第20話 女の小競り合い

単純な疑問だった。探索者達は無償で行ってくれているわけではない。アースの知識が目当てというなら理解できるし、間違っていないはずだ。しかしそれはアースに向けたものだ。


ベクトが唯一遺跡にもアクセスできるため大事にするのは分かるが、それでも妬みといったものがあるはずだ。能力に劣るベクトがセーデキムや親方を妬んだことなど数えきれない程にあったのだから。


「アースは分かる、知識の宝庫だ。目が赤いやつらはそれで泣かされたんだろ?」


探索者は能力で言えば非常に優秀だ。ベクトなぞ比較にならない程だ。なのにベクトを妬まないと言うのは理解ができなかった。


「でも僕は違うだろ?」


自虐も込めた言葉を口にし、横目でレキサへと目を向ける。そこには──呆れた目をしたレキサの姿があった。



「お酒奢ってくれたじゃないですか」



レキサは一歩前に出るとベクトに視線を合わせてそう告げた。それだけで言葉は十分なのだと視線に込めて。ベクトは何故か視線を逸らすことが出来なくなっていた。ニコリと微笑むレキサの姿が、何故か輝いて見えたのだ。


「探索者は命を落としやすい職業です。どれだけ魔力が強くても災害獣に遭遇すれば容易く死ぬ。だから、今を楽しく生きることに全力を費やします」


知っているでしょう?、そう言いたげにレキサは言葉を出していく。覇気とでも言うような迫力がそこにあった。


「お酒はその最たるものです。騒いでも許される……その代金を払ってくれた。言うなれば、探索者を存在価値から実際の行動まで肯定してくれたようなものです」


自分自身を存在から肯定してくれた。それがどれほど嬉しいことなのかベクトには分かる。


ドカタ以外になれなかった能力だったのだ。逆に言えば、ドカタには居場所があった。ドカタを全肯定してくれる人がいれば確かに信頼を寄せるだろう。もしそんな人がいれば信頼を形にしないわけがない。


「そんな人に配慮しないというのは我々を馬鹿にしているとすら言えますよ」


今のレキサのように、怒ることも厭わないはずだ。ベクトも同じ立場ならそうしたと言えてしまうがために、眉をひそめて誤魔化すことくらいしかできない。


「そうか……すまない、変なことを聞いた」


ニッコリと笑うレキサにベクトは口角を上げる。向けられている信頼への、照れ隠しにしかレキサには見えていなかった。


そしてアースから人が離れたとほぼ同時に彼女が現れた。変わらない可愛らしい声と共に。


「今日も来ましたよ~」

「リリアン?」


昨日よりギルドを早く出たにも関わらず、リリアンの姿がそこにあった。ずっと待っていたのかと疑うようなタイミングだ。


「はい!あなたのリリアンです!デンダさんに、今日は酒場じゃなくてこっち来るって言われて!」


リリアンは相変わらず輝くような笑顔をベクトに向ける。思わずニヤケそうになってしまうが、昨日しでかしたばかりなのだぞとどこかから視線を感じる。


ベクトはそれが上からの視線であることに気づいてはいなかった。ただ声をかける先が視線の先だっただけだった。


「アースを連れていく予定だからなぁ……ってアース?」


見たこともない顔をしたアースの姿がそこにあった。目をのぞき込めば深淵にすら到達できそうな混濁を瞳に宿した、無表情を超えて無機質とすら言える表情。明らかに何かが起きていると感じ取れるものがあった。


歯がガタガタと震えていると自分でも分かる。怯えなどではない、純粋な恐怖という感情が湧き上がる。


探索者達ですら数歩引いている程なのに、何故リリアンが平気な顔をしているのかが理解できない。リリアンはただの酒場の店員なだけのはずだ。元探索者でもなければ、現役でもない。


ベクトが女同士の威嚇に恐れている中、変わらない顔でアースはリリアンへと口を開いた。


「あなたがリリアンですか。随分と仲が良さそうなことで」

「え?そんなことないですよ!デンダさんに言われてまだ二日目ですし!」


アースの瞳に少しだけ光が灯り、歪む。その表情は、ベクトには混乱しているようにも見えた。


「でもベクトは信頼して……いや、短い間でも信頼は築ける?それなら分かるけど私には」

「ベクトさんは私の酒場によく来てましたから、実際はもっと長いですよ」


アースはベクトと付き合いが短い。セーデキムや親方どころか、なんならリリアンよりも短い。アースが気にしていたのはそれだった。


信頼が築けるのは短い期間でも大丈夫なのかという疑問だ。既にアースは信頼を向けているものの、ベクトがちゃんと信頼を言葉にしてくれた数は少ない。

魂を預けていることからベクトの感情を知ることはできるものの、アース自身は一度もその機能を使っていなかった。機能を使ったことをベクトに知られるのが怖かったからだ。


「なるほど、接しないまでも近くにはいたということですか」

「ん~一言二言くらいなら話してましたよ。酒場ってそういうとこですし」


その言葉にアースの表情は元に戻った。リリアンが明確に近づいたのが昨日からだと察したのだ。その下地もあったからこそ信頼が築けていると判断していた。


「二人ともそれくらいにして。アース、向こうに着いたら転移するよう呼ぶから」


ようやく震えが止まったベクトが二人の間に割って入る。喧嘩している時間が惜しかった。移動速度が速くなったとはいっても時間がかかることに変わりはないのだ。


ベクトに突き刺さる視線がアースから向けられる。昨日のことはリリアンが関わっているのを察したのだろう、もうやるなよという言葉が遠回しに優しく告げられた。。


「分かりました。色仕掛けにだけ注意してくださいね」


色仕掛け、有望な男性を女性が身体で誘惑するものだ。とはいえ今の僕は探索者志望というだけの元ドカタだ。それにアースが付いてるのだ、分かり切ってる。


「ははは、僕に色を仕掛けるようなやつはいないだろ」


ベクトが笑い、あり得ないことだと断言する。自身の自己評価が低く、アースが一般人からどんな風に見られているのか知らないからこその言葉だった。

もし自身が災害獣を討伐できたらどうなるか考えていたのに、いざ事実が追い付いたら理解の外にあったのだ。


「……ここにいるけどなぁ」


リリアンはベクトの評判を既に知っていた。酒場の店員なのだ、情報通でなくては務まらない。


リリアンからすればデンダ親方から派遣されたのは幸いだった。情報が錯綜している段階で、真っ先にベクトが災害獣を討伐したのだと知れたのだ。手を出さない理由などどこにもなかった。


まるで恋人のように手を繋ぎ、こいつは私の男だと周囲を威嚇するようにベクトに触れる。ベクトも酒場で似たようなことをしてはいたため緊張はない。どこか気恥ずかしい程度だ。

昨日あったことを話しながら二人は歩いていく。周囲からは……正確には周囲の女性からはギリッと歯ぎしりするような音が鳴っていた。

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