何もないわたしには、これしかないから。
今日は
午後の待ち合わせに朝から時計が気になる。
髪に何度もブラシを通したり、数枚しかないTシャツなのにどれがいいかを選んでみたり。
こんなことになるなら もっとちゃんと可愛いシャツを買うんだった。と後悔してみたり..
待ち合わせの堤防に14:00の約束。
まだかな?
もう家を出てるのかな?
スマホが無いってこういうことなんだ..
でも、なんか凄くドキドキする。
期待と不安が入り混じる変な感じ。
早く来ないかな?
もう家まで迎えに行こうかな?
でもすれ違いになったらいやだな。
さっきからそんな思いの繰り返し。
直哉君が自転車でやって来るのが見えた。
何でもないように平静を装うか、それとも手を大きく振り愛想よくしたらいいのかな?
結局、顔くらいの高さで2回ほど小さく手を振った。
「待った? 和樹を撒くのに時間がかかってさ。あいつ勘が良くて、俺の服見て怪しいと思ったみたいでさ」
「じゃ、今日は特別なんだね、この服」
「べ、別に! そういうわけじゃないけどさ.. 」
「なぁんだ。そうだったらうれしかったのに」
「はは.. 」
直哉君は照れ笑いをしている。
「バスでよかったのに何で今日も自転車なの? 」
「いや、ほら、今までも自転車で周ってたわけだし」
「でも、水族館までけっこう距離あるよ? 」
「5㎞くらいだろ? 大したことない! 」
「そっか。じゃ、直哉君、お願いします」
「任せろ!! 」
今日の暑さはまるでオーブントースターのようだ。
空と地面から焼かれるように暑い。
「直哉君、大丈夫? 」
「何が? 」
「ううん。別に.. 」
「ふん。それより俺にちゃんと捕まってろよ。坂を下るぞ」
「うん」
もうすでに背中が汗で湿っている。
「直哉君」
「なに? 」
「どこかのお店でアイス買おうよ」
「え? 何? 聞こえなかった」
「アイス買おう!!! 」
「ああ 」
安田商店のアイスクリーム冷蔵ケース。
レディボーデンはなかったけど雪印のバニラブルーを見つけた。
「わたしこのバニラアイスがいいな」
「じゃ、俺もそれにする」
海を見ながらアイスにスプーンをさす。
目の前の堤防をカンカンに焼く日射しは、このアイスをもすぐに溶かしてしまいそうだ。
「
「ううん。ここでいいよ」
「ちょっと待ってて」
直哉君は商店に吊るしてある麦藁帽子を買ってきた。
「安物だけど無いよりはいいだろ? 」
「へぇ。やさしいんだ」
「別に! 熱射病で倒れられでもしたら困るじゃんか」
「ふふふ」
「なに? 」
「べーつに」
「食べ終わったら行くぞ」
「うん。でも、もう食べられない」
「なに? もう食べられないの? じゃ、俺が食べてやるよ」
「 ....」
再び自転車は走り出した。
直哉君の背中におでこをあてると笑いが込み上げて、ついにこらえることが出来なくなった。
「あははははは 」
「なんだ? どうしたの? 」
「間接キス。直哉君、わたしと関節キスしちゃったね! 」
「な、何言ってるのぉ!? 」
「今、変な声になったよ。ははははは」
なんだろう。
ただこうして走っているだけでとても楽しかった。
今日だけは何もかも忘れて楽しもうって覚悟したからなのか、それとも....
わたしがいた時代のように洗練されてはいないけど純朴な水族館。
でも楽しい。
牙の長いセイウチ、アクロバティックなイルカショーは凄く面白かった。
それは隣に直哉君がいるから..
「楽しかったね」
「うん、超楽しかった! 」
「チョー? 」
「あ、ほら、
「へぇ、女子の中ではそういう言い方するのか」
「いや、わたしだけだから使わないほうがいいよ。まだ」
「まだ?? それより次、どうする? 」
「わたしは何でもいいよ」
「じゃあ、遊覧船にでも乗ろうか? 」
「うん。でもお金大丈夫? 」
「心配しなくても、大丈夫だよ」
「でも.. 」
「今日は楽しむ約束だよ」
「うん。わかった」
遊覧船はゆっくりと内浦湾を周る。
船から淡島が見える。
「あのね、ちょっとした秘密を教えてあげるよ、直哉君に」
「なに? 」
「いつかこの辺が舞台になるアニメが出来るんだよ」
「アニメ? いつ始まるの? 」
「ずーっと先、ずーっと未来の話。」
「なんだよ、それ」
直哉君は息とともに少し呆れた笑いをもらす。
「あは。秘密だから人に言っちゃだめだよ」
ほんの数十分の船の旅は直ぐに終わる。
もっとこのまま船の旅が続けばいいのに..
『帰ろうか』という言葉を聞くのが怖かった。
まるで今日という日を終わらせてしまう魔法の言葉のように感じた。
そんなわたしの顔を見た直哉君は家とは反対方面に自転車を走らせる。
近くの海水浴場の前に自転車を止める。
「帰らないの? 直哉君」
「 ....」
道路から砂浜へ降りる広い階段に腰をかける。
夕暮れ近くの砂浜には散歩する人がまばらにいるだけ。
内浦湾の空は
「夕焼けが.. 綺麗だね」
「ああ.. 」
少しだけ直哉君に体を近づけてみた。
「あのな、俺、智夏に渡すものがあるんだ」
直哉君が差し出したのは、スマホだった。
「智夏が道路に倒れてた時、ポケットからこれが落ちてた。最初は何かわからなかった。取りあえず預かってたんだ.. これ、いったい何? 俺、適当に触ってたら電気がついたんだ。番号がでてきたり、触れると色が変わったり震えたり。こんなの見たことない。何なのか気になって、渡せなかった」
「 ..これはただの機械だよ」
「さっき、智夏、アニメの話したろ。いつの日かここが舞台になるって。もしかして智夏、おまえ.. 」
「そうかもしれないね。わたしは未来の人なのかも。でも、今のわたしは直哉君と出会った智夏だよ」
わたしは続けざまに質問した。
「ねぇ、直哉君。何でそんなにわたしの為にいろいろしてくれたの? 」
「それは困ってる人がいたら助けなきゃって思うもんだろ? 俺はただそう思ったからそうしてるだけだよ。それに、俺はこの先もっといろんな人を助ける仕事をしたいと思ってるから」
「仕事? 」
「そうだよ。俺、消防学校にはいって水難救助隊員になりたいんだ」
「すごいね」
「テレビで見て、かっこいいなって思ってさ」
「そうなんだ。そういうことで親切にしてくれたんだね」
「 ..智夏だからだ。それだけじゃない。智夏だからいろいろ手伝ったんだ、俺」
「そっか ..ありがとう ....ぁりがとう」
「智夏、泣い.. えっと.... どうした? 」
「 ..何にもない。何にもないわたしは直哉君にお返しできないね」
「お返しなんていいよ。俺は智夏の力になれればよかったんだ」
「あのね.. これ、
「ありがとう! これ大切にするよ 」
「直哉君、あのね、この機械、スマホっていうんだ。カメラにもなるんだ。一緒に撮っていい? 」
「いいよ。でも智夏、鼻汁が垂れてる。拭いたほうがいいぞ」
「バカっ」
カシャっという音が鳴るとスマホは電池切れになり画面が消えた。
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