その眼に宿る憎悪は消えていない。

 寧ろその痛みによって、増幅している。


「─────悪いけど、それは叶わない。貴方の旅はここで終わりだ」

 

 真昼はその姿を意に介さず、冷然とした態度で告げる。

 再度、私に対して憎悪が向けられた。

 その憎悪を、真昼は真正面から視線で斬り伏せる。

 

「もう言葉を交わす必要もない。私達がこうして相対している理由は単純明快だ。────互いに、互いを認められない」

 

 祀の憎悪の瞳が僅かに静まった。

 虚を突かれたような表情で固まる。だがその硬直も一瞬だった。先程よりは剣呑さの取れた声音で、奴は訥々と口を開く。

 

「私はみんなを救う。大切な人たちみんなが笑って過ごせる世界を作る。それをしなかった貴方を、そしてそれを阻まんとする貴方を、認められない」

「私は自分の願いを叶える。その選択をしなかった祀ちゃんを、そして大切な人のために世界そのものを贄にしようとした貴方を、許す事が出来ない」

 

 それがお互いの意思だった。

 行儀のいい言葉なんて、もうこれ以上交わす必要は無い。

 私は私の意志を貫き通し奴は奴の意志を貫き通す。

 互いの願いを、互いが傲岸不遜に蹴落とさんとする。

 ───ただそれだけの、自分勝手な戦い。


「止められるとでも? 何度貴方を食らって、ラプラスを手に入れてきたと思っているの。53万人分のラプラスの力、因果の力に、勝てるとでも?」

「こちらにも色々と事情があるんだからね。元の世界に戻れば、貴方のラプラスで破壊された私の世界は元に戻る。シノアちゃんの足は再生し、横浜衛士訓練校以外の世界も元に戻る」

 

 戦術機ユニコーンを構え、真昼は剣のように鋭い視線でもって奴を見据えた。

 もはや和解は有り得ない。

 それは奴も承知しているだろう。

 その証拠に、奴の腕が蠢いた。安定を欠いていた泥腕が細くなっていき、やがて人間の腕の形へと変化する。

 

「私が死なせた。今までみんなを独りぼっちにした分、私がみんなを幸せにしてやるって決めたの。

──────だから、私は進む。みんなの人生が、幸せな時間が、あんな冷たい場所で終わって良い筈がない」

 

 白濁とした瞳が、僅かに光を取り戻す。

 ──────動いたのは、全くの同時。

 合図らしい合図は無かった。

 ただ、同じタイミングで身体が動いたのだ。

 真昼は前方に。踏み込んだ大地に穴が穿たれた。その速度は、先刻までの己を遥かに超える。

 湾曲し溶けていく視界の中、祀の姿だけに瞳を絞った。

 対して、奴は後方に。

 疾風の如き速度で踏み込んでくる梨璃を瞳に入れながら、いっそ無機質とさえ言っていい程冷静に後ろへ退る。

 ──────瞬間。世界が壊れた。


「終わりを否定する! こんな惨めな敗北が! この秦祀の未来なんて認めない!!」


 終わりを拒み続けた、愚かな旅人物語。

 愛する人を失う未来に怯えていた。

 焼きついて離れなくて、遠い昔の約束。

 憧れて、待ち焦がれて、やっと目にした楽園。

 踏み荒らして、ぶち壊した。もう跡形もないほど。

 私たちが絆と呼んだ細い糸

 泣き疲れて、崩れ落ちて、やっと手にした結末。


「だから他の可能性を否定して! それで幸せだって言うの!?」


 憂鬱だった。いつも目覚めると同じ天井があって。

 現実だって思い知らされる。ここには出口がない。

 もう運命が決まってるなら、選べなかった未来は想像しないと誓ったはずなのに絶望のほとり。懐かしい人の名を叫ぶ。それは遠雷のように。

 まだ闘ってると、嵐の向こう側にいると、あなただけに届けばいい。

 沈黙を破り、障壁を越えて、眩しすぎる向こう側へ 走れ。

 雨の洗礼とぬかるんだ道、逆光浴びて、泥だらけになれ。


「否定するさ! 所詮はラプラスで覆る程度の未来! それを集めれば例え本物ではなくとも、力さえあれば可能だと言うのだよ!」


 私はここにいる。

 あなたに駆け寄って。もうすぐ指が触れる。そして選びたかった未来を

 絶望のほとり。懐かしい人の名を叫ぶ。それは遠雷のように

 まだ闘ってると嵐の向こう側にいると あなただけに届けばいい。


「本物とか、偽物とか! 53万も集めて覆らない未来を終わりというの! 終わったんだよ! 祀ちゃんの未来は!」


 怒りと嘆きは瞬く間に人から人へと手渡され、いもしない敵を作りあげては 戦えと焚きつけるの。

 走り出すその理由がたとえどんなにくだらなくても

 熱く速く響く鼓動。

 絶対的な正義とか揺るぎない掟を。

 運命とみんなが呼ぶ偶然の連なりを。

 いったいどれだけ信じ続ければいいんだろう。

 もうとっくに裏切られた気もしなくないけど

 限りなく自由に近い不自由へと向かってる未来。

 選ぶことを諦めたらもう引き返せない。

 誰もが許しあう世界。

 なんて綺麗事かもしれない


「だとしても! 終わりだとしても! 諦められない未来があるんだ!」


 それでもまだ

 走り出すその理由がたとえどんなにくだらなくても

 終わる景色を見て

 また置いていくと知る

 この出会い、別れと、絆も

 訪れる未来が帰り着く場所なのか。

 わからないから進むのでしょう。

 閉じたままで視えた光。開くことで見える闇をとこしえにまで刻め、たった一つの想い。


「終わらせてあげる! その妄執を! 私が!」


 形に残らないとしても、悲しいことならば、捨ててしまいましょう。楽しいことなら抱えましょう

 「まだ人であるならば」なんて図々しいけど。

 鍵をかけて

 閉じこもっているの

 数え出して。

 痛みの数

 眠るまでずっと。

 黒い鳥が飛んで見えた。


「人から奪って自慢して! だから滅んだ未来にしがみつく! 潔くここで終われ!!」


 凪いだ日々がまた。

 崩れ落ちて行くとしても。

 鍵を壊して。

 誰か繋がっているの。

 数え出して。

 視界阻み、騙る。

 偽物打ち壊せ。


「終われない! 絶望の未来で終われない!! 私は、ここで!!」


 黒い渦が巻いて見えた。

 小さい苦しみだけ消えてた。

 言葉にできなかったから。

 今、救いを。

失くしてばかりだって、ずっと思っていたから、代わりを見つけた時嬉しいとそう思えたんだ。


「正しくなくて良い!!  醜くっても良い!! それでも! 誰かに笑ってほしい未来が欲しい!! こんな世界に一人残されて!!」


正しいこと、間違えたこと。

まだ決まってやしないでしょう。

二つに一つ

響いたら

空を突き抜けるまで

二つで一つ

結んだら

光を束ねるだけ

選んだこの道が

行き止まりでも貫く。


「諦めない、負けない、立ち向う、まるで鏡でも見るようだよ! 祀ちゃん!」


心だけが逸って生きる様を語った。

体だけが残って死に様を失っていた。

駈け抜けてくその命の先には「儚さが待つ」などまだ終わってやしないでしょう。

そう、始まる前から

きっと、決まっていたんだ。

終わりを知って、それでも熱く。

猛き者よ集う我らは神さえも打ち砕く光。


「だったからここで私に喰われてよ!! その力を喰れば私は更に強くなれる! 絶望の因果を粉砕できる!! だから落ちろ!!」


夢と 幻と

変わりやしないのに

「今」を 駆け抜けた日々を

忘れられるはずがないだろう


燃やせ 心を

焦がせ 情熱を

全て此処に集めて

灰になっても


伸ばせ その腕を

溶かせ その叫びを

命果てた先まで

続く世界へと

轟け


そう、終わる間際さえ。

きっと、仕方がないなんて。

呆気ないもので。

それでも共に。


勇む者よ

導け我らは

悪魔さえ否定する炎

他人も 自分も

解りやしないけど

本当は可能性の日々を諦めたわけじゃないだろう。


「私にも、私の世界があるんだ! 時雨お姉様とシノアちゃんが待っているんだ!! 私は世界を救う!!」


放て 言葉を

刻め 想いを

全て此処に集めて

焼き尽くしても


凝らせ、その両目を

探せ、その未来を

いつか過去になるまで

灯す、光を

夢と 幻と

変わりやしないけど

「今」を 駆け抜ける日々を

失って良いはずがないだろう。


「取り戻したい未来があるんだ! 私だって!」


放て、言葉を

刻め、想いを

全て此処に集めて、焼き尽くしても

燃やせ 心を

焦がせ 情熱を

全て此処に集めて

灰になっても

伸ばせ、その腕を

溶かせ、その叫びを

命果てた先まで

夢幻でも

遥かな未来まで

続く世界へと轟け。


「このぉっ」

「くぅっ」


伸ばせ その腕を

溶かせ その叫びを

教えて 教えて

まだ赦されるのなら

遠くへ 遠くへ

照らして 道標

燃え尽きた灰のような

色の雲が流れる

降らぬ雨を待つ人に

届きますように


鏡を覗いたら溢れ出す

確かな想い

正しさだけ頼りに

命は輝く。


「こんのっ! 頑固者!!」


隙間に潜めた声は

内へ内へ ただ響くだけ

微かに震えた手から

綾なすのは白亜の海か

蕾むように 眠るように

証明さえ儘ならぬと知って

巡る時 名も無き迷い星はまた

陽だまりをただ求めて。


「貴方に言われたくない!! この意地っ張り!!」


祈るように 抗うように

黎明さえ届かぬ底から

独りきり 昏い霧 誰かが呼ぶ声

陽だまりが見えた


地を這いずって

泥にまみれて

どこに進めば良いのか

この血に塗れた手

何を抱えて

何を零して来たのか

わからない わからないまま

一人折れたって 黙ったままだって

明日は来やしないだろう


「殺してきたんでしょう! 貴方も! 見知らぬ他人を犠牲にして!! 何が世界の未来だ!!」


千切れた心で

夜空を見上げ

悲しみのいろはを知った

届かない 届かないまま

失ったって 無くしてしまったって

歩いて行くしかないだろう

ああ 嵐に打たれて 波に飲まれて

嘆いたって 立ち尽くしたって

日は昇りやしないだろう


何も持たない孤立無援

越えられないあの日の夜

海神だけの比翼連理

結末は我らのもの


「大切な人を守りたい! だから私は終わらない! だから、私は一歩先をいく!」


志だけの守護者

辿り着けない理想郷

もう戻れない後悔の日

征く船は沈みはしない

明ける夜はまだ誰も知らない


駆けて行く 背を見送る

遥か遠く 霞んで消える

泣けないまま 大人になる

歩みもいつか 止めてしまう


ただ生まれて ただ失って

それでもまだ 続いている


星の光さえ 届かないとしても

君の手を取る

昨日は彼方 明日は拓かれた

いつかその先へ


離れて行く、影が伸びる

黒く滲む、私を呼んでいる

嘆いても、戻れないなら

歩みはいつか、もう一度

正しさだって、間違いだって

等しくただ、続いて行く

ああ、私の光。


「終わりだよ」


常世より隔離世を

陽光より月光を

言葉より理由を

本当を教えて

星の光さえ 届かないとしても

君の手を取る

昨日は彼方 明日は拓かれた

いつかわかるでしょう

きっとその先へ。その先へ

 

「祀ちゃん、さようなら」

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