異常事態①

「おはよう、真昼さん」

「うん、おはよう」

「その首輪……外してもらえないの? まるで獰猛なライオンを檻に入れておくための安全装置ね」

「まぁね。気分的には渚カヲル君かな。いや、碇シンジか」

「それは演劇のキャラクターの名前?」

「そう。新世紀エヴァンゲリオンの映画に出てくるキャラクター。シノアちゃんが持ってたのを貸して貰った時に見た」

「そんな旧世代のものをよく持っていたわね、彼女。それが趣味なの?」

「演劇が趣味だって。だから知ったのは役者さん繋がりらしいよ」

 

 獰猛なライオンという部分を特には言い返すことなく淡々と答えた。それ以外の気力など無いという言葉を、全身で回答していた。

 

「大丈夫? そんなに辛いの? 対衛士用安全装置」

「全身の魔力が持っていかれる。怠い。無理。これ考えた人は頭は良いけど倫理観は壊れてるって断言できる」

「まぁ、デストロイヤー率99%衛士用の拘束具だものね」

「ほんと、まだ人間のつもりなんだけどなぁ」


 真昼は悪態をついた。横浜衛士訓練校に来てからずっとつけられている拘束具のことを思い、ため息を漏らす。

 拘束具の内容は単純で、首輪型をしており、魔力を外部に抜けるようにする装置だ。だいたい素振りを200回くらいの辛さ。しかも鬼教官によって随所随所で横から口出しをされて、惰性で振った1回などは認めないと、振り直しをさせられるレベルの辛さ。


 一歩進むごとに全身に力を入れなければ、すぐに鬼教官(拘束具)に殴り倒されて地面とキスをすることだろう。

 

 GE.HE.NA.のクソ研究者よりひどい。そう愚痴る真昼だったが、その顔を見た祀が面白そうに笑った。

 

「あら、その割には良い顔してるわよ?」

「嫌味? 代理さん」

「英雄様は素直じゃないわね。まるで普通の衛士みたいになれたって、素直に認めればいいのに」

「………別に」

 

 祀の独白は沈黙によって肯定された。そうしている内に、シノアと愛花がやってきた。朝の挨拶を一つ。そうして話は話題の人物へと移った。

 

「あら、酷いお顔ですね。真昼様。大丈夫ですか?」

「やっぱりその首輪が原因なんですね。どうにかして外せないか掛け合って見ます」

「これはきっと寝不足が原因ですね、同じ部屋の方が寝かせてくれなかったのでしょう?」

「残念、私と真昼さんはそんな関係じゃないの。いつも振られてしまうのよ」

「そうやってさも被害者っぽいこと言ってるけど、この人。寝れないなら顎を殴打して脳震盪させて強制的に寝かせてくる頭のおかしいサイコ女だから」

「あらあら、仲がよろしいんですね」

 

 真昼の悪態に、愛花は含み笑いを見せた。だが真昼はそれを問い詰める気力さえないと、無言で朝食を食べ始めた。

 

「………素直じゃない人ですね。でも意外です。真昼さんと祀さんの関係って私達とは違う感じがします。勿論、時雨様とも」

「あー」

「そうかもしれないわね。真昼さんとは類友、悪友って感じかしら?」

「二人は以前どんな付き合いがあったんですか?」

「……えっと」


 真昼は言い淀む。

 それは全く覚えていなかったからだ。

 記憶の欠損。

 エピソード記憶や意味記憶などと呼ばれる記憶には種類があるが、その全てからバラバラになったパズルのピースのようにぐちゃぐちゃで、ジグソーパズルを解いた後で最後に気付く欠けたピースのように。


 自分でもわからない記憶が無くなっている違和感を感じていることさえも忘れている。こうやって他人に指摘されて初めて自分が記憶を失いつつあることに気付けるのだ。


 だから真昼は覚えていない。

 これまでの戦いも。

 今までの約束も。

 必ず遂行すると誓った志さえ無くしている。

 それに真昼は気付けない。

 わからない。

 知らない。

 だけど、デストロイヤーが悪いやつで、人類がピンチだから、なんとかしなくちゃいけない使命感に突き動かされて行動していた。

 真昼は忘却という罰を受けている。このままいけば最後には戦うことすら忘れて何もわからないまま痛みと苦痛の中で意識がなくなるのだろう。


 真昼はそれに気付けない。忘れていることを忘れているのだから、認識できるはずがないのだ。

 と、そこで真昼に話題が振られた。


「それでシノアちゃんは理論派なの? それとも感覚派なの?」

「え? えーっと、何の話だっけ? 理論派? 感覚? なんだっけ?」

「教導や指揮を行う上にあたって、衛士ごとの要素や配分を的確にするために使われている言葉です」

「それが、"理論派"と"感覚派"。つまりは、肉体と戦術機の動かし方の違いですね」


 シノアの言葉を祀が引き継ぐ。


「理屈詰めに動かすか、感覚的に奔らせるか。その比率によって、2つのパターンに分けられる。私は理論派」

「私も理論派です。ちなみに梅様は完全な感覚派らしいですよ? 直情的な人に多いらしいです」


 ふふっと愛花は笑った。

 

「………いやでも、普通は考えながら体を動かすでしょう。感覚派寄りって、梅ちゃんは何となく戦ってるの?」

「それは違うと思います。そもそも根本の知識が無かったらお台場を生き残れませんから」

 

 どちらも根底としての基礎知識と経験があってこそ。最初期の新兵では、分類はされない。訓練を耐えて実戦を乗り越えて、ある程度の技量が身についた時点で分かれるものだった。

 

「へえ。ちなみに、感覚派の強みって何?」

「あー………例えば、回避の時の機動かな。このままじゃ負けちゃうって」

 

 梅は考える前に、多少無理やりにでも身体を動かし、攻撃を開始する。そうした梅の言動の芯には、確信があるのだという。

 

「あ、ただの勘だって馬鹿にしない方がいいですよ。上に行けば行くほど、技量や経験が同じである上で更にそうした危機察知能力が高い人が生き残るわけですし」

 

 感覚派は考える前に正答を出すので、咄嗟の状況に強い。だが平時の戦闘時などには安定性に欠ける部分がある。

 理論派は考えてから解を出すので、想定外の状況に弱い。その反面として、安定した戦闘力を発揮できる。

 

「ちなみに祀様は2:8の理論派で、愛花さんは4:6の理論派……ですよね」

「はい、その通りです。梅様は7:3の感覚派で、シノアさんは………まだ分かりませんね」

「それは、シノアちゃんがまだその域に達していないから?」

「その通りです。全ては前提となる骨子ができて生き残ってからの話だから………でも、恐らくは理論派寄りだと思いますね。だから横浜衛士訓練校の勉強を受けて戦闘に関する正しい知識を持つのは、単純に技術的な観点から見ても正答に近いと思います」

 

 愛花の言葉に、真昼は頷いた。


「でも、なんだか不思議ね」

「何が?」


 祀の笑いのこもった言葉に真昼は首を傾げる。


「だって、ラプラスレポートって、真昼さんと時雨様が共同で作られた戦術論じゃない」

「は?」


 何だそれは。

 知らない。

 そんなものを私は知らない。

 だって、ずっと戦っていて、そんなものがあるなら衛士の被害はもっと少ない筈で。

 こんな人類がピンチになるバカみたいな状況になるはずが無くて。


「え?」


 知らない。

 知らない。

 知らない。

 知らない。

 知らない。

 一ノ瀬真昼はそんなものは知らない。


「はは、そっか、そうだったね。あ、そうだ。祀ちゃん。お願いがあるんだけど」

「何?」

「シノアちゃんに指導をお願いできないかな? 理論派は理論派に任せた方が良いと思うから」

「ええ、構わないわ。シノアちゃんもそれで良い?」

「はい、お願いします」

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