◇6 ホテルにて──「ウッフン……」「アヘアヘ!」

【12日目】1975年(昭和50年)12月8日月曜日


 コウスケは目のやり場に困った。

 トキと並んで映画を観賞しようにも、とても集中などできやしなかった。赤いミニスカートの裾からチラチラと見えそうで、つい視線がそちらを覗いてしまう。おまけに白いブラウスの胸元ははだけて中のものを覆った白いブラが見え隠れする。目玉は忙しなく転がり続けた。

 映画館を出ると、「少し歩きましょう」とトキに促され、二人は国道沿いを西に向かって歩いた。

 胸は躍っていた。トキのことがたまらなく愛おしかった。

 小一時間ほど歩いただろうか、トキが腕を交差させ肩を抱き二の腕をさすり出した。

「寒いのかい?」

 声をかけて皮ジャンを脱いでトキの肩に羽織らせてやった。

「ありがとう」

 トキは言う。と、こちらの目を見て恥らった。

 数歩行ってトキはその場にうずくまった。

「どうしたの?」

「めまいがするの」

 と言って立ち上がり、コウスケの方へ倒れ込んできた。

 コウスケは慌てて胸で受け止め、トキの肩を抱き寄せる。いかにすべきか考える暇もなくトキはよろめいて建物の方へ倒れそうになる。身体を支えてやりはしたが、トキはまたうずくまる。そのまま動かなくなったトキを見て不安に襲われ、辺りを見回した。

 ──そうか、ここはホテルの前だ!

 ──丁度いい!

 胸を撫で下ろす。

「トキちゃん、大丈夫? 動ける?」

 トキの肩に腕を回す。「少し休んでから行こう」

 トキを優しく抱き起こし、建物内へと歩き出した。トキの足元もしっかりしてきたらしく、二人はすんなりホテルへと吸い込まれた。

 部屋に入って、トキをベッドの縁に座らせた。トキも元気を取り戻し、「大丈夫よ」と告げると肩を竦めた。その様子にホッとしてようやく隣に腰かけた。トキは微笑みかけてくる。

「先にシャワー浴びてきて……」

 トキは俯いて顔を赤らめた。

 コウスケはしばらくその言葉の意味がつかめず、トキを見て呆然とした。

 ようやくその意味を悟った時、心臓が突然激しく打ち始める。

 ──男らしく、男らしく、アヘアヘ……

 息も絶え絶えに、心を鼓舞してぎこちない動作で立ち上がり、浴室へ向かった。

 二人はベッドの中で見つめ合った。お互い準備万端。

 ──決めるぞ!

 コウスケは奮い立つ。頭の中は真っ白だ。最早、いかなる思考も受け入れられない。

「お疲れさん。せいが出るねえ……」

 後ろを振り向いた。

「あんがとよ」

「とんでもねえよ。忙しそうだな?」

「そうなんだ、テヘヘヘ……」

「こんなとこでどんな仕事してんだ?」

「どんなって言われてもよ……」

 ──ならば説明しなければ……

 声のする方へクルリと向き直って、じっとそのものを見つめた。見慣れた顔が目の前に横たわる。

「よう、久しぶり、どうしてた?」

 まずは無沙汰の挨拶をしてやる。

「どうもしてねえ……」

 寝たまま首を横に振る声の主の顔を見つめながらコウスケは首を捻る。

 ──ここはどこだ?

 ──オレ、なにしてたんだっけか? 

 ふと背後に気配を感じ取り、振り向く。トキが身を横たえていた。もう一度反対側を見る。眼前に、極限まで干からびてしまった干し柿が転がっている。コウスケは目を瞬いた。と、突然大きな裂け目が入り、中から牙が剥き出しになった。得体の知れぬ生き物がオオススメバチのように顎を鳴らし、威嚇する。そいつは奇声を上げながら襲いかかってきた。

「イーッヒッヒッヒッ……」

「ウワァーッ!」

 コウスケは四つん這いになって目を引ん剥いた。「バカな!」

 ──婆さんが寝ている!

 ──そんなはずはない!

 ──なにかの間違いだ!

 ──幻だ!

 ──夢だ!

 ──夢?

 ──そうだ、これは夢か!

 目をこすって顔を両手で覆った。パッと目を開けた時、何が見えるか確認しようと考えた。

 ──いーち、にー、のー……さんっ! 

 手を払い除けるのと同時に目をカッと見開いた。

「いないいないばあ……」

 婆さんがこちらの真似をして、二人の目と目が合う。

「夢か……」

「夢じゃねえよ」

「なんで……いる?」

「さあ、オラにもトンと……」

「しっしっ!」

 手で追い払おうとしてみる。

「オラ、猫じゃねえよ。おめえ、それ……」

 婆さんは、顎をしゃくった。「見いーつけた!」

「なんだ?」

「ありゃりゃ、しーぼんだ!」

「なにが?」

「ほれ、それ、元気出せ、フレーフレー! ダメか?」

「なにを応援してんだ?」

「ナンマンダー、元気出ますように……」

 婆さんは突然ベッドの上に正座して拝み出した。じっと視線を下に向けて。

 コウスケは腕を組んで胡坐をかいた。俯いて婆さんの視線の先を見た。

「わぁ! 拝むんじゃねえ!」

 咄嗟にトキの体を飛び越えてベッドの外へ逃げた。ベッドの縁に両手を当て、潜望鏡のように目線を縁すれすれに合わせ、敵を偵察する。と、トキがキョトンとこちらの顔をうかがってきたので、愛想笑いを送る。

「そうか、オラのせいだったのか。おめえの元気をくじいたのは。すまんかった、この通り……」

 婆さんはまた両手を合わせ、拝んだ。

「出てけー! このエロババア! デバガメが!」

 腹の底から罵ってやる。

「オラ、出っ歯と違うって、イーッ」

 婆さんは歯を引ん剥いたあと、入れ歯を外してまた戻す。「入れ歯だけどよ」

「コウスケさん!」

 トキが叫んでシーツで胸元を隠しながら後ずさって、婆さんにぶつかりそうになる。トキは涙目だ。

「ち、違う、トキちゃんのことじゃない、ない!」

 コウスケは首を振って否定した。

「ヒ、ヒドイ!」

 トキは声を上げて泣き出してしまった。

 コウスケはトキを宥めようとまたベッドに上がる。

 ──このクソババアめ!!

 と、次に婆さんを見た時、その姿は消えていた。咄嗟に泣き喚くトキをそのままにしてベッドから飛び降り、部屋中をくまなく捜した。が、婆さんの痕跡は完全に消え失せていた。

 仕方なく頭をかきながらベッドに戻ると、トキは寝息を立てていた。その顔をそっと覗き込んだ。トキは『大』の字の形で寝入っている。

 ──なんと豪快な寝姿よ、天晴!

 ──ん、ん、ん……?

 ──どっかで見た光景だ……?

 目を閉じ、胡坐をかいて考えてみる。もう一度トキの可愛らしい寝顔を見た。

「ウワッ!」

 驚いて後ろに手をつこうとしたら、床にストンと頭から真っ逆さまに転げ落ち、床面で思い切り頭頂部を打ちつけてしまった。

 頭をさすりながらベッドの外から潜望鏡でトキをうかがった。安心して溜息が漏れる。

 ──やはり、愛らしい顔のトキだ!

 ──間違いない!

 ──それにしても……?

 コウスケは頭を捻った。今、確かに婆さんが寝ていたのだ。

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