第5話 はじめての事務所

 7月X日

 事務所に所属することが決まった翌日。林さんが迎えにきてくれて、事務所にご挨拶しにいくことに。母が手土産を持たせてくれた。



 家から下道で1時間半。林さんとのちょっとしたドライブは気まずくなることもなく事務所へ到着。少し古そうな3階建ての建物だ。蔦なんかが絡まっているところもあり、なかなかシック。


「ここがヴィランズの事務所です。あいさつは、おはようございますでお願いしますね。まぁ今日ははじめましての日ですけどね。」

「わかりました」


 林さんに連れられて入口をくぐると受付の方が。

「ミサちゃん、ただいま。こちら新しくタレントとして所属する八上君だ。困ってそうなことがあったら助けてあげてほしい。」

「八上です。よろしくお願いします!」

架橋かきょうミサです。八上さん、よろしくお願いします。芸名が決まったらそちらでお呼びしますので教えてくださいね!」

「じゃあまずは社長にあいさつにいこう」

「はい」

 そのまま廊下を通り、階段を登り2階の一番奥の部屋へ。途中すれ違うタレントの先輩と先程のようにやりとりをしながら進む。タレントの先輩はみな見た目が怖いのだが、あいさつをすると気さくに応じてくれた。そして、林さんが社長室をノックする。


「社長、林です。八上君を連れてきました」

「おう、きたか。入ってくれ」

「はい!」


 社長室の扉を開けるとどこからともなく「チャララ〜、チャララ〜」とドスの効いた音楽がなる。そして高そうな革の1人掛けソファにかけ後ろ向きにいた男性がくるっと振り返りこれまた高そうな木の机に肩肘をつく。そしてゆっくりとこちらを向く。

 ダブルのスーツにノーネクタイ、代わりに金のネックレス、ブレスレットをつけ、白髪まじりのオールバックに色付きのメガネ。


 超怖い。しかも声も渋い。でもよく見ると顔はすごす整っているし、額縁に飾られたポスターに描かれた姿には見覚えがある。先程の音はスマートフォンで出していたようで、画面をタップしている。ちょっとオチャメな人なのかな。


「ようこそ、八上恭介君。社長の東郷雄一郎とうごうゆういちろうだ」

「八上恭介です。これからよろしくお願いします」


 母から待たされた手土産を社長に手渡す。


「うむ、、林」

「はい」

「よくやった!!」

「はいっ!」

「逸材だぞ!礼儀もしっかりしているし、なんて男前なんだ!」

「そうでしょうそうでしょう!」


 なんか、男2人でうんうん頷き始めてしまった。それよりも、先程ミサさんも言っていたが芸名をつけてもらう予定だったはず。


「社長、僕の芸名なんですけど」

「そうか!芸名か、、うぅむ。悩ましい!」

「それなんですが、恭介君はこう見えて物静かで落ち着きがありますから。下の名前は朔夜でどうでしょう?」

「さくやか、、物静かっていうと朔月のさくに夜か?」

「そうです」

「悪くないな。なら苗字に月をいれるか、、いや暁、、蒼月、緋月、新月、三日月、、。恭介君はなにか希望は?」

「今出た中なら緋月か三日月ですかね。語呂がいいので」

「よし!なら緋月だ!緋月朔夜!これでいこう」

「ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします」

「うむ。よろしくたのむぞ!ならさっそくだが宣材写真を撮らないとな。林、これでスーツやら一式揃えてきてくれ」

「わかりました!」


 〜〜〜


 社長から衣装代をもらい、服を仕立ててもらいに紳士服店へ。適当な白シャツと、林さんが見立ててくれたスーツとブラックスーツを試着し

 裾上げを頼む。隣のカジュアル服も数点購入しこちらもチノパンとジーンズを裾上げ。そのままベルトや靴、そしてサングラスなども購入。


「けっこう買いましたね」

「この衣装代は経費で落ちるからね。それに、人前にでるから靴とかもちゃんとそれぞれの服に合ったものにしないとね。あとは腕時計くらいかな?どれか気に入ったものはあるかい?」


 腕時計か、これまでスマホで事足りていたので実はつけたことがない。柄物の色合いがにぎやかなものからシルバーと黒のシックなもの、おや?


「この黒いやつがいいです。」

「スウォッチのユニセックスか。趣味がいいね。うん。値段も手頃だし、これは私がプレゼントするよ。」

「えっ」

「腕時計は普段から身につけて使い熟してほしいんだ。そういうのって演技にでるしね。あとはほら、所属祝い」


 そう言ってにっこり笑う林さん


「そういうことでしたら。ありがとうございます。」

「よし、じゃあこれもお会計しちゃおっか」


 お会計を済ませ、裾上げが終わった服を受け取り事務へ戻ると、1階で社長と、まだごあいさつしていない女性が待っていた。


「おかえり緋月くん、じゃあさっそくだけど宣材写真を撮ろうか。撮影はこちらの林くんが」

「事務員の林里子《はやしさとこ》です。慶一の妻です」


 驚いて林さんをみると「妻です」と頷いている。気を取り直して受付横を通り、一階の階段横の部屋に入ると大きなグレーバックと三脚にセットされた一眼レフが準備されていた。


「じゃあまずはカジュアル服からかな?そこのパーテーションで着替えてきて」

 里子さんの示した方を見ると狭いながらも着替えできそうなスペースが。頷いてまずはチノパンのコーディネートから。


 グレーバックの前に立ち、ポーズをとる


「じゃあ両手を下ろして気持ち斜めに立ってー、真顔で!はい、撮るわよー!」

「じゃあ次は笑って〜!キャー!かっこいい!いけてるわよ朔夜ちゃん!」


 ちょっとテンションの高い里子さんの指示に従いサングラスをつけたりしつつ、ジーンズ、スーツ、ブラックスーツ、など撮影していく。

 ブラックスーツにサングラスをつけての撮影が終わり、椅子に座ってひと息つく。これで終わったかなと思っていたら社長から一声かかった。


「あとはそうだな、、これ、できるか?」


 そう言って社長はさっき僕が立っていた位置につくと、左手をポケットにいれカメラのほうへコツコツと歩いて行き顔をレンズの前へ。そしてサングラスをゆっくりと外した。


「これはうちの事務所の伝統だ。やってみろ」

「はい」


 まずは位置について、左手をポケットに。サングラスもよし。


「じゃあ緋月君、おねがーい!」


 無表情のままカメラへ歩く。カメラの前でレンズを覗き込むようにしてサングラスをそっと外す。、、、どうだろうか?まだかな?笑ってみるか?よし、ニヤリ、と。


「お、オッケーでーす!うわーめっちゃいいわよ今の!社長も見てくださいよ!」

「ん?おぉ、、これは。男前じゃねぇの!」


 好評だった。


「じゃあこれ、アップしておきますねー」


 〜〜〜


「今日はおつかれさま!」


 帰りの車で林さんが労ってくれる。


 あのあと勉強用にと事務所の先輩や社長が出演した作品のBlu-rayをもらったり、社長からサイン入りのブロマイドとプライベート用にとサングラスをもらった。


「いえ、こちらこそ。時計、ありがとうございました」

「いやいや、恭介君。いや、もう緋月君だね。緋月君には頑張ってほしいからね。それに、ほんのささやかなものだし。」

「頑張ります」


 ほんと、頑張らないと、、これから何をしていくのかもまだはっきりとわかっていないけれど。否、聞いておくべきか。


「そういえば、これからの仕事って?」

「おっと、伝えそびれていたね。まずは、しばらくは私がマネージャーとしてつくよ。送り迎えもするし、スケジュールも私に聞いてくれればいい。そして、明後日に事務所の先輩のドラマの撮影現場があるから、とりあえずそこで見学と、可能ならエキストラとして参加かな?日向昌雄ひゅうがますお君、32歳で芸歴は10年のタレントだね。」

「日向先輩、ですか」

「そう。で、撮影現場の雰囲気を感じ取ってもらえればと。今日の分もだけど、とりあえずは受注外の仕事は時給換算で出すから、アルバイトくらいの気持ちできてもらえば。服は今日買った衣装のカジュアル服を着て行こうか。」

「わかりました」


 車が家に着く。


「送迎ありがとうございました」

「いいえー、じゃあおつかれさま」

「はい。お気をつけて」


 明後日か、ドラマの現場、楽しみだな。

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