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二〇〇六年 一月 十六年前


「ジェムテック製はないですか?」

 殺風景な倉庫に置かれたテーブルで、向かい合わせに座る佐藤が言った。坂野は本音と相場を天秤にかけて一度宙を仰いだが、佐藤の隣に座る村岡の視線に負けて、ため息をつきながら紙ファイルの中身をぱらぱらとめくった。

「ん-、音を消すのはね。そもそも数がないんですわ」

 村岡が眉をひょいと上げて、うっすらと隈のできた大きな目を坂野に向けた。

「単発ならごまかせても、連射すれば、銃声だと気づかれます」

「汎用品なら、中華のやつがありますよ」

 坂野が言うと、佐藤は少し目を伏せた。目線から逃れた坂野は、小さく息をついた。この二人に共通するのは、その目つき。相手が言葉を発すると、それが行動で示されるまで追い続ける。こういう類の人間は、皆よく似ている。坂野は、自分の提案に対する答えを待ちながら、二人の顔を交互に見た。やがて考え終えた佐藤が、首を横に振った。何一つ譲るつもりはないように、その表情は固い。物騒な買い出しに駆り出されたこと自体を不満に思っているように、村岡の表情も暗いままだった。

「お二人が直々におつかいですか」

 坂野はそう言いながら、スライドが開放されたグロック19と弾倉二本を村岡に差し出した。佐藤は倉庫の冷たい床に並べられたガンケースを眺めていたが、蓋が半開きになったケースの中身を見透かすように目を細めた。

「あれ、PBS―4ついてますか?」

 坂野は今初めてその存在に気づいたように、佐藤と同じ方向を向いた。やや使い込まれたAKS74U、通称クリンコフ。商品として出せるかギリギリの品質。しかし、佐藤が出した『サプレッサーを装備した短銃身の自動小銃』という要件は、満たしている。

「ついてますよ。骨董品ですけど、いいんです?」

 坂野が言うと、佐藤は小さくうなずいた。話がまとまり、AKS74Uと弾倉二本を引き渡すと、ようやく決着がついたように坂野は9ミリのホローポイント五十発と、5.45ミリのフルメタルジャケット百発が入った箱をそれぞれつけて、息をついた。

「毎度あり」

 信用商売だから、基本的に現金のやりとりはしない。その辺りは、この二人の上司と後々のやりとりになる。二人がガンケースを持って立ち去った後も、坂野はしばらくの間椅子に座ったまま考えた。支払いが遅れたことはない。しかし、最近は周りが少し物騒で、気が抜けない状況だ。それは相手も同じだろう。佐藤が骨董品のライフルであっさり納得したのは、おそらくすぐにでも使えるようにしておきたいから。それでも、実際に引き金を引く『手』が装備を引き取りにやってくるのは、珍しいことだ。最近は、装備の調達は青山という若い男が来ていた。煙草を一本抜くか迷ったとき、倉庫の階段を下りてくる音が聞こえて、坂野は首ごと顔を上げた。

「何が起きてるんです?」

 イヤーピースをつけた柏原は、口角を上げて微笑むと言った。

「色々と」

 坂野は苦笑いを浮かべた。柏原は、昨日の夜からずっと張り込んでいた。坂野は姿勢を正すと、さっきまで佐藤が腰かけていた椅子に座った柏原に向かって、言った。

「協力してるんやから、ちょっとぐらい教えてくださいよ。内容によってはうちも、身の振り方を考えなあかんので」

 村岡や佐藤と違い、柏原はまだ正気な部分が目の大半を占めていて、話がしやすい。坂野が待っていると、柏原は返事の代わりにその目をまっすぐ見返した。しばらく沈黙が流れた後、坂野がしびれを切らせたように片方の眉をひょいと上げたのがきっかけになり、ようやく口を開いた。

「あの二人が買い物に来るんは、珍しいでしょう。おれがここにいてるのも」

「そうですね。事前に言うてくれたら、商品もちゃんと用意できたんですが」

 坂野が言うと、柏原は胸ポケットから紙片を取り出した。

「そこは、信用してます。なので、こっちを最優先で今日中にお願いしたい」

 紙片を受け取った坂野は、その中身に目を走らせて苦笑いを浮かべた。

「これ、本気ですか? もちろん、用意はできますが」

 柏原はうなずくと、プリペイド型の携帯電話をポケットから取り出し、坂野に差し出した。

「連絡は、これにお願いします。うちの岩村、村岡、佐藤、おれ以外とは、話さないように」

 倉庫の外に出ると、柏原は裏に停めたスプリンターGTの方へ歩きながら、辺りを見回した。やっていることは、麻薬取締官だった頃と変わらない。法の後ろ盾があるかどうか、その違いだけ。運転席に座ったとき、佐藤から『いつでも出てOK』とメールが入り、柏原はエンジンをかけた。

 三年前に岩村と話したことが、今現実になろうとしている。当時、拠点に出入りして身辺を調査している人間がいるということをすぐに報告したが、岩村は『それを許すのも仕事の内』だと言った。相手の行動様式が、こちらとよく似ていたからだ。時間帯や、車の動かし方まで。

『同業やろねえ。市場調査かもしれんなあ』

 三年前、岩村は煙草を吸いながら笑っていたが、他言しないようにも念押ししていた。柏原は『同業者』の姿が見えればすぐに報告してきたが、今朝、二年前の八月に見たのと全く同じランドクルーザーが倉庫の近くを通り過ぎたときに、考えを改めた。目的がこの『組織』自体である場合、対処法は大きく変わる。そのことをまず岩村に伝えた。答えは、単刀直入。

『身内で死体が上がったら、お開きや。店仕舞いの準備をしとけ。他の二人にも言うといてくれるか』

 二人の反応は、それぞれ違った。村岡はまず、肩をすくめた。

『福利厚生なんか、あったもんちゃうな。四人組てことは、分散しても二班か』

 それを聞いていた佐藤は、自分の考えを呟いた。

『人数で不利やから、みんなが一か所に集まる機会を待ってる』


 

 料理のレパートリーは、最初こそ最終形がフライパンの形になる粉物ばかりだったが、少しずつ増えて行き、今は並行して複数の料理を同時進行できるようになっていた。稲場の手つきを見ながら、留美はうなずいたり首を横に振ったり忙しくしていたが、コンロの火を弱火にすると小さく拍手をした。

「いいと思う。コマーシャル出れる」

「番組は無理?」

「それは、精進の余地ありかな。顔が真剣過ぎて怖いし」

 結婚から二年が経つ。稲場は去年、刺青を除去するレーザー手術を受けた。数回の手術でやや赤みがかった痕になり、自分から言い出して消してくれたという事実の前では、その出来栄えは正直どうでもよかった。稲場の商売自体は相変わらずで、朝に出て行ったり、夜に突然家を空けたり、毎月安定して持って帰って来る『給料』の正当性は全く分からない。今日はこの少し早い夕食が終わったら、予定がある。留美は、稲場の袖を軽く引っ張った。

「なー、ほんまに行かなあきまへんか?」

「んー、あきまへんなあ。その方言なんやねん」

 稲場が笑うと、留美は体を左右に揺すりながら、言った。

「レバーパテがあったら、家におった?」

「パテで仕事がなしには、ならんわ」

 この界隈だと、稲場が好きなフランス産のレバーパテは隣町の業務スーパーにしかない。自転車で三十分、車で十五分という、さっと出かけるのを億劫にさせる絶妙な距離。二十四時間営業で常に放射状の白い照明をつけており、留美は『マザーシップ』と呼ぶ。

「仕事モードね」

 留美が言い、稲場は作り笑いを浮かべながら頷いた。

「話が早いね」

 声のトーンは全く違うが、共同生活を続ける期間が長くなるにつれて、稲場の話し方には、留美の言い回しが浸透しつつある。稲場は、キッチンペーパーで壁に飛んだ油の雫をさっとふき取り、シャツの胸元をわざと開けた。留美は歯を見せて笑い、空いた手でシャツごと稲場を押しやった。

「そのアピール、もういいから」

 冗談めかしながらも、その横顔にまとわりつく寂しそうな空気。付き合い始めてから今までの六年間、日常の一部だった。稲場はうなずくと、真っ白な二枚の皿にフライパンの中身を盛りつけた。箸を二組洗い終えたとき、居間から戻ってきた留美が言った。

「手を挙げなさーい」

 指輪で彩られた右手に、ピンク色の銀玉鉄砲が握られている。稲場は箸を持ったまま手を挙げて、笑った。子供時代から引き継がれた数少ない持ち物のひとつ。墨岡と空き地で撃ち合いをしたことは、他の記憶に押しつぶされないよう大事に脇へ退けてある。

「はーい」

 稲場が緊張感のかけらもなく言うと、留美は満足したように銀玉鉄砲を下ろし、テレビで見るギャングのように、ズボンの前に挟んだ。

「これ、本物やったらお腹めっちゃ冷えそう」

「最近はポリマーの銃が多い」

 稲場が解説するように言うと、留美は口をへの字に曲げた。

「すーぐ語る」

 食卓を向かい合わせに囲み、食事が始まった。それでも頭の中の大半を占めるのは、毎日三食食べるように日常の一部となっている、契約殺人のお手伝い。いつもなら、この時間から出向くとすれば装備の清掃か、仕事で使う車の点検。しかし今日は途中で岩村を拾うことになっている。少し前、村岡に『予定外のことが来たら裏を取れ』と言われた。しかし佐藤は『裏を取った相手がグルやったら、その場で死ぬかも』と言って、からかうように笑っていた。

「稲場幸一君……」

 フルネームで呼ばれ、稲場は思わず下がっていた顔を上げた。留美は自分の額に指先で触れながら言った。

「眉間にしわが……」

「ちょっと考え事してた」

 稲場は繕うように笑ったが、眉間にしわを寄せていた間に冷めた熱量は取り戻せなかった。そんな場で頭に浮かぶのはいつも、切り札のひと言。

『辞めるよ。足を洗う』

 頭の中ではどれだけ饒舌に言えても、いざとなったらどう息を吸い込めばいいかも分からない気がする。切り札を底へ追いやるように食事が進み、終わった。

 ここからは別行動。多めに着込み、駐車場に降りてウィンダムのドアを開ける。エンジンを掛けると、留美が昨日聴いていたブランキージェットシティの『悪い人たち』が途中から再生された。これは予定内。岩村が指定した場所は、ナビには登録しない。この車を乗り捨てた場合に、拠点の位置まで知られるわけにはいかない。夜十時、道は空いていて、一部の信号は黄色点滅に変わる。制限速度を意識しつつ、防犯カメラやNシステムの設置が進んでいない広域農道を間に挟む。いつも通りの行動。稲場は無意識に額の汗をぬぐい、ヒーターを弱めた。指定された場所は、墓場と工場が隣り合わせに建つ土地の、ちょうど道路から死角になっている一角。稲場はウィンダムを停めると、エンジンをかけたままにして周囲を見回した。車は一台もいない。

 待ち合わせのはずだ。稲場の頭の中で危険信号が光ったとき、運転席側の窓がこつこつと鳴った。古い造りの巨大なサプレッサーの銃口と目が合い、稲場は観念したように窓を下げたが、それを構えているのが佐藤であることに気づき、無意識に両手を挙げた。

「あの……」

「鍵を開けて」

 佐藤に言われるままにドアロックを解除すると、後部座席に村岡が乗り込んでドアを閉め、身を低く下げながら言った。

「ちょっと、聞きたいことがある」

 ただでさえ厚着をしている中に流れる冷や汗は滝のように溢れ、シートとの隙間全てを埋め尽くすように流れていった。AKS74Uを右手に持った佐藤は暗闇に姿を消すと、真っ暗な山道を降りていった。

 村岡は後部座席に座ったまま、ようやく安全が確保されたように小さく息をついた。

「ここには、おれら二人しかいてない」

 稲場が当たり前だと心の中で呟いたのを見透かしたように、村岡は一度咳ばらいをした。稲場はそれに応じることはなかったが、無言のまま考えを改めた。誰かに尾行されていたり、監視されているリスクは常にある。

「今までは、そうじゃなかったんですか?」

 からからに乾いた喉から声を絞り出すと、バックミラー越しに目が合った村岡はうなずいて、呟くように言った。

「墨岡は、最近どうしてる?」

「先週、昼飯を一緒に食べました」

 稲場が言うと、村岡は精密機械のように整った顔を少しだけ歪めて笑った。

「待ち合わせはどこで?」

「この車で、墨岡を家まで拾いに行きました」

 村岡は満足したように歯を見せて笑うと、シートが稲場の体の一部であるように、その背をぽんと叩いた。

「質問は終わりや。こっからは、よく聞いてくれ。柏原が、二年前に見たのと同じランクルを見たらしい」

「そんなん、覚えてるもんですか?」

 稲場が思わず普通の口調で訊き返すと、村岡は呆れたように笑った。

「お前も在庫の車と装備、全部覚えてるやろ? 仕事ってのはそんなもんや」

 村岡の言葉がきっかけになって、稲場は思い出した。ついさっき佐藤が持っていたライフルは、AKS74U。サプレッサーはPBS-4がついていたが、在庫にはない銃だった。

「あのライフルは今日、おれと佐藤で引き取ってきた」

「青山を使わなかったんですか? 今日は確か……」

 稲場はそこまで言ったとき、唐突に言葉を切った。村岡はおそらく、墨岡や青山のことを信用していない。村岡は突き刺すような視線を向けたまま、少し身を乗り出した。

「今日は何?」

「いえ、多分ですけど。龍野さんと墨岡がメシ行くんで、そこに合流してると思います」

「どこの?」

 村岡はプリペイド型の携帯電話をスーツの胸ポケットから抜いた。今までに何度も見た仕草。人が死ぬときに用意される必需品。稲場は墨岡から一方的に伝わってくる情報を隠しきることはできないと悟り、言った。

「龍野さんがよく行く、山林飯店って中華料理屋です」

「お前は、なんで行かんかったん?」

 村岡は、携帯電話の画面で薄暗い緑色に照らされた目を向けた。稲場はバックミラー越しに愛想笑いを浮かべた。

「新婚なんで」

「そうやったな。ほな」

 村岡はそう言うと、後部座席から唐突に降りた。スーツのシルエットにすぐかき消されたが、右手にステンレス製のコルトディフェンダーを持っているのが分かった。稲場は今まで呼吸を忘れていたように息を全て吐き出した。答えを間違えていたら、撃たれていた可能性もある。職業病のように、二か月前に整備したばかりだという記憶が割り込んできたが、そのおかげでどうにかウィンダムのシフトレバーに触れるだけの力が手に蘇った。

 予定外のことが起きたら。そのときの振る舞いを教えてくれた男は、さっき後部座席で三十センチの距離から45口径の拳銃で狙っていた。裏を取ったら死ぬかもと忠告してくれた女には、いびつな水筒のようなサプレッサーが取り付けられたライフルで顔を狙われた。ウィンダムを国道に合流させると、稲場は震える手で墨岡の携帯電話を鳴らした。岩村の組織に、揺さぶりをかけている人間がいるのだ。おそらく身内の犯人捜しが始まっていて、稲場の頭の中で鳴り続ける『直感』という名の危険信号は、龍野をはっきり名指している。三年前に墨岡が冗談めかして言っていた『海外に拠点を移す』という言葉。それが具体的に何を指すのか分からないが、村岡と佐藤の行動から見ると、あまりいい動きではないのは確かだ。柏原も含めた三人がどんな手段を使うかは、分かりきっている。そもそもあの三人が、話し合いが通じなかったときの最終手段なのだ。

 取り返しがつかなくなる前に、何としてでも墨岡と青山を逃がさなければならない。

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