◆3 友情の証──目の前に藤九郎が! 殺す?

【10日目】1975年(昭和50年)11月30日日曜日


 朱鷺は、コウスケを見送ると表へ出た。

 ──お春と藤九郎の因縁を断ち切る手立てはないものか?

 歩きながら頭を捻り続ける。

 交番の前までやってきて、気晴らしにまた船村と遊んでやるべく中を覗いて声をかける。

「船村さんよ……」

 いっとき間を置いて返事が届く。

「船村はぁ……休みぃ……ですが……」

 何とも陰気臭い声のトーンだ。頬はこけ、骨ばった顔も青白く生きているのが妙な気さえする。

「あれま、今日は休みですかね」

「はぁい」

 うつろな目つきだ。

「あんた名前は?」

「薄井幸男でぇ~す」

「うすいさちお……さん……船村さんの後輩だね?」

「はぁい。なにか御用……ですか?」

 嫌にゆっくりとした口調だ。

「い、いえ、仲良くしてるもんで、ちょっくら顔見に寄っただけで……」

「そぉ~ですか……船村さんのぉ……お知り合いですかぁ……アッハッハァ……」

 何とも不気味な笑い方をする男だ。目は全然笑っていない。朱鷺は身震いした。

「あんた、顔色悪いみてえだけど、大丈夫かい?」

「はぁ~い」

「そ、そうですか……そんじゃ、また」

「はぁ~い」

 背を向けた朱鷺を、ワンテンポ遅れの不気味な声が追いかけてきた。背筋に冷たいものが走る。

 ──長居は無用だ。

 ──よくあれで警官が勤まるもんだ。

 呆れながらさっさと交番をあとにした。

 ──それにしても、まるで化け物だ。

 ──死人の顔だな……

 何度もその顔を浮かべてみて、やめた。その度に寒気がする。

 サンクチュアリの方へ歩いていると、向こうから見覚えのある顔がやってくる。思わず立ち止まった。

 ──雉牟田藤九郎だ!

 どうしたものか思案する。

 ──ぶん殴る!

 ──半殺しにする!

 ──殺す!

 頭の中に次々とイメージが湧いた。が、藤九郎は朱鷺の横を通りすぎてしまった。朱鷺は迷わずあとをつける。

 うつむいて、何か武器になるものを探した。だが、小石一つ落ちてはいない。

 ──よりによって、なしてこんな時に舗装してやがる!!

 去年舗装されたアスファルトの歩道に、蹴りを入れ八つ当たりする。

 藤九郎は交番を通りすぎたが、わざわざまた引き返した。と、交番の中をうかがっている。

「あいつ、なに企んでる?」

 朱鷺は注意深く観察する。「あっ、そうか!」

 藤九郎は突然中に飛び込んだ。

 ──られる!

 ──巡査が危ない!

 朱鷺の足が地面を強く蹴った。体は一度跳ね上がり、前傾姿勢になると、肩に力が入らぬよう手を開いて、両腕を大きく振る。上下動も殆どなく、まっしぐらにゴールを目指した。

 交番を覗くと、中では二人の揉み合いが既に始まっていた。今まさに、藤九郎は巡査から拳銃を奪おうとしている。

 体は勝手に反応して身は翻り、通りを突っ切った。右からダンプ、左からタクシー、寸での所でかわしながら藤野商店に飛び込むと、店と座敷を隔てた障子戸を力いっぱい引いた。座敷に土足で上がり、黒電話を探した。上がり込むまでもなかった。障子戸を開けた陰に置かれていた。朱鷺は受話器を払い除け、畳の上に落とした。ダイヤル110を回すと、コードを手繰り寄せ送話口に向かって、状況を三語で説明する。

「拳銃! 盗まれる! 撃たれる!」

 鷹鳥中央交番、と場所を告げ電話を切る。

 藤野商店の老夫婦に目配せして挨拶する。老夫婦はお互い背を丸め茶をすすりながら、朱鷺を見て笑った。朱鷺も笑顔を返し、30センチメートルほどの段差から店舗の床に飛び降りると、店の前でパトカーの到着を待った。

 ほどなくしてサイレンが近づいてくる。三台のパトカーが交番を取り囲んだ。それぞれのパトカーから、制服警官が降り、ドアを盾にして拳銃を交番に向けて構える。後方に二台の黒塗りの覆面パトカーが止まり、その一台から私服警官が出て、拡声器片手に犯人に投降を呼びかける。一番偉そうなヤツだ。

「拳銃を捨てて出てこい! お前は完全に包囲された!」

 犯人は出てきた。手には奪った拳銃をしっかり握り締めている。

「ち、違う!」

 犯人は拳銃を高々と掲げ、デモンストレーションに出た。

「無駄な抵抗はよせ! 銃を捨てろ! 撃つぞ!」

 警官達は銃を犯人に向けたまま、パトカーのドアの陰に身を隠した。すると、ヤツは観念したらしく銃を下に落とした。

「両手を上げろ! もっと高く!」

 犯人は万歳をした。

 警官達は警戒しながらにじり寄った。銃口は確実に犯人を捉えている。一人が犯人の正面で腰を据えて銃を構える。体格のいいもう一人が銃を腰のホルダーに戻し、犯人の後ろに回ると、高々と上げた手をつかんで、自らの膝で犯人の膝の後ろを突いてその場にひざまずかせ、手錠をかけようとした。その時犯人が振り返った。と、たちまち犯人をうつ伏せにして馬乗りになった。両手を後ろにねじ上げ手錠をかける。犯人は抵抗むなしく御用となった。

「助けてくれー! ち、違うんだって。オレは助けただけだ!」

「黙れ! さあ立て! お前を強盗、監禁、銃刀法違反、並びに殺人未遂の現行犯で逮捕する!」

「連行しろ!」

 あの一番偉そうなヤツがようやく犯人の元へ近寄り部下に命令した。

 朱鷺は、藤九郎が乗り込んだパトカーを覗いた。

「ざまあみろ! もう悪さするんでねえ! 一生出てくるんでねえぞ!」

 目が合うとすかさず、お春に成り代わって罵声を浴びせかけた。藤九郎はこっちを見て涙を流した。が、

 ──悪党には同情の余地はねえ!

 とどこまでも冷酷な視線を突き刺した。

 その視線に押し出されるように、藤九郎を乗せたパトカーは走り去った。

「通報頂いたのは、おバアさんですか?」

 偉そうなヤツが尋ねた。

「オラ……」

 朱鷺はいっとき考えて、白を切る。「知りません」

「どなたが通報を……ご存知では?」

「ハテ? 向こうの方へ歩いて行った男の人じゃろうか?」

「どちらです?」

 駅の方角を指す。

「そうですか、捜してみましょう。ご協力恐れ入ります」

 朱鷺に敬礼をした。が、斜に構え顎を少しばかり突き上げて、人を下目に見る。いかにも人を見下した態度だ。

 ──なんとも我慢ならねえ!

 ──いけすかねえヤツめ!

 朱鷺は内心不愉快だった。虫唾むしずが走る顔だ。

「あんた、名前は?」

 ぶん殴りたい衝動を堪えて名前を尋ねてみた。

「西脇善行ですが……」

「ニシワキヨシユキ……さん、ですかね。ハテ?」

 どっかで聞き覚えがあるぞ、と少し考えると、すぐに思い出した。確か、組織暴力対策課だったはずだ。「あんた、捜査一課じゃねえよな。どうしてここに?」

「たまたま近くで張り込んでいたんでんでね。それが、なにか?」

 ──なるほど、コイツが船村巡査に逮捕された悪徳刑事か!

 見るからに悪党面だ。おそらく親は善人になるよう『善行』と名づけたんだろうが、悪行しか身につかないとは、

 ──この親不孝者めが!

 朱鷺はつくづく西脇の両親に同情した。

「西脇さんよ。人を殺しちゃ、いけねえ!」

「はあ、全くですな。ハッハッハ……」

 西脇は高笑いしながら覆面パトカーの後部座席に乗り込むと、運転席の部下に指示を出し、パトカーを駅の方へ向かわせた。

 今まで西脇の立っていた地面にペッと唾を吐き、舌打ちすると、朱鷺もその場を離れた。

 西脇みたいな悪党に出くわすとは、朱鷺の善行もあと味が悪すぎる。だが、何はともあれ藤九郎は当分の間、塀の中だ。

「これで、お春も安心だ」

 一仕事を終え、大いに納得した朱鷺は胸を撫で下ろした。と、どっと疲れが出た。

 ──こんな日は家で過ごすのが一番だ。

 足をコウスケのアパートへ向けた。


   *


 雉牟田藤九郎の逮捕劇の一部始終を目撃した朱鷺は、帰宅すると半日を部屋の中で過ごした。

 コウスケはいつも通り9時すぎに帰ってきた。『年下の男の子』(歌:キャンディーズ)を鼻歌交じりに玄関のドアを開けた。

「よう、ご機嫌みてえだなあ?」

「まあな」

 ちゃぶ台を挟んで朱鷺の正面に立ち、こっちを見下ろす。

「ええことあったんか?」

「別に」

 今にも綻びそうな表情だ。

 ──単純明快なヤツだ。

 朱鷺は腹の中であざけった。

「おめえは正直者だ。つら、見てりゃ分かる」

「テヘヘヘ……」

「まさか……お春とり戻したのか!」

 朱鷺はわざと声を荒げてみる。

「い、いいや……どうして?」

「年下の男の子、だもの……」

「ち、違う。トキちゃんと……」

 慌てて首を横に振ると、鼻の下を伸ばす。「テヘヘヘヘッ……」

「コウスケさんって男らしいわ、大好きよ、ブチューってか? 唇奪われたんだな。事務所の中で、サンドイッチ持ってきたついでにな」

「ん? 見てやがったな!」

「オラ、昼から一歩も出てねえよ」

「そんなら、なんで?」

「オラの手だもの」

「なんだと! バアさんの入れ知恵か?」

「そういうわけでねえ。女なら誰だって、そうするだろうよ」

「ふーん、そういうもんか……」

 腕を組んで深く頷きながら納得顔だ。全く人を疑うことを知らない。

 ──ま、コイツの長所だし、いや、短所でもある。

 ──そうか、今に、金をくすねられる憂き目に遭うのだった!

「そういうもんだ。おめえに惚れてんだもの」

「オレってやっぱ役者にでもなろうかなあ……一生ガソリンスタンド勤務じゃ、もったいねえ気がする、うん!」

「そんな面か! おめえは今に社長になるよ」

「えっ! オレが?」

「おめえんとこの社長さんには子がいねえよな。のちに、おめえが引き継ぐのさ」

「なにを?」

「メジロ石油に決まってんだろうが」

「あり得ねえ!」

 コウスケはゆっくりと首を横に振った。「オレが一番叱られてんだぞ、オレばっかしな。こないだなんか、鉄拳が飛んできたぜ」

「親心よ。おめえを信頼してるからだ。社長さん夫婦を大事にしとけよ」

「そりゃな、オレを拾ってくれた恩人だしな、いい人だし……親父みてえだしよ」

「分かってるならええ」

「でもよ、オレが経営者なんて、天地が引っくり返ってもねえ、うん!」

 コウスケは大きく頷く。

 もう何も言うまいと決めた。コイツに経営の才などないことぐらい朱鷺には百も承知だ。メジロ石油を譲り受けても苦労の連続だった。だが、苦労も二人、二人三脚でなら、し甲斐はあるというものだ。爺さんとの人生の道のりが脳裏に浮かんできた。朱鷺は懐かしくコウスケの顔をじっと見つめた。相変わらずニヤけ顔でこっちを見下ろしている。

「突っ立ってねえで風呂入って寝ろ!」

「メシは?」

「用意してねえよ。食ってきただろうが、駅前の中華店で」

「なんで知ってんだ?」

「おめえのことはお見通しよ。なん度も言ってんのに、ええ加減に学習しねえか」

「そんじゃ……なに食ったか、当ててみな」

 無謀にもヤツは挑んできた。

「ギョウザ、シュウマイ、チャーハン、しめにタンタン麺だ。あの娘、面食らってただろう?」

「トキちゃんは麺は食ってねえよ」

「しゃらくせえ! あの娘はチャーハンだけだ。それも半分残したろうが。おめえみてえに食いたかったんだ、本当は。乙女心っつうやつよ。家に帰って、たらふく食ったけどよ」

「おい、どこで見てたんだ? オレ全然気づかなかったぜ」

「オラ、どこにも行ってねえって、なん度言わせりゃ……つべこべ言ってねえで寝ろや」

「おーお、怖えよな……。さてと、風呂にでも入ってくるか」

 コウスケは風呂場へ向かおうとした。そしたら、玄関のドアを叩く音がした。

「カゴノさん、電話だよー」

 ドアの外から人懐っこい声だけが無遠慮に上がり込んできた。

 反転したコウスケの足は玄関へ向く。スニーカーを片足で踏んづけてドアを開ける。

「おばさん、いつもすまねえな」

「お互い様だよ。先方を待たせると悪いやね、早く下りといで」

 玄関先に声だけを置いて去って行く足音が遠ざかる。

「バアさんよ、ちょっと行ってくらあ。おとなしくしてろよ」

「トンマ! さっさと行け」

 コウスケは階下の須藤という中年夫婦の部屋まで、電話を受けに行った。

 この部屋にはまだ電話など引かれてはいなかった。それで、親切な須藤夫婦に断って、知り合いにその番号を教えていた。ただ緊急の場合しかかかってこないが。これが当たり前の時代だった。須藤夫婦はコウスケを気遣って何かと世話を焼いてくれていた。コウスケも時々菓子折りを礼に持参したらしいのだ。朱鷺はそんなコウスケの優しさが、と言っても人として当然のことだが、やはり嬉しかった。

 この時代には、こんなアパートの住人同士でも隣近所が疎遠ではなかったのだ、と朱鷺は感心した。少なくともこの街ではそうだった。

 朱鷺は、二組布団を敷いて寝転がってコウスケが戻ってくるのを待ちながら、瞼が次第に重くなってきた。

 ──今朝の捕物劇とりものげきで疲れたせいか?

 と推測しながら、いつしか夢の中へと誘われてしまった。

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