異常事態⑥
────この世に『地獄』があるとするのなら、まさにこの場所がその名を冠するのに相応しいだろう。
空の光を遮る天蓋。それを支えるようにぐるりと広がる、光沢のある奇妙な色の岩肌。鍾乳洞と呼ばれる、自然が長い時をかけて造りあげた巨大な洞窟が、視界いっぱいに展開される。
その規模たるや凄まじく、直径3キロは下るまい。
洞窟というよりも、荒涼とした大地そのものだった。
あまりにも巨大な円蓋ドーム型の大空洞は、無機質でありながらも『生』の色で溢れている。
────まるで、生物の胎内。
龍洞の名を冠する通り、ここは生暖かい生気に満ちた龍の臟はらわたその物だった。
人の願いも、生命も、苦悩も、死も、何もかもが泥のように溶け合い絡み合う地獄の釜。それが、形作られ定められた、この場所の在り方である。
────その『地獄』の最奥に佇む者が、一人。
「·····················」
────その者は原初からして夢幻の如く。
いつからこうして存在しているのか。
どうしてここに存在しているのか。
自分は、どこの誰なのか。
分からない。分からない。分からない。
分かるのは、ただ止めてはならない……いう強迫観念にも似た衝動だけ。
「·····················」
分からないから吸い続ける。
分からないから求め続ける。
分からないから悩み続ける。
分からない事は怖いから、自分の存在を確立するために自身の骨子を明確にしていく。
怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
覚めてしまうのが怖い。
この『夢』を、『世界』を回し続けなければならない。
消えてしまえばそれで終わり。
既に筋道から外れ、変化してしまった『世界』だ。泡沫うたかたの如く消えるのは道理だろう。
「ああ、けどそれでも──────」
拒絶する。拒絶する。拒絶する。
その滅びを、剪定を、摂理を、『俺/私』は拒絶する。
それを自己中心的だと蔑むか?
構わない。元より、ここはただ一人の『男/女』の祈りから生まれてしまった『世界』だ。
故に、終焉さいごまでこの夢セカイを回し続けるとしよう。
─────そして、『私』は蒐集の果てに思い出した。
「─────」
守りたかった。
守れなかった、大切な彼女の名を。
◆
横浜衛士訓練校以外が壊滅。
高城、夕立時雨はおろかお台場、イェーガーとも連絡は取れず。しかし横浜衛士訓練校の生徒達は当たり前みたいに活動している。
横浜衛士訓練校以外が壊滅しているのが当たり前みたいな様子で。
そんな現状が判明してから十数分が経過した。
──────おかしな事に巻き込まれてしまったものだ、と真昼は手近にあった壁に背中を預けて、溜め息を洩らしながら独りごちる。
こんな状況なのだ。誰だって溜め息の一つや二つぐらいつきたくなるというものだろう。
しかし、だ。原因も黒幕も何もかも分からない現状ではあるが、ここに留まり嘆息しているだけでは何も状況が動いてくれない。それだけは間違いない。間違いないので、『向こう』から話題を振って来ない以上、こちらから出向く必要があるだろう。こんな状況なのだ。私的な感傷に左右されている場合では無い。
「この街の様子を見に行ったんでしょう? 何か掴んだ事はない?」
祀の問いに答えたのは声に隠しきれない緊張を滲ませた真昼だった。
「ここは間違いなく横浜衛士訓練校とその周辺。多少の変化はあるけど些細なもの」
「人の往来もあるでしょう。見た限りでは、特に異状らしきものは無かった、ようね?」
真昼の言葉を引き継ぐようにして、祀はそう続けた。どうやら致命的なまでの破壊痕や、核戦争が起きて動画のように壊滅状態という訳では無く、普通の街として機能しているらしい。となれば拠点となるべき場所が一つや二つ見つかってもおかしくないだろう。
「先ずはしっかりと腰を据えられる場所を探すべきだね。─────さて、私はそろそろ行動を開始するつもりだけど、祀ちゃんはどうするつもり?」
幼稚舎にあったジャングルジムから身体を離して視線を向ける。言葉に詰まった様子の祀だったが、真昼は地面を靴で叩いてその言葉を促そうとする。
「私も、ついていくわ」
「そっか、なら一緒に行こう」
「うん、わかった」
秦祀は、現状唯一『全てを話した人物』であった。
この現状に違和感を持たない人間でありながら、真昼の話を信じた協力者だ。
見ていられず、嘆息しながらそう告げる。すると真昼の答えが意外だったのか、祀が目を丸くしてこちらを見ていた。
「え、い……いいの? 貴方って秘密主義って合うか、暗躍癖というか、単独行動するタイプじゃない」
「良いも何も、元の世界へ帰還するという目的に強力してくれるんだから別段断る理由もないよ。それに話してしまったからには巻き込んでやる」
「うわ! やっぱりいつもの真昼だ! このっ!」
真昼と祀は顔を合わせる。
そして─────おかしそうに笑った。
お互いの言葉に何もおかしい所は無かったはずだが、一体彼女達はどうして笑っているのだろう。本人達も怪訝に思いこそしたが、考えても栓無き事だと判断して先を続けた。
「じゃあ、行きますか」
それだけ言い残して、真昼は前の出口へと歩いて向かう。しかし真昼はふと立ち止まり、後ろを振り返った。思い出したのだ。どこか懐かしいと感じさせるこの公園は確か、ここは祀と共に商店街で買ったたい焼きを食べた場所だったのだと。
何も特別な事じゃない。風化し摩耗しきった記憶は穴だらけで、その時交わした言葉なんて1つも思い出す事が出来ない。だというのに────そこに、有り得ない筈の暖かな幻想を見た。
何の変哲もないベンチ。そこに、まるで本当の兄妹のように仲睦まじく座っている二人の光景を。
きっと、この場所に訪れたから見たのではない。
──────私は今までずっと、夢に見ていたのだ。
既に失われて、亡くしてしまったその願いを。
「…………」
刹那の後には、もう既にその幻想は消えていた。視界に映るのはポツンと独り取り残されたかのように鎮座しているベンチのみ。
それを確認してから踵を返す。
頬を撫でる冬の風が、妙に冷たく感じた。
その後街の人達から情報を集めながら商店街を抜けて、今は閑静な住宅街へと差し掛かっていた。
あまり意識していなかったのだが、俺達がこの世界に来たのは午後のかなり遅い時間だったらしい。
太陽は沈み始め、色は微かに紅へと変じていた。あと3時間もすれば、街は完全に夜の闇に沈む事だろう。
商店街とは打って変わって、住宅街は無人なのではと感じさせる程静寂に包まれていた。
当然、無人という事は無い。
家からは物音を始めとした生活音や談笑する声が聞こえてくるし、時折通行人も見える。
だというのに、今見ている景色はどこか作り物じみていて、絵みたいに薄っぺらかった。
(やはりこの世界はどこかおかしい、何かが頭の中で引っ掛かっている)
正体不明の違和感が胸に蟠っている。
この特異点は何から何まで謎に包まれている。
どうして真昼は突然こんな場所に移動してしまったのか。
「ねぇっ! てば! ねぇってば! ちょっと、聞いてるの!?」
「うん」
呼ばれて、振り返る。
そこには麻真昼の事を睨み付ける祀の姿があった。どうやら思案に耽っていた為呼ばれた事に気が付かなかったらしい。
「すまない、少し考え事をしていてね。それで何かな、お嬢さん」
「何がお嬢さんよ全く。はぁ、今どこに向かってるのか気になったのよ。見当もなくここまで適当に歩いてきたっていう訳じゃないでしょ?」
「そうだね……記憶が正しければ、そろそろ到着する頃合いかな」
少しだけ、運ぶ足が重い。
今から行く場所は、真昼にとって鬼門と言える。
何故ならば────どこかに置き忘れてきた過去を、捨て去ったと思っていた己を自ら拾いに行くのだから。
「ここだ」
そして、その場所の目の前で足を止めた。
先程、商店街で情報収集をしていた時の事だった。
ふと気になり、祀と離れた頃合いを見計らって背の高いマンションの上へと登った。
そこから見た光景から、真昼はここに人間は誰も住んでいないと判断したのだ。
当然ながら、真昼の答えに祀は疑問符を浮かべている。
「中に入って見た方が早いよ、単純だから、たぶんね」
短く告げて、真昼は門扉に手をかける。
──────この感触が懐かしい。
力を込める。かつて当たり前のように開けていた門は、随分と重くなっているように感じた。
もちろん、そんなのは錯覚だ。
物理的な重量は変わらない。
変わっているのは───────
「私自身、という訳ね·················」
ふ、と自嘲するような笑みを刻んでから、手をかけていた門に力を込めて、一息に開け放った。
ぎい、と軋むような音と共に門が開く。
視界に飛び込んできたのは新しい校舎だ。綺麗なお庭に、綺麗な校舎。朽ち果てているという様子は全く見られない。
まるで、映画のフランス宮殿でから飛び出してきたかのよう。
真昼の記憶にある通りの威容を誇っていた。
──────ただ一つの、衛士という存在が誰もいないという例外を除いて。
「人がいない、うん、やっぱり。全部わかったよ」
「どうしたの? 真昼?」
「うん、やっぱり、うん、全部わかったよ。この世界について」
「どういうこと? 説明して?」
「じゃあ、こう言い直そうかな、私は読者に挑戦する。秦祀、この世界の謎について、私は解き明かそう」
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