◆11 喫茶店『龍‐リュウ』へ──オラがおめえの最初の女だ!

【4日目】1975年(昭和50年)11月17日月曜日


「そうか、こんな格好じゃいけねえな……」

 朱鷺は玄関のドアを開けかけてやめ、振り返った。目の前にコウスケが立っている。「おめえのじゃダブダブだな」

「なに?」

「そうだ! おめえの仕事場まで行くぞ」

 朱鷺はまたドアノブに手をかける。玄関を出て、ドアを全開にすると、突っ立ったままのコウスケに手招きをする。と、コウスケは不承不承といった具合に、スニーカーを履いて、朱鷺のあとに続いた。

「今日は休日だぞ。休みのたんびにこれじゃ、身がもたねえ」

「ええ若えもんがなんだ! だらだらしてねえで、シャキッとついてこい!」

 朱鷺は先にアパートの階段を下りると、カバーがかかったバイクの前でコウスケを待った。

「どうした?」

 コウスケもやっと下りてきて、バイクの前の朱鷺に気づき振り向く。「こっちだぞ」

「待てや。バイクのキー貸せや」

 コウスケが路地に出て、先に行こうとするのを朱鷺は呼び止めた。

「はあーん!」

「これで行く」

「なんでオレのだと分かった?」

「おめえのことはお見通しよ」

「バアさん、超能力者か?」

「バイクの雑誌見つけたのさ」

「そういうことか、察しのいいこった」

 コウスケはバイクを路地まで転がし、またがってキーを突っ込みエンジンを吹かした。

「メット貸せや」

「いらねえんじゃねえの? 石頭みてえだからよ」

 朱鷺はコウスケの手からフルフェイスのヘルメットを奪い取ると、すぐに頭をくぐらせた。コウスケをシートから引きずり下ろし、バイクにまたがり顎をしゃくる。

「後ろに乗れや」

「ば、ばかな! 降りろ! バアさんには無理だろうが。世話焼かせんな」

「賭けようぜ。オラが乗れねえなら、おめえの前からトットと消えてやる。もし、オラがうまく乗れたら……」

「──なんだ?」

「おめえはオラの言うこと一生聞くこと……ええな?」

 コウスケはしばらく腕組みして考えていたが、顔をこちらに向けると首を縦に振った。

「よーし、忘れるなよ、バアさん」

 コウスケもヘルメットを被り、後ろにまたがった。朱鷺はエンジンを吹かす。

「ええ音じゃな。興奮するのお。腕が鳴るぜ。ナナハンはええ、最高じゃ!」

「バアさんよ、無理すんな。血圧上がるぞ。運転中にコロッとな……」

 コウスケは後ろでゲラゲラ笑っている。

「おめえも道連れにするだけよ!」

 コウスケは一瞬黙りこくった。

「あ、安全運転だぞ!」

「知らん。オラの辞書には載ってねえ。しっかりつかまれや、行くぞ、ソーレ!」

 路地を抜けるまではトボトボと滑らせ、大通りに出るや、朱鷺はいきなりアクセルを全開にした。加速がついてメーターの針はすぐに百キロを超えた。

「ワアーッ! 止めろー!」

「ヒエーイッ! フッフッー!」

 朱鷺は奇声を上げながらバイクを蛇行させる。

「タスケテー!」

「ズビズバーパパパヤー♪ ってか? 情けねえ声出すんでねえやい!」

 ナナハンは唸りを上げ続け、車の間を縫うように巣籠もり線を走り抜けた。

 目的地にはあっという間に到着だ。メジロ石油で朱鷺がバイクを停めると、コウスケは滑り落ちるように降り、メットを脱いで汗を拭っている。 

「死ぬかと思った……」

「オラの勝ちだ! ええいっ!」

 朱鷺は右の拳を高々と掲げ、雄叫びを上げた。

「どこでそんな運転覚えた?」

「おめえが教えてくれたんでねえか。忘れやがって」

「なんでオレが教えられる? わけ分からんことばっか言いやがって……」

「ああそうか、まだ先か……」

「早く降りろ! 用事済ませてこい」

「用事があるのはおめえよ」

「なんだと?」

「おめえな、オラにピッタンコのツナギ持ってこい。小娘のがあるだろうが、ロッカー入ってくすねてこいや」

「ナ、ナニィーッ! オレにこそ泥やれってか!」

「大丈夫。オラが見張っててやっから、心配はいらん」

「そんな問題じゃ……」

「賭けはオラの勝ちだ。男らしく言うこと聞け。オラ、家に帰れねえでねえか」

「帰る?」

「そうだよ」

「ウソじゃねえよな?」

 コウスケは朱鷺の顔を覗き込んできた。

「オラ、泥棒じゃねえもの、ウソつかねえ」

「ん、泥棒?」

 コウスケは眉を寄せ、腑に落ちない表情を見せた。

「さあ、早く仕事済ませろや」

 いっときコウスケは躊躇ためらいがちに行ったり来たりを繰り返していたが、もう一度、朱鷺に問いかけた。

「ホントだな? 忘れるなよ、約束だ!」

 朱鷺は軽く頷いてやる。と、コウスケは、両の拳を握り締め、腰の高さまで持ち上げた。一旦、天を仰いで、拳を振り下ろしながら、「よしっ!」と一言気合を入れ、朱鷺に踵を返す。その後姿を朱鷺は見送った。何度か気合を入れ直しながらコウスケは進んで行った。

「しっかり、盗んでこい!」

 朱鷺が大声でエールを送ってやるや、コウスケはつまづいてこちらを振り返った。腰を屈め、キョロキョロと辺りを見回しながら人差し指を立て、口に当てる。

 朱鷺は、早く行け、と手で合図を送った。

 ──まるで泥棒しに行く人みたいだ!

 コウスケの挙動不審な姿に痛く感心しながら、この盗っ人ヤロウを温かい眼差しで見守った。


   *


「どうだ、年寄りに見えっか?」

 朱鷺はメジロ石油のコンクリート塀横の路地で、コウスケがくすねてきた青いツナギを着て白のスカーフを首に巻き、ヘルメットを被って腰に手を当てポーズを決める。

「どうだか?」

 コウスケはバイクのシートに尻を置き、肩を竦める。そのコウスケを押し退け、バイクにまたがった。朱鷺に突き飛ばされたコウスケは、よろめきながらこちらに向き直った。

「乗んな」

「い、いや、オレはいい……」

 コウスケは数歩後ずさった。

「早くしねえか! オラ、今日中に帰れねえ……」

 コウスケは突っ立って、しばし目をしばたたいたあと、シートをまたいでみたりやめたり、躊躇ちゅうちょしながらも仕舞いには朱鷺の背後で溜息を漏らした。

 朱鷺はツナギの襟を立て、エンジンを吹かすと、急発進した。

「ウワッ!」

 コウスケは朱鷺の腰に手を回してきた。

「しっかりつかまれや!」

「ど、どこ、行く?」

「くれば分かる」

「怖えなあ、やっぱ、やめときゃよかった……」

 朱鷺は知らん振りして、メットの中でニヤニヤしながら加速した。

 コウスケの腕が腰をギュッと締めつけてきた。二人の体はより密着する。朱鷺の胸は高鳴り、思わずバイクを右へ左へと踊らせる。その度にコウスケはより一層しがみついてきた。


   *


 朱鷺がバイクを停めると、コウスケはシートから滑り落ちるように、その場に尻をついた。狭い駐車場には、十数台のバイクが無秩序にひしめき合っていた。

「ついてこい!」

 朱鷺は言い放つと、コウスケを尻目に喫茶店へ向かった。

 喫茶店『龍‐リュウ』は県道沿いの交差点の角に位置する。壁は塗りかえられて年数も左程経ってはいないようだが、古びた平屋の壁から、所々モルタルが剥がれ落ち、ひびも目立つ。車両の振動が原因だろう。ここ数年交通量が急増した。町の開発も進み、あっちこっちで工事が盛んに行われている。とりわけダンプが相当数増加した。古きをなぎ倒して走り去り、あとには、新しいものを産み落とす。ここは、何かそういう時代の流れに、ささやかな抵抗を試みて建っているように朱鷺の目には映った。

 ドアを押して中に入ると、迷わずカウンターへ向かう。コウスケも遅れてあとに従った。

 黒ずくめの皮ジャンの男達の視線が一斉にこちらを射抜く。

 朱鷺はカウンター席の丸い回転椅子に座ると、カウンターの中の若い男がこちらに近づくのを待った。が、待つまでもなく、男はすぐに目の前に立った。

 すかさずヘルメットの内側から、視線を男の顔に向ける。

「兄さん、お春、どこか知ってるか?」

「あんたは?」

 厚めの唇から放たれる声は、幾分高い。がっしりした小柄な体躯の太い首に、短髪の角ばった顔がどっしり座っている。低い鼻はよく据わって横に広く、三日月眉の下に一重瞼の円らな目が不均衡だ。

「知り合いだ」

「さあな、オレには……」

 男は首を横に振った。

鷲生英雄わしゅう ひでおはどこだい? 昔、世話になった……」

「兄貴は……」

 男はカウンターに両手をついて、こっちを覗き込むように顔を寄せてきた。「峠、じゃねえか?」

「ぶっ飛ばしてんのか……? 相変わらずだな」

「そういうこった」

「行ってみるか」

 朱鷺はゆっくり立ち上がった。「兄さん、あんがとよ」

 身を翻し、出口へ向かおうとした背後から、男の声が朱鷺の足を止めた。

「あんた、名前は?」

 呼びかけに一旦止めた足を朱鷺は前に運ぶ。

「名乗るほどのもんじゃねえ」

 真っすぐ前を向いたまま、一度も振り向かず、手を振りながらドアを開ける。「じゃあな……」

 コウスケは終始、朱鷺の横に突っ立ったまま、決まり悪そうにリーゼントを撫で回していたが、店の外に出ると、朱鷺の傍に寄ってきた。

「誰だ?」

「おめえの知ってるヤツの兄貴よ。よーく知ってるヤツのな……」

 朱鷺はバイクにまたがって、メットの中でコウスケに笑いかける。

「誰だろう?」

「知りてえか?」

「ああ」

「兄貴だ……お春の」

「はあーん? 兄貴はいねえよ、春乃さんには」

「『私一人ぼっちなの、お父さん死んじゃって、お母さんには冷たくされて、寂しいの……』 ってか? その面だと、図星だな」

 コウスケはいっとき、口をポカンと開けていた。

「な、なんで……」

「ヤツの手よ」

「ま、まさか!」

「騙されてんだ。初なヤロウだ、おめえはよ」

「なんだよ!」

「女に疎いもんな。知らねえし……オラは、よっく知ってる、おめえのことは」

「バ、バカヤロー!」

 コウスケは真っ赤な顔で詰め寄った。「言いふらすな!」

「ま、ついてこいや。お春の正体見せてやっから」

「オレは帰る!」

 コウスケは一人駐車場を出て行こうとする。

 朱鷺はエンジンをかけ、しばらくそのままコウスケの様子をうかがった。コウスケが駐車場を出て、歩道を右へ折れたのを見て、駐車場を猛スピードで横切り、バイクをコウスケの前で停め、行く手を遮った。

「乗れ」

「気が乗らねえ。そんな女じゃねえよ」

「おめえがどう足掻あがいたって、お春とは結ばれねえよ」

「そんなことはねえ! バアさんになにが分かる?」

「つべこべ言うな、早く乗れ」

「あのよ。関係ねえだろう、バアさんには」

「大ありだ!」

「なんで?」

「おめえの最初の女だ」

「ダ、ダレが?」

「オラだ!」

「い、いやだー! この変態ババア。な、なに、考えてる?」

「あっ、間違えた」

「やっぱ、ボケてんのか……」

 コウスケはゲラゲラ笑い出した。

「今に、笑えねえようにしてやっからな。さあ、乗れ!」

「どこ、行くんだ?」

「峠さ」

「なにしに?」

「鷲生英雄に会う」

「誰だ?」

「リーダーだ」

「なんの?」

「道嵐だ」

「ドウラン?」

夜露死苦よろしくってな」

 朱鷺は指で宙に字を書いた。

「リンチで、なん人も餌食になった……あのグループか?」

「噂だ」

「半殺しになったヤツ知ってる。ま、噂だけど……」

「誰だ?」

雉牟田藤九郎きじむた とうくろうってやつ」

「只のチンピラだ」

「知ってんのか?」

「知ってるとも、よーっくな。お巡りからピストル奪ってよ、そのお巡りは自分で落とし前つけたのよ」

「落とし前? まるで、その筋みてえだ。どんな?」

「切腹よ」

「うえっ、痛そう。ん、ニュースでやってたっけ……? 聞いたことねえし、そんな男には見えねえけど……」

「かわいそうに……ヤツのせいで尊い命、落とす羽目になってよ」

 爺さんは隠していたが、コウスケが、藤九郎に金を貸したことを朱鷺は知っていた。「金でも貸したか?」

「ああ、10万ばかり……」

「まず戻らねえ。それでか、ピーピーなのは……」

「大きなお世話だ」

「お人好しなヤツだ。阿呆だな、おめえは」

「な、なに!」

「ま、おめえのええ所よ」

「バカにしやがって」

「褒めとんのよ」

「ああ、オレの10万……」

「諦めろ」

「チクショウ!」

「おめえ、なんでヤツを知ってんだ?」

「いつか、サンクチュアリで春乃さんと一緒だった。春乃さんに気づいて目で挨拶したんだ。春乃さんが席を外したら、近寄って自己紹介した。遠縁だって……」

「そうぬかしたか?」

「ああ」

「ヤツの手だな。おめえをたらし込むつもりだ。ええこと教えてやろうか?」

「なんだ?」

「お春の男だ!」

「な、なにを!」 

 コウスケは詰め寄った。「で、でたらめ言うな!」

「ま、そのうち分かる。それより早く乗れ」

 コウスケは顔を真っ赤にして朱鷺の後ろにまたがった。

「年寄りでも許さねえ!」

「行くぞ。しっかりつかまってろ!」

 朱鷺は叫ぶと、アクセル全開に、方向転換した。車道に出て、喫茶店『龍』の角を、峠の入り口へと左に折れ、上り坂を加速して行った。エンジンは唸りを上げる。

「ワアーッ! 忘れてたー、止めろ、止めてくれー!」

「振り落とされるなやー!」

 朱鷺はニンマリしながらアクセルを吹かし続けた。

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