異常事態②

 真昼の瞳に焔を映した。

 

「…………は?」

 

 湧き上がる黒煙と、くすんだ鉄の匂いが、真昼の鼻孔を貫く。胸にずん、と響くような轟音は鳴りやむことを知らず、突き抜けるような初夏の青空だけが、いつもと同じ顔で真昼の事を見下ろしていた。

 真昼は、コンクリートの上に立っていた。それは真昼にとっては見飽きた日常で、こうして戦いの中へ身を置くことすらも、真昼にとっては至極当然のことだった。真昼の知る全ては、このコンクリートの上だけに存在していた。

 

「……ここ、は?」

 

 真昼は、何かを確かめるようにして、自らの両手へと視線を下ろす。いつのまにか血が滲み、最早感覚すらも消え去ったその手は、けれどいつものように、真昼の意のままに動いていた。

 砲撃の音がどこか遠くに聞こえる。まるで、真昼だけが置き去りにされているようにして、その世界は存在している。そこは誰かが見た灰色の世界で、真昼の知らない世界だった。

 

 そして――証は、灼きつけられる。

 

「あ、がぁ……っ!? う、ぁ……ぐぅ……っ……!」

 

 頭の中をぐちゃぐちゃに掻き回されるような、喉の奥から全てを吐き出すような、そんな全身が粟立つ感覚だった。急激に襲ってきたその感覚に、真昼は崩れるようにして、固い地面にへと体を斃した。

 喚くような響きが聞こえる。誰かの慟哭があなたを貫く。もう二度と手の届かないとこへ行く彼女たちが真昼の心を空白で満たしていく。

 視界が歪む。脳内を、灰色の奔流が駆け巡る。

 そうして導き出された答えは、誰かの記憶の中にあった。

 

「…………おね、え、さま?」

 

 それは、既に海へ消えた名だった。

 

「シノアちゃん……? 愛花ちゃん……!?」

 

 それは、既に炎へ消えた名だった。

 

「……皆、死んだの……? 私が――ラプラスがある私だけが、残っ、て……」

 

 それは、今ここに在る、真昼の名だった。

 

「そんな、ッ! どうして!? お姉様!? みんな!?」

 

 吐き出された叫びに返って来るのは、青いレーザーだった。

 倒れている真昼の身体を掠めてゆく黒い鉄は、真昼の身体を吹き飛ばし、内蔵が揺れる感覚と、全身に千切れるような痛みを感じさせた。

 

「が、はッ……ご、ぼ……」

 

 口から溢れる赤い液体を手でとどめながら、真昼は困惑の中で立ち上がった。それはまるで、定められた末路のような、そんな意志を感じさせた。

 戻ることは許されない。逃れることも、許されない。

 かつての同胞は地獄の底へと帰し、二度と見えることも許されない。

 残ったのはたった一人だけ。いずれ地獄に消える、真昼だけ。

 

 そう、真昼の記憶が――誰かの証が、告げていた。

 

「終わる――の、まさか? 私は、こんな、こんなところで……」

 

 既に頬が破れていることも、視界が既に半分潰れていることも、その記憶は全て知っている。もう彼女たちと会うことが出来ないことも、その先に待つ結末も、全て真昼に刻み込まれている。

 足元に見える血の海は昏きを増し、まるで真昼を誘わんとして、手を伸ばして揺らめいていた。

 

「……私はは、ここで、死ぬ…………今、ここで……」

 

 血の海に映るあなたは、まるでこちらへ手を差し伸べるようで。

 真昼は、ここで尽き果てる――と。

 記憶の中で、あなたはそれを知っていて。

 

「…………いや、だ」

 

 真昼は、それを受け入れ――

 

 

 

「嫌だッ!」

 

 

 

 ――追憶の果て、真昼は運命に抗った。

 

「ラプラス超越駆動・フルブースト!」

 

 叫ぶ言葉と同時に、轟音が真昼を支配する。駆動する戦術機は赤い光を迸らせて、弾丸を発射する。まるで死にかけた鳥の様に、けれどその勢いは光をのようにして、舞う黒煙へと向けられる。

 既に半身は動かず、頭もどこか夢の様にぼうっとしていて、視界もほとんど灰色へと塗り替えられる。ここで戦ったとしても、いずれ沈んでしまう運命なのだろう。

 けれど。

 

「まだだ! まだ終わりなんかじゃない! 私はまだ、ここにいるんだ!」

 

 私の果ては、ここにある。私の望みは、ここで尽きる。

 

「それ、でも! それでも、私はッ!」

 

 ひゅん、と風を切る音が、ひとつ。

 大気を切り裂き真昼の背後に二つの爆発を上げた。

 

「一ノ瀬真昼はまだ、沈まない! たとえ一人でも、誰もいなくても、ここが! この戦い続ける意思こそが、私の魂の場所なの、ッ!」

 

 告げる。一ノ瀬真昼は、未だここに健在なり。


 

「――――、ッ!?」

 

 がばり、と布団を翻す音が、寮の一室で響く。

 窓から差し込む月明かりが、額の汗を映し出す。夜の冷たい風は昂った飛龍の身体へ叩きつけられて、今ここに体があることを実感させた。

 

「はぁ……っ、が……ぁ、あ…………ぅ、ぐぁ、っ……」

 

 胸の鼓動は止むことを知らず、どくん、どくんと体を熱くさせる。胸元の肌着を乱暴に握りしめながら、何度も確かめるように、真昼がもう片方の手のひらへと視線を下ろす。自らの意志どおりに動くそれは、何かに怯えるように小刻みに震えていた。

 

「夢……? いや、違う……夢、なんかじゃない。これ、は――」

 

 ――証。

 忘れられぬようように灼きつけられた、誰かの生きた証であった。

 

「一体、何が……」

 

 理解の追い付いていない頭を押さえつけようとしたところで、真昼はその先に妙な感触を覚えた。

 

「……指輪が二つ?」

 

 それは、常につけている戦術機と契約する指輪であった。自分のはつけている。だけど手の上にある指輪は、意味のないけれど感じたこともない不気味な感触を真昼へと伝えていた。

 

「なんで、こんなところに……」

 

 不可思議な指輪の疑問を振り払うことができなかった。

 真昼は首を傾げたまま。けれどそれに返す者は誰もおらず、ただ頭の中には、さっきまで見ていた夢――否、誰かの証が灼きついていた。

 喪失。孤独。そして、昏い海。

 

「……少し、風でも浴びてこようかな」

 

 ベットから這い出て、夜風の吹く方へ。静まり返った寮の中は、梨璃に一人ということを感じさせる。ぼう、と光を放つ、廊下にいくつも並んだ窓の向こうには、それぞれぼんやりと光る満月が海の上で浮いていた。

 そして、暗闇に隠れた時計は、夜の12時を過ぎた頃を指していた。

 

 月明かりは冷たく、静寂の音は梨璃の耳へと確かに伝えられる。横浜衛士訓練校から突き出したような堤防へ腰を据えると、真昼は履いてきた靴をそばに置いて、その海面へと自らの素足を滑らせた。

 ちゃぷちゃぷ、と静かな水音と共に、真昼の足に冷えた感覚が走る。夜の海はまるでひとりぼっちになったように冷たく、けれど心地いい感覚を真昼へと教えてくれた。

 

 ――暗闇へと、心が沈んでゆく。

 その覚悟が無いという訳では無かった。あのときの誰かの記憶は、それを受け入れていた。真昼にはそれが、どこか満たされたもののようにも思えた。

 けれど、真昼は孤独になる事を望んだ。先征く者の後を追うのでは無く、ただ前へ前へと突き進む事を。あの時に梨璃ができることは、ただそれだけのようにも思えた。

 後を追う事は許されない。そして、二度と戻る事も許されない。

 真昼はただ一人、コンクリートの上で果てるのだろう。

 

「それでも私は……それを、選んだんだ」

 

 そんな、感じたことのある孤独を思い出して――


「何してるの、真昼。まさか入水自殺?」


 背後から声をかけられて、振り返る。そこには真昼のルームメイトの秦祀が立っていた。


「そんな今にも死にそうな顔をして。とても英雄の顔とは思えないわね」

「ふふっ、英雄じゃないよ。ただの歯車だよ、私は」

「歯車?」

「もしくは奴隷かな」

「奴隷」

「私は、ラプラスの力の奴隷だ」

「ふぅん? そう。最近、良い菓子が手に入ったの。あげるから戻ってきなさい」

「私と関わると、白い目で見られるよ」

「残念、私は一ノ瀬真昼担当だからむしろお疲れ様ですって思われるよ」

「うっ、まぁ、迷惑はかけちゃってるよね。ごめん」

「わかったらさっさと来る。どうせ嫌な夢でも見てフラフラしてたんでしょ。付き合ってあげる」

「優しいね、祀ちゃんは」

「怒る時は殺す気で怒るから、機嫌が良いうちに私の言うことを聞いておくこと」

「わかった。ありがとう」


 祀は真昼の手を強く引いて、部屋へ戻っていった。

 それに真昼は見捨てないでくれた友人に感謝を抱くのと同時に胸が熱くなるのだった。

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